最近の我が頭髪の薄さはハンパではない。日に日に薄くなっていく感がある。
私の目はド近眼に乱視に老眼、鼻は鼻炎、耳は耳鳴り、歯は治療だらけで慢性的歯槽膿漏。髪は白髪交じりで、自慢できるパーツは何もない。唯一まともなのが髪の毛の「量」で、これだけは安全だと高をくくっていた。ところが今年のある日、風呂上がりに自分の頭髪を見たら、頭頂部のあたりが妙に薄くなっていて、愕然としたわけだった。
総白髪への恐れはつねにあったが、薄毛は完全にノーマークだった。しかし私の知らぬところで、薄毛は着実に進行していたのだ。うかつだった。
薄毛の原因は、ストレスが第一だと思うが、肉体的要因として、耳鳴りの治療薬として、精神安定剤を毎日服用していたことがある。これは最近服用を止めたが、この手のクスリは、髪の毛にとって好ましいとはいえない。永年の服用の副作用、ということはないか。
この薄毛、いま思えば、気になる傾向はあったのだ。
いつも行くトコヤでは、私が椅子に座り、ひととおり髪を切ってもらうと、店のオヤジが、こんな感じでよろしいでしょうか? と後方に鏡を立てて、確認を促してくれる。
ところが、いつしかその「儀式」がなくなった。これ、私の後頭部の髪が薄くなっていたからではあるまいか。
髪の毛の伸び具合も、妙に遅くなったような気がする。髪の毛の量にしても、むかしは頭髪がボサボサになったが、いまは耳に髪がかぶさるところまで伸びても、頭頂部のあたりはほとんど変わっていない。
最近は、風呂に入ると、排水口に髪の毛がたまっている。これ誰のだ? と訝しく思うが、よく考えたら、「犯人」は私しかいないのだ。1回の入浴で、こんなに髪の毛が抜けているのか…。
先日風呂上がりに、手鏡で己の頭頂部を見てみた。
驚いた。
そこは河童の皿のように、まぁーるく地肌が見えてしまっていたからだ。再度書くが、うかつだった。なぜこんな状態になるまで、放っておいたのだ。
しかし…いつから抜け始めたのだろう。私は旅行に出ても自分の写真は撮らないので、時期の確認ができない。
そうだ、と「大野八一雄ブログ」のバックナンバーを見てみる。私が最初に「大野教室」の門を叩いたのは昨年の3月だが、教室内の様子を見ると、それほど私の頭頂部はハゲてない。とすると、昨年の夏以降に髪の毛が抜け始めたということか。
その正確な時期を知るのに、有力な方法がある。W氏とはLPSA芝浦サロンやジョナ研など、あらゆる場所で交流があった。彼ならその時期を知っているのではないか。
事実、5月の秩父合宿で、私が抜け毛を嘆いていると、「いまごろ気付いたのかよ」とW氏は言った。彼なら私のハゲ始めの時期を教えてくれそうだが、反面、それを知るのが恐ろしくもある。
ところできのう7月26日は、大山康晴十五世名人の20回目の命日だった。20年前の7月26日、私は北海道を旅行中で、当日は旭川にいた。訃報は自宅に電話した折、オヤジから聞いた。そのとき、ひとつの時代が終わった、と感じたものだった。
その大山十五世名人、若いころから頭髪がさびしかったが、己の髪の毛が「受けなし」と分かったとき、どんな心境だったのだろう。苦悩はなかったのだろうか。
何事にも合理的な名人だから、「ナニ髪の毛が少ない方が、洗うのがラクでいいですよ」とうそぶいたかもしれない。
私はとても、大山十五世名人の域まで達することはできない。
先月の中井広恵女流六段のバースデーパーティーで、Kun氏の奥さんは「世の女性は、男性の髪の薄さはあまり気にしないもの」と元気づけてくれた。しかしそれは、お互いが結婚して、何年も経ってからの話ではないのか? 付き合う前だったら、やはりないよりあったほうがいいに決まっている。
とにかく最近は、自分の頭頂部が気になってしょうがない。ちょっとてっぺんが抜けている感じで、人と会うのも億劫な感じである。
表へ出ても、ヒトの髪の毛ばかりに目がいくようになった。けっこう歳を食っていても、髪がフサフサの人。若くてもけっこうキテル人。いろいろなパターンがある。
それで思うのだが、人生の勝ち組とは、金持ちになることでも、出世することでも、家族を持つことでもなく、健康的な髪の毛がフサフサ生えていることではあるまいか。
いまは毛生え薬を1日2回、頭部に塗っている。しかしこれが、どれほど効果があるものか。わずか数千円の出費で髪の毛が復活するなら世話はない。
それはまるでフリークラスからC級2組に復帰するようなものだ。限りなく復活の可能性は低いと考えるべきだろう。抜け毛は一種の老化である。そこからアンチエイジングできるとは思えない。
しかし私は、塗らざるを得ない。それが目下の、唯一の拠り所だからである。
私の目はド近眼に乱視に老眼、鼻は鼻炎、耳は耳鳴り、歯は治療だらけで慢性的歯槽膿漏。髪は白髪交じりで、自慢できるパーツは何もない。唯一まともなのが髪の毛の「量」で、これだけは安全だと高をくくっていた。ところが今年のある日、風呂上がりに自分の頭髪を見たら、頭頂部のあたりが妙に薄くなっていて、愕然としたわけだった。
総白髪への恐れはつねにあったが、薄毛は完全にノーマークだった。しかし私の知らぬところで、薄毛は着実に進行していたのだ。うかつだった。
薄毛の原因は、ストレスが第一だと思うが、肉体的要因として、耳鳴りの治療薬として、精神安定剤を毎日服用していたことがある。これは最近服用を止めたが、この手のクスリは、髪の毛にとって好ましいとはいえない。永年の服用の副作用、ということはないか。
この薄毛、いま思えば、気になる傾向はあったのだ。
いつも行くトコヤでは、私が椅子に座り、ひととおり髪を切ってもらうと、店のオヤジが、こんな感じでよろしいでしょうか? と後方に鏡を立てて、確認を促してくれる。
ところが、いつしかその「儀式」がなくなった。これ、私の後頭部の髪が薄くなっていたからではあるまいか。
髪の毛の伸び具合も、妙に遅くなったような気がする。髪の毛の量にしても、むかしは頭髪がボサボサになったが、いまは耳に髪がかぶさるところまで伸びても、頭頂部のあたりはほとんど変わっていない。
最近は、風呂に入ると、排水口に髪の毛がたまっている。これ誰のだ? と訝しく思うが、よく考えたら、「犯人」は私しかいないのだ。1回の入浴で、こんなに髪の毛が抜けているのか…。
先日風呂上がりに、手鏡で己の頭頂部を見てみた。
驚いた。
そこは河童の皿のように、まぁーるく地肌が見えてしまっていたからだ。再度書くが、うかつだった。なぜこんな状態になるまで、放っておいたのだ。
しかし…いつから抜け始めたのだろう。私は旅行に出ても自分の写真は撮らないので、時期の確認ができない。
そうだ、と「大野八一雄ブログ」のバックナンバーを見てみる。私が最初に「大野教室」の門を叩いたのは昨年の3月だが、教室内の様子を見ると、それほど私の頭頂部はハゲてない。とすると、昨年の夏以降に髪の毛が抜け始めたということか。
その正確な時期を知るのに、有力な方法がある。W氏とはLPSA芝浦サロンやジョナ研など、あらゆる場所で交流があった。彼ならその時期を知っているのではないか。
事実、5月の秩父合宿で、私が抜け毛を嘆いていると、「いまごろ気付いたのかよ」とW氏は言った。彼なら私のハゲ始めの時期を教えてくれそうだが、反面、それを知るのが恐ろしくもある。
ところできのう7月26日は、大山康晴十五世名人の20回目の命日だった。20年前の7月26日、私は北海道を旅行中で、当日は旭川にいた。訃報は自宅に電話した折、オヤジから聞いた。そのとき、ひとつの時代が終わった、と感じたものだった。
その大山十五世名人、若いころから頭髪がさびしかったが、己の髪の毛が「受けなし」と分かったとき、どんな心境だったのだろう。苦悩はなかったのだろうか。
何事にも合理的な名人だから、「ナニ髪の毛が少ない方が、洗うのがラクでいいですよ」とうそぶいたかもしれない。
私はとても、大山十五世名人の域まで達することはできない。
先月の中井広恵女流六段のバースデーパーティーで、Kun氏の奥さんは「世の女性は、男性の髪の薄さはあまり気にしないもの」と元気づけてくれた。しかしそれは、お互いが結婚して、何年も経ってからの話ではないのか? 付き合う前だったら、やはりないよりあったほうがいいに決まっている。
とにかく最近は、自分の頭頂部が気になってしょうがない。ちょっとてっぺんが抜けている感じで、人と会うのも億劫な感じである。
表へ出ても、ヒトの髪の毛ばかりに目がいくようになった。けっこう歳を食っていても、髪がフサフサの人。若くてもけっこうキテル人。いろいろなパターンがある。
それで思うのだが、人生の勝ち組とは、金持ちになることでも、出世することでも、家族を持つことでもなく、健康的な髪の毛がフサフサ生えていることではあるまいか。
いまは毛生え薬を1日2回、頭部に塗っている。しかしこれが、どれほど効果があるものか。わずか数千円の出費で髪の毛が復活するなら世話はない。
それはまるでフリークラスからC級2組に復帰するようなものだ。限りなく復活の可能性は低いと考えるべきだろう。抜け毛は一種の老化である。そこからアンチエイジングできるとは思えない。
しかし私は、塗らざるを得ない。それが目下の、唯一の拠り所だからである。
昔はいざ知らず、お坊さんも既婚者が多い。
私のようなメチャ薄い髪でも必ず理髪店では鏡を後ろに回して確認を取っている。
人生で必要なのは心根の優しさである。
世の中には、髪の毛の薄いのが似合う人がいるんですよね。ブルース・ウィリス(「ダイ・ハード5」が来年公開予定です)、ニコラス・ケイジ、植山悦行…。でも、私は無我の境地にはなれません。
せめて心根だけでも優しくなれるよう、努めます…。