一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

字が下手という話

2022-11-20 23:51:23 | プライベート
最近、大学生の書いた文字を見る機会が多い。そして、彼らの字はおしなべて下手なのだ。
折しもきょう、同じ字を見ている年配の男性が「最近の若者は字が下手だね」と言った。「これもパソコンで字を書いてるからじゃないのかね」。
年配氏は、最近のアメリカ人は、自分の名前以外の筆記体が書けないらしい、とも言った。ブロック体しか書けないのだという。もちろん筆記体は、覚束ない字のようだ。その原因は、最近の子供はパソコンで英語を書いているかららしい。
つまり日本文字も英字も、小さいころからいっぱい書いて練習するから、自然と字もうまくなる。しかし昨今の若者はそれが少ないから、下手クソなのだ、が年配氏の見解であった。
私は、だいぶ前に「将棋ペン倶楽部」に発表した、将棋を指す手つきが覚束ないのに将棋が強い、というエッセーを思い出した。これも、駒を持たずしてネット上で将棋を指すことの弊害を語ったものだ。
文字の話に戻すが、下手クソな字がマイナスイメージになるのなら、綺麗な字はプラスのイメージになる。実際、「角館の美女」こと、千葉郁子さんの文字は綺麗だった。私は彼女の美貌に一目惚れしたのだが、彼女の流麗な文字が、その恋心を増幅させたということはある。
また、「足柄市の美女」こと滝本夏子さんは、最初こそかしこまった字だったが、何度か手紙のやり取りをするうち、彼女独特の癖字が出てきた。しかしそれは彼女がかしこまらずに文章を書いているということであり、却って好ましく思ったものだった。
そんな彼女に、どうして私はアタックしなかったのか。遠くの角館の美女より、近くの足柄氏の美女である。周りが見えなかったとしか思えない。
閑話休題。ちなみに棋士の中にも下手クソな字の持ち主も多いが、将棋ファンは、それを個性として捉え、むしろ好ましく思っている。どこまで寛容なんだ将棋ファンは、と、私はホトホト感心するのである。

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