一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

船戸女流三段、引退

2024-07-05 23:17:38 | 女流棋士
船戸陽子女流三段現役引退の報を知ったのは4月26日、Wikipediaでだった。そのとき私は「将棋クイズ50問」を制作していて、あっちこっちの将棋サイトで、正解の確認をしていた。そのさなかに見つけたのだった。
私はLPSAのサイトに飛んだがもちろん真実で、どうも4月24日に表明されたようだった。
当ブログの古参読者ならご存じだが、私は船戸女流三段の大ファンだった。否、ファンという範疇を越えて、危険な領域に入っていた。
当時私はLPSA金曜サロンや芝浦サロンに入りびたり、船戸女流三段主催の木曜ワインサロンにも通っていたから、船戸女流三段との接点は多かった。私は船戸女流三段に会うたびに惹かれていった。
だがそんな矢先の2011年8月、船戸女流三段は島井咲緒里女流二段とともに、結婚を報告する。これを私は沖縄旅行中に知ったが晴天の霹靂で、大変なショックだった。
付き合っている人がいるなら私に一言言ってくれればいいのに、そんなそぶりはまったく見せなかった。考えてみればそりゃそうで、そんなプライベートを他人に言う意味がない。
だけど私はショックで、端的には食欲が失せた。1日に摂取する食事は昼の牛乳1杯のみで、そんな生活を1ヶ月続けていたら、10kgも痩せてしまった。通院していた耳鼻科の先生が心配して、ビタミン剤を注射してくれたものである。
ある日は植山悦行七段、大野八一雄七段、安西勝一七段と同じテーブルで、私は2時間ぶっ続けで、愚痴をこぼし続けた。将棋の先生を前にして、何を私はやっているのかといまでは思うが、当時はそこまで配慮が回らなかった。
そのとき安西七段から「失恋が癒えるのは、その人を好きだった期間の2倍かかるよ」と言われた。独身の安ちゃんにしては含蓄のある言葉で、ああそうかもしれない、と妙に感心したのを覚えている。
当時はブログにも泣き言を書いていたが、石橋幸緒女流四段(当時)から、「あまり書くと彼女に迷惑だから……」というようなことを言われ、私は我に返った。
あぁ私は頭がおかしくなっていた。これじゃあ船戸女流三段が困惑するばかりである。私はブログに船戸女流三段に関する記述を止め、今後は接点を持たないようにした。
おりしもLPSA芝浦サロンは麹町サロンへと移転し、私もいろいろあって、LPSA自体から距離を置くようになってしまった。
以後現在まで、船戸女流三段をお見かけしたことはあっても、私語を交わしたことは一度もない。指導対局を受けることもないと思ったが、数年前、Tod氏の計らいから、それが実現した。そのときの将棋は覚えていないが、たぶん私が負けたはずだ。
今回船戸女流三段が現役引退を決めたことについては、第三者である私に口を挟む余地はまったくない。ただただ、お疲れ様でしたと言うだけである。
船戸女流三段は8日の白玲戦・女流順位戦が最後の対局になる。悔いのない将棋を指していただければと思う。
コメント
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