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記憶せよ 東京大空襲 1945年3月10日 10万人の犠牲者

2024年03月10日 | 日記

 今日は3月10日、1945年東京大空襲。一夜にして10万人を超える人々が犠牲となった。第二次世界大戦末期、イタリア、ドイツもすでに降伏し、日本だけが絶望的な戦いを続けていた。米軍は占領したマリアナ諸島の基地から戦略爆撃機B29を使って日本本土の主要都市に無差別爆撃を実行。

 そして東京下町一帯を焼き払う攻撃を計画し、日本の木造住宅用の焼夷弾を開発。300機のB29から雨あられと投下。たちまち下町一帯は折からの北風強風で火の海となりほとんど焼け野原となった。

 犠牲者のほとんどが女、子ども、年寄であった。米軍はち密な計算のもとに大虐殺を実行。寝静まったころの深夜未明に、北風を考え風上から攻撃し延焼を、木造の日本家屋の火災を狙った焼夷弾を使用。その結果が10万人を超える犠牲者に。この数は、5ヶ月後の広島、長崎への原爆投下をも上回る犠牲者。そのすさまじさがわかるというもの。

 日本による侵略戦争の結末がこうした悲劇を生んだとしても、明らかに当時の国際法違反の米軍による無差別爆撃は許されるものではない。

 天皇ヒロヒトは白馬にまたがって焼け野原となった東京を視察したが、連合国側の無条件降伏の勧告に対しても「もう一度戦果を挙げてから」と戦争継続を指示。その後の沖縄戦、広島、長崎、満州へのソ連軍の侵攻などの悲惨な結末へと日本国民を陥れていくことになる。

 3月10日、忘れてはならない日。記憶せよ、東京大空襲。

 

 


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