ご覧の不動堂の不動尊は前立ちお不動さんで、本物は裏手にある奥殿に公開されている。
お参りした8日は雨だったが、日曜と七五三参りもあって不動堂内は人であふれて超満員。
お祓いをする前に、順にお不動さんめぐりをして拝み、もどって座る。
お祓いを済ませた後のお坊さんの法話では、七五三のこどもと参詣者を祝い、こどもに一つだけ約束をと次のように説いた。
嫌いな食べ物があっても20回も食べれば好きになるから、そのように約束させた。
また、褒めて才能を伸ばす育て方が流行っているが、それだけでは善い判断を養えない。ほめるときは褒め、叱るときには鬼になって叱って育ててくださいと結んだ。
奥院(朱色)
重文・丈六不動三尊は古来日本一と伝えられ、総重量1100kgを超える。(木造)
奥殿には更に、土方歳三書簡、土方歳三隊々旗「東照大権現」の幟、中島登覚書写し、天然理心流佐藤道場使用の木剣など多数が展示されている。
新選組副長として活躍した土方歳三の菩提寺である縁から境内には土方歳三の銅像や殉節両雄の碑がある。
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と「ほめるときは褒め、叱るときには鬼になって叱って育ててくださいと」は参考になります。
孫の親(子供)に言って聞かせます。
さすがに 大きく とても威厳を感じました
厳かな気持ちになりますね
ここでご参拝させていただきました 感謝です
学校の授業でも、「ドレミの歌」が採用されていて日本語で歌いましたょ。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」の方は、恐らくテレビ放映で見たはずですが、ストーリーを想い出せません。(^^ゞ
平成12年に行われた千年ぶりの修復の際、身代わりの本尊として新しく不動三尊を創って、そのまま不動堂に
納まってしまいました。
引きこもり お不動さんは 寂しかろ / iina川柳
高幡不動は写真で見る限り優しそうですね。
土方歳三の墓所があるとは知りませんでした。
土方歳三の墓は、高幡不動駅からモノレール沿いの橋下に流れる浅川を越えた石田寺にあるそうです。
どうして菩提寺である高幡不動尊になく、石田寺なのかは不明ですから、こんど行ったときに調べてみます。
歳三像は、こんなに新しそうに見えますが明治21年完成だそうです。
立案から竣工まで足掛け12年も掛かっていて、案が出た頃はまだ反政府軍という新選組に対する風当たりが強くて
なかなか碑を建てられるような雰囲気ではなかったと伝えています。
お坊さんの法話もあって超満員とは、結構、地元に根付いたお不動さんなんですね。
土方歳三の墓所ということは、土方ファンの参詣も多いのでしょうかね。
弥次さん喜多さんは、iinaとしては東海道を歩いた印象ですが、中仙道のコースを使ったのですね。
なお、一里塚の石標には「中山道」で、JRの踏み切りは「中仙道踏切」を使ってました。
高幡不動尊のお不動さんは、絶大な人気は不動のものでしたょ。 ^^
また、雨降りであったためか、歳三像前は閑散としてました。