漢の武帝のころ国教として儒教を採用した。
儒教は好奇心は駄目という思想であり、好奇心は卑しいものだ、そして古(いにしえ)こそ尊いと言い続ける思想だ。中国の文明の停滞は多分に儒教にあるといわれている。
漢の武帝のとき、朝鮮は半分ほど漢の領地になった。楽浪郡という地域だ。製鉄もそこから起こったと伝わっている。この製鉄は砂鉄からつくっていた。日本の古代製鉄と同じだ。山々は石のような山で、そこにわずかに表土がかぶさり木が生えていた。木を伐ってしまうと、表土が吹き飛ばされ岩肌になってしまう。古代の製鉄業者は山を裸にしては、山から山へさすらう人々だった。その辺が禿山になると、海の向こう-出雲-にでも行こうとなる。ここの山は砂鉄をすばらしく含んでいた。そこで製鉄業者がどんどんくるようになる。おそらく三世紀ぐらいからそろそろ来はじめ、最盛期は五世紀ぐらいと思われる。そしてモンスーン地帯なので雨が降る。樹木を伐ってもそして樹林をしなくても自然に復元する。30年で復元し続けた。
六世紀の日本国家は、国家が鉄を保有していた。百姓は鍬(くわ)を借りて夕方に洗って返していた。
ところが十二世紀に鉄は大量に出回るようになり、安く手に入るようになった。関東平野に人工の灌漑用水を造って美田にした。その結果人口が爆発的に増えて、それがいわゆる武士になり鎌倉幕府に伝わっていく。
それまで土地は公有制であって、農民というより農奴にしていたが、関東に行けば自由にできるとどんどん関東に人が集まり、公家がいくらこれはおれの領土だといっても、もうきかない。そのはね返しが鎌倉幕府の成立だ。
中国の失敗は何か。そのひとつは万里の長城だ。紀元前から十五世紀でもつくられていた。火で焼いたレンガで積み重ねた。つまり焼くだけの燃料が必要でそのため樹木が伐られてしまう。
もうひとつの失敗がある。人口が増えて大地を耕した。ひとたび鍬をいれるとパラパラの土になり、そこに太陽が照りつけフライパンで熱したような土になり、そして季節風にのって黄土と化し遠くへ飛び散ってしまう。そして砂漠が広がってしまう。北京付近の黄土層も乾燥させきって吹き飛ばしてしまう。
/「世界」樹木と人1986.9.1司馬遼太郎を要約
儒教は好奇心は駄目という思想であり、好奇心は卑しいものだ、そして古(いにしえ)こそ尊いと言い続ける思想だ。中国の文明の停滞は多分に儒教にあるといわれている。
漢の武帝のとき、朝鮮は半分ほど漢の領地になった。楽浪郡という地域だ。製鉄もそこから起こったと伝わっている。この製鉄は砂鉄からつくっていた。日本の古代製鉄と同じだ。山々は石のような山で、そこにわずかに表土がかぶさり木が生えていた。木を伐ってしまうと、表土が吹き飛ばされ岩肌になってしまう。古代の製鉄業者は山を裸にしては、山から山へさすらう人々だった。その辺が禿山になると、海の向こう-出雲-にでも行こうとなる。ここの山は砂鉄をすばらしく含んでいた。そこで製鉄業者がどんどんくるようになる。おそらく三世紀ぐらいからそろそろ来はじめ、最盛期は五世紀ぐらいと思われる。そしてモンスーン地帯なので雨が降る。樹木を伐ってもそして樹林をしなくても自然に復元する。30年で復元し続けた。
六世紀の日本国家は、国家が鉄を保有していた。百姓は鍬(くわ)を借りて夕方に洗って返していた。
ところが十二世紀に鉄は大量に出回るようになり、安く手に入るようになった。関東平野に人工の灌漑用水を造って美田にした。その結果人口が爆発的に増えて、それがいわゆる武士になり鎌倉幕府に伝わっていく。
それまで土地は公有制であって、農民というより農奴にしていたが、関東に行けば自由にできるとどんどん関東に人が集まり、公家がいくらこれはおれの領土だといっても、もうきかない。そのはね返しが鎌倉幕府の成立だ。
中国の失敗は何か。そのひとつは万里の長城だ。紀元前から十五世紀でもつくられていた。火で焼いたレンガで積み重ねた。つまり焼くだけの燃料が必要でそのため樹木が伐られてしまう。
もうひとつの失敗がある。人口が増えて大地を耕した。ひとたび鍬をいれるとパラパラの土になり、そこに太陽が照りつけフライパンで熱したような土になり、そして季節風にのって黄土と化し遠くへ飛び散ってしまう。そして砂漠が広がってしまう。北京付近の黄土層も乾燥させきって吹き飛ばしてしまう。
/「世界」樹木と人1986.9.1司馬遼太郎を要約
代表例は中国、朝鮮半島であり、ヨーロッパでは産業革命時のイギリスやドイツなどでした。
しかし寒いドイツは時間をかけて森を再生し、イギリスは美しい田園へと変貌させました。
そのような違いは、未来にどのように影響があるでしょうか。
少なくとも自分本位の努力しかしない文明には、未来は感じられません。
ギリシャ文明もそのようですね。
中国は自国が世界の中心であるという中華思想をもっていて儒教の教えと面子をはかりにかけて面子をとっているかのようにみえますね。
儒教は素晴らしい思想と考えていましたが、大いに弊害があるようです。
日本の幕府は儒教を教義としてのみ採用して、体制は決して採用しなかったと司馬遼太郎は評しています。
中国にしてみれば、反日デモか反政府デモに何時変わるかも分らないという不安があるにもかかわらず、政府誘導の形跡があります。
お言葉に甘えて遊びに来ました~
>そして古(いにしえ)こそ尊いと言い続ける思想だ。
儒教ってそうなのですね、、知りませんでした。。
過去が過去になったときすべては未来になるんじゃないかって いつもそんなふうに自分のことを思うんですけれど(私にはちょっと過去に悩みがあったので)
なのでうーんっと 「過去に生きると未来はない」っていう感じで
なので 最近は「前向き」を「なるべく無理なく」心がけるようにしているんですけれどー
中国のみなさんの勢いは なんだか、、「仮に」日本が中国の希望どおりに たくさんたくさん謝って たくさんたくさんお金のことを援助して差上げても
絶対に 日本のこと、赦してくださらないような気がするんです
そこが 悲しい。。(なんて 勝手な想像なんですけれど、、ごめんなさい)
赦さないっていうことは 過去に生きるだけになってしまうようで・・
私の母の実家が まさに出雲にとっても近くって たたら製鉄っていうのが盛んだったんです
そっかー そういう背景があったんですねー
儒教についても、それが国教化されてからも漢、唐と世界帝国を維持してきたのだから、いちがいに「停滞原因」とみなす訳にはいかないでしょう。むしろ宋以後の朱子学による硬直化が原因と自分は見ています。それ以前の儒教はもっと瑞々しいものしたし、論語を見る限り、孔子は好奇心を否定していないとも思います。
司馬史観は面白いのですが、彼は小説家で歴史家ではないので、その記述には限界があると考えた方がよいのではないでしょうか。
謝罪については、日本は果たしてドイツに匹敵するような、徹底した謝罪を行ってきたのかどうか、疑問があります。むしろ、謝ってはそれを打ち消すような言動を繰り返してきた、というのが真相でしょう。
むろん、中国の反日的な歴史教育も悪いと思いますが、他人を非難するまえに、自分を振り返って姿勢を正す、ということが日本は出来て居ない。それが嫌われる原因ではないでしょうか。
中国へ行ってきました。
いたって日本人にも親切でしたよ。向こうは、今では観光客に解放され、日本と比較にならない観光客が押し寄せています。
必然、かなりコスモポリタンな思考を持っているようでした。儒教だの中華思想など過去のもののようでした。