
子を消してもコケシと可愛いがられるが如し。
「親切」のいわれ
親切は、「親を切る」という意味ではない。
「親」は「親しい」「身近に接する」という意味で 、「切」は刃物をじかに当てるように肌身に応えるという意味で使われ、「身近である」「行き届く」という意味がある。 つまり、 身近に寄り添い、行き届くようにすることが「親切」の意味だそうだ。
「コケシ」のいわれ
貧しい家に生まれた赤子を口減らしに殺してしまい、供養するために身代わりとして作られた物。それ故、コケシの語源は「子消し」であるという。
しかし、コケシの語源としては芥子(けし)人形から「木で出来た芥子人形」が元になったらしく、「芥子(けす)坊主」「こげす」とよばれていた。
「こけし」は、後者の「こげす」から来ているというのが、一番有力らしい。
明治時代から昭和初期まで地域で色々な呼び方があり、きでこ・でころこ・でくのぼう(木から作ったという意味の木偶-でく-が語源)や、きぼこ・こげほうこ(赤ちゃんを模しているので這子-はいこ-が語源)や、前述のこげす・芥子人形とバラバラだった。
昭和15年に愛好家が、名前を統一しようと呼びかけ「こけし」が採用された。
つまり、「こけし」が「子消し」とも読めることから、口減らし説は後の人が創った作り話なのだという。


日常的に使う言葉ですが その「いわれ」は
考えたこともありませんでした。
親切に、ご解説いただき
なるほど~と納得しました
為になるブログですね (^^)/
それにしても冒頭の謎かけはよくできています。
昔、落語家が「○○とはこれいかに」と聞くと、すかさず「××が如し」と返す頓知問答がありましたが、今日はそれを思い出しました。
>以前、「くだらない」を「もののはじめ」サイトで古代をかじったため百済にかなったものでないのを、左様に表現するのかと思ってました。(^^ゞ
実際は、上方の上物にかなわぬものを流通させるときに「くだらない」というのだそうです。京や難波の品を江戸に下すのだそうです
昔は大阪が上方で江戸に下ったのでしたね。
今は東京が上りで、大阪は下りです。
明治も148年経つと隔世の感ですね。
好きとうそぶいていたかもしれませぬ。
別府に、小学校の修学旅行で行ったときもこの赤鬼がかまどを守ってました。平成1年の時にこどもたちを連れて行ったときは、
鬼のキャラクターたちがそれぞれの地獄にいました。ご当地キャラの元祖でしょうか。
地獄でも ご当地キャラが おもてなし / iina川柳
大いに免税店で、大量に商品を買って持ち帰って欲しいです。
今週のニュースに、静岡空港が賑わっていると報じてました。 閑古鳥が鳴いていた静岡空港にツーリングして乗り降りを
スムーズにしたいと考えて中国便に客を誘導したため、便数を5倍ほどに増やしたそうです。 閑古鳥が観光鳥に化けた
のですね。(^^ゞ
明治時代に、諸外国の文化を東京に卸して、東京から他地方に配電盤の如く流したことで、近代化を図ったようです。
一極集中の弊害の基は、この仕組みにあったと思われます。それまでは、地方には文化の独自性があったのに悔やまれ
ます。