もののはじめblog

コメント歓迎 ! 
必ずコメントに参ります by iina

落柿舎

2012年11月04日 | 歴史街道

落柿舎らくししゃは俳人で松尾芭蕉の門下の一人であった向井去来きょらいが閑居した跡。


「落柿舎」のいわれは、商人が庭にある立木のままで柿の実の買い入れを決めて代金を置いて帰ったその夜、嵐で柿の実が全て落ちてしまったことから、それ以降、この庵を「落柿舎」と呼んだ。去来は全額を返し、商人をえらく感激させたと伝わる。

去来は次のように詠んだ。
  「柿主や こずえはちかき あらし山」

此処を訪ねるなら、言わずもがな柿のなっている秋が好い。


<注>
 写真は、15年ほど前に撮影。

  

コメント (9)    この記事についてブログを書く
« 鯨岩 | トップ | 空の旅 »

9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
 (らいちゃん)
2012-11-04 05:55:34
晩秋に柿が実っている風景には何となく郷愁を感じます。
子供の頃、柿をよく食べて育ったからでしょうか?
今でも柿が好きでよく食べますが、今年は我が家の柿の木にも初めてたくさん実りました。
まだ少し青いですが収穫が今から楽しみです。
返信する
立て札 (鷲谷芝嵐)
2012-11-04 08:08:35
立て札・・・これは落書きなんだ~。
返信する
Unknown (モカ)
2012-11-04 13:43:59
柿の実がたくさんですね。
これなら木のままで「買わせてください」と言われるのが分かるような気がします。
2枚目の写真は、屋根がびしっと決まっていて、よく手入れされている感じですね。
返信する
のどか (ムツゴロウ)
2012-11-04 17:14:19
のどかですね。

柿には、のどから手が出そうです。食いたい。
返信する
柿と言えば (mone)
2012-11-04 22:12:48
柿と言えばなぜか奈良を連想してしまいます。柿食えば・・・のイメージが強いんでしょうか、京都にはいろんな名所があるんですね。長年住んでて何も知りませんでした。

「いつまでもあると思うな親と金」と言うことわざがありますが、「いつまでも続くとおもうな高金利」と言いたいです。
返信する
葉っぱがおちて~ (ryo)
2012-11-04 23:20:52
当地には田舎らしくいたるところに柿の木があり
昨年は生り年で特に多かったですね。

我が家の隣の柿の木が庭に葉っぱやら柿を落とします。
すぐ下に車を止めているのですが、驚いたことに
エンジンの所に牡蠣が黒こげになって入っているのを
ガソリンスタンドで見つけてくれました。

何処から入ったのかか柿が入る隙間は無いはず、
今でも不思議です。
返信する
commentに 柿 (iina)
2012-11-05 09:53:34
(らいちゃん) へ
正倉院に納められた宝物は、日本の宝であるばかりか世界の宝ですね。
一年に1度でも、一般公開してもらえるというのも嬉しいことです。

柿が実る景色は、まさしく古里の郷愁らしさです。
柿は、姉が好きそうです。綴りがよく似ています。




(鷲谷芝嵐)さん へ
落柿舎の立て札は、落書きでしたか ・・・  (^^ゞ



(モカ) さん へ
大阪に暮らしたとき、小学生の我が子がペアを組んで漫才を遣らされてました。それをクラス内で発表するから
と、家でその出来をペア披露したほど「笑い」に熱心でした。
また、会社の人と飲むと大阪の人が盛んに話を主導し、あっけにとられていると、「ココで突っ込んでくれんと
アホみたいやろ」と、あくまで笑いを取ることにこだわりますね。

「落柿舎」では、蓑と笠を庵の壁にかけていると在宅の暗示となるそうですから、未だに掛けてあって今も生活
している雰囲気を醸すと案内されていました。たしかに、そんな風情が残ってました。




(ムツゴロウ) さん へ
「のどか」と『「のどか」ら手』が掛詞になってました。
渋柿を口にしないよう、お気をつけください。



(mone)さん へ
「におい松茸、味しめじ」と申します。
まったけ、ニオイが命の松茸に香料があるのは貴重です。
大阪は、昆布の加工品が発達してますから、「松茸昆布」があるのは当然の成り行きですね。

そうです、柿と言えば 「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」 を連想します。 それと同じくらい当然です。




(ryo)さん へ
スダチは、どんな料理にでも使えて味を豊かにしてくれるので嬉しい果実です。
見たところ実が黄色に熟れているのでカボスのように大きいですね。カボスとて最高の引き立て役を演じますが・・・。

「柿」がエンジン室に紛れ込んだのは、「垣根」を越えたからではないでしょうか。

>クジラは近海物ですか?
北九州は下関の大洋漁業に近く、幼いころは肉屋と魚屋が別々にあるように、独立した鯨屋がありました。
おそらく、そのルートがいまも生きているのでしょうね。
返信する
TB (Digital Life)さん へ (iina)
2012-11-05 11:07:00
土塀の中にまぎれ込んだ瓦は、廃物利用でしょう哉?
京のこと故、意図して使っているかもしれませんね。

そういえば、八坂の塔傍らに、女性を擬している前衛的なお面を売ってました。 
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/a747f7776f183540b32a5be0cb12dab7
返信する
TB (きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ))さん へ (iina)
2012-11-11 10:41:44
新緑の嵐山は、いまは紅葉に変わっていることでしょう。
写真に愛嬌のあるキャラクターが顔を出して面白いです。・・・でも、つかれそう・・・。

大河内伝次郎の別荘は、その側を通っただけですが、見晴らしもよさそうですね。
返信する

コメントを投稿

歴史街道」カテゴリの最新記事