横浜のほほん・続

植物や生き物を見ながら歩いて感じたことなどを中心に日々を綴る。

あちこちで ハロウイン

2019-10-31 06:22:20 | 日記



今日はハロウイン。







ハロウインの詳しいことは知らないが、毎年10月中はハロウインがらみのものをよく見る。







七沢からの帰り道、厚木中央公園で賑やかにイベントをやっていた。







これはどこかの高校の仮装コンテスト。
ほかにも子供も大人も仮装をした人たちがいっぱいいた。







ステージではバンドやダンス。

市内のいろんな団体もテントを張ったりPR車を出したりして、PRやサービス。







こちら海老名のビナウオークでもバンド演奏が行われて・・・







子供達は可愛い衣装。親のほうが楽しんでいるようだ。







暑い日だったので、子供達は水遊びのほうが面白い。




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久しぶりの七沢

2019-10-30 06:08:15 | 日記



雨上がりの日曜日、1年ぶりに七沢の自然環境保全センターに行ってみた。







10月は雨や風が強かったせいか、谷戸は少し荒れている感じだ。







それでもオニグルミの木は健在で実がいくつも生っていた。







花の少ない季節ではあるが、湿地にはミゾソバが見られた。







ボントクタデも広い範囲で・・・







そしてツリフネソウ。ほかにはタイアザミやゲンノショウコの姿も







ミツバアケビには、いくつも実が生っていた。
弾けているのもあって、中の果肉を少しだけ指先にとって舐めてみると甘かった。


そんなことをしていて気がつくと、脚やズボンや靴にヤマヒルが幾つも付いていた。
あわてて取り除いたが既に2ヶ所は血を吸われ始めていた。
10月下旬なので油断をしていたが、やはり雨上がりの湿った地面にはたくさんいるようだ。




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御土居

2019-10-29 06:30:24 | 日記



北野天満宮の西側に普段は入れない区域がある。







北から南に紙屋川(天神川)が流れている。
その河畔のあたりが御土居と呼ばれる史跡だ。
京都に住んでいる頃も訪ずれたことはなかった。







これから紅葉がきれいな季節になるので、もみじ苑として特別公開が始まった。







昔の京の都は東に鴨川、西に天神川が流れ洪水の被害が絶えなかった。
また外敵から都を守る目的と併せて、豊臣秀吉の命により周囲23kmにわたって土塁を築いた。
左手に見える部分が、その一部だ。
これを御土居と呼び、現在も市内9ヶ所に遺跡が残っている。







しかし土塁は外からの水を防ぐかわりに内側の水も外に排水できないということだ。

北野天満宮の東側の川は御所の御用水にされるほどで天満宮は清浄の地とされていた。
そのために境内に悪水が溜まらないように土塁の下に葯20mにわたって切石組暗渠を設けた。
この御土居だけ悪水抜きを設けて北野天満宮という神域を守ったのだ。







御土居の区域を散策していると、ひときわ大きな紅葉(もみじ)があった。三つ叉の紅葉と呼ばれている。
樹齢400年を超えるとされ、どうやら御土居の建造前から紙屋川の川辺に自生していたらしい。







根の所から幹が分かれているので三つ叉と呼ばれたか。今は四つ叉にも五つ叉にも見える。
老木のため養生中のようだった。







御土居からは北野天満宮の境内が下に見える。







休憩所で、ほうじ茶とお菓子を頂く。

天正十五年、秀吉は「北野大茶湯」を催したそうだ。






千利休が催した百会の茶会の様子を記した「利久百会記」に「ふのやき」という菓子が七十回も登場するという。
京都の老舗・老松が、その「ふのやき」をアレンジして作ったのが、このお菓子だ。美味しかった。






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久しぶりの天神さん

2019-10-28 05:57:35 | 日記



久しぶりに京都の北野天満宮を訪れてきた。
前に見えるのは三光門で、その奥に本殿(国宝)がある。







本殿は豊臣秀頼の命により慶長12年(1607)に造営された。

北野天満宮は菅原道真公を祭神とし、太宰府天満宮と共に全国の天満宮・天神社の総本社だ。
京都に住んでいた子供の頃は、市民の誰もが親しみを込めて天神さん、天神さんと呼んでいた。







参道には露店が並んでいた。毎月25日が縁日なのだ。
道真公は承和12年6月25日(845年8月1日)生まれで、 延喜3年2月25日(903年3月26日)没であることによる。

子供の頃、大映通り商店街に毎月5日、25日、26日は夜店が並んで大いに賑わった。
どうして25日でなく26日かと聞くと「25日は天神さんやから」と教えられた。








参道や境内には座った牛の像が何頭も置かれている。
菅原道真公が太宰府で生涯を閉じ、その遺骸を運ぶ途中で車を引く牛が座り込んで動かなくなった。
それ故、近くの安楽寺に埋葬されたそうだが、その故事により神牛として横たわった姿で祀られている。








菅原道真は学問の神様・・・牛をなでて頭が良くなりますようにと祈る。








最初の三光門の風景は楼門を入ってすぐの所にある絵馬所から撮った。
休憩所になっているが、頭の上には古い大きな絵馬がいくつも掲げられている。







これは野々村通正信武が元禄4年に描いたもので、屋島の合戦における義経の弓流しのようだ。
義経の向こうにいるのは弁慶だろう。







これは色が落ちている部分が多いが、鬼と首引きをしている武将は剛力無双の朝比奈義秀であろうか。







境内の南側には梅苑があり、冬には50種1500本の梅の花を愛でるため多数の市民が訪れる。

天神さんを訪れたのは何十年ぶりだったろうか。
懐かしくも、新しい発見もあり、雨の中で十分に楽しめた。



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公園の中で区民フェスティバル

2019-10-27 06:18:28 | 日記



先日の四季の森公園では、園内のあちこちを使って緑区の区政50周年フェスティバルが行われていた。

南口広場ではアマチュア無線であったり獣医師会であったり区内さまざまな団体がPRを行っていた。







野外ステージでは、いろんなグループのダンスや音楽。







その前の広場では、花や手芸品や輪投げや食べ物いろいろなどのテントが並んでいた。







池の向こうの方では消防のPRで、加振車で地震体験したり火事の煙を体験したり。







ズーラシアも緑区にあるので、ちょっとしたコーナーを出していた。
動物園で亡くなったであろうライオンの毛皮に触って感触を確かめることが出来る。

向こうの方にいる男性達は池に来るカワセミを待っている。







ライオンの隣はキタキツネで、剥製だけれど生きているように格好が良い。







動物園コーナーの隣は、子供達がウサギなどの動物にふれあえる場所。
この時は動物のための休養時間だった。

瀬谷区の広場一面で行うのと緑区のように公園で分散するのと、それぞれ良さも悪さもありそうだ。
どちらも特色を活かすように工夫されていると思った。

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