横浜のほほん・続

植物や生き物を見ながら歩いて感じたことなどを中心に日々を綴る。

能登金剛

2017-04-30 06:35:42 | 旅行



石川県羽咋郡志賀町の福浦港から遊覧船に乗る。
左に見えるのは旧福浦灯台。
日本最古(1876年)の西洋式木造灯台で1952年まで使われた。






能登の岩礁では冬に岩のりが採られる。波に洗われ危険な作業と想像される。
作業しやすいようにコンクリートが張られ、命綱をつなぐ杭も設置されている。






船を進めると巌門に着く。
幅6m高さ15m奥行60mの洞門で、波による浸食で出来たそうだ。
この日は波がひどく中までは船が入らなかった。

福浦から関野鼻まで約30kmの海岸線は奇岩と断崖が続き能登金剛と呼ばれる。






巌門で船を下りて崖の道を上がっていく。






上がったところの散策路に松本清張の歌碑があった。
「雲たれて ひとりたけれる 荒波を 恋しと思えり 能登の初旅」






能登金剛のあたりは松本清張の小説「ゼロの焦点」の舞台になったところで、
入江になっていたり断崖があったり変化に富んでいる。






映画では最後に悲劇のヒロインが、この「ヤセの断崖」から身を投げた。
木柵があって先端まで行って下を覗くことはできなかった。その勇気もないが・・
前はもう少し高く前に張り出していたらしいが2007年の能登地震で崩落した。






遊歩道を更に進むと「義経の舟隠し」がある。幅5m、奥行100mの入江だ。
東北へ下る義経一行が荒波を避けるために、この入江に多くの舟を隠したという。






志賀町の海岸線からは海に沈む夕日が見られる。






この日は薄雲があって、少し残念であった。




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田の風景と神様

2017-04-29 06:32:25 | 旅行



能登をバスで走って、海岸に加え田植えの準備を始めた田んぼの風景をたくさん見た。
世界農業遺産「能登の里山里海」として注目をされるところだ。
輪島市の白米(しろよね)町の白米千枚田はその代表的な棚田だ。





山の中腹から海岸に向けて広がる光景は小泉さんが「絶景だよ、絶景」と言ったのが分かる。





すでに水を張って田植えの準備中だ。





千枚の中にはずいぶん小さいのも多く、最少は0.2平米ぐらいだそうだ。





昔ながらの農法を現在も行っていて、苗代田も復活させている。





季節により時間により、さまざまな美しい光景を見せてくれるのだろう。





さらに北へ進み能登町の合鹿庵というところで「アエノコト」の実演を見た。
アエノコトは奥能登で古くから行われている神事でユネスコ無形文化遺産に登録されている。

毎年12月5日に農家は一年の収穫の感謝と翌年の五穀豊穣を祈って田の神様をもてなす。

家の苗代田へ田の神様を迎えに行き、家に案内して居間で挨拶し休んでもらう。





次にはお風呂に入ってもらう。





そして床の間の前の席に案内し、山海のご馳走を揃えた膳の内容を丁寧に説明する。
一時間後に神様が食したとみて、お下がりを家族がいただく。





神様は俵の上に移って年を越してもらい、翌年2月9日に元の田へ送り出す。


このあと見学者にはスイーツがふるまわれた。



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朝市と塩田

2017-04-28 06:31:04 | 旅行



今回のバスツアーは、2日半で能登半島の20カ所ほどの観光名所を回った。

ここは能登と言えば定番の「輪島の朝市」だ。平日でも大勢の人が来ている。






魚の店が多いが、乾物や瓶詰に雑貨や輪島塗の箸など様々なものがある。






日除け風よけの覆いをしている店もあれば台を並べただけの店も。
立って商売する人もいれば座って低いところに品物を並べている人も。






朝市通りから横道に入ると、こういう家が並んでいる。
能登に多い横羽目板張りの家だ。屋根瓦は真っ黒で艶がある。






朝市通りの近くの交番には「あさいち交番」の看板が掛けられている。






能登のあちこちに朝のTVドラマ「まれ」ゆかりの場所がある。
ここは主人公・希(まれ)がアルバイトをした「あさいち食堂まいもん」だ。
ほかにはオープンングでテーマ音楽に合わせ踊っていた砂浜とか通っていた高校など・・・






希の一家が住んでいた家の大家さんは塩づくりをしていた。
海から水を汲んできて砂の上に撒く光景が何度も出てきた。

今回も塩田は何ヶ所も見たが、ここは「すず塩田村」という道の駅だ。
珠洲の塩づくりは揚浜式で、約500年前と同じ技法を受け継いでいるそうだ。






係りの人が工程を説明してくれる。

写真の桶で海水を何回も汲んできて前の写真の大きな「たらい」に入れて、
砲弾型の打桶(おちょけ)で塩田に万遍なく水を撒く。
太陽に8時間ほど当てて砂(カン砂)を乾燥させる。
乾燥したカン砂を中央に集め大きな木箱に入れる。
上から海水を入れて砂に付いた塩の結晶を木箱下部の溜め池に流し落とす。






こうして採れた「カン水」を大きな塩釜に入れて6時間ほど荒焚き、
1日冷まして濾過し16時間ほど本焚きして出来た塩を4日間寝かせてにがりを切る。






釜焚きのため塩田の奥には薪がいっぱい積んであった。

大変な苦労をして出来上がる塩だけに岩塩とは一味もふた味も違う味わいがあるようだ。



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越中富山の

2017-04-27 06:33:27 | 旅行



2泊3日のツアーで能登半島に行ってきた。
バスツアーだけれど何故か新幹線で越後湯沢まで行ってバスはそこからスタート。
車窓から八海山方面を見る。魚沼産の銘酒「八海山」でも知られる。






関越道、北陸道を休憩を含めて4時間ほど走って富山市内に着いた。
道路の奥の方に立山連峰などの山々が見える。






ここは池田屋安兵衛商店といい昭和11年に和漢薬種問屋として創業した。






反魂丸、六神丸や胃腸薬などいろんな薬を店頭でも販売している。
越中富山藩主・前田正甫は自身が病弱だったこともあり反魂丸などの製薬業を奨励した。
江戸城で他の藩主が腹痛を起こしたとき、正甫が持っていた反魂丸を服用させて回復した。
それがきっかけで越中の売薬が全国的に知られるようになったそうだ。






店内には昔使われていた薬の看板がいくつか掲げられている。
「大学目薬」は懐かしい気がするが、いまでも販売されている。






婦人薬「中将湯」はお湯(風呂)に入れて使い、後にバスクリンにつながっている。
高橋盛大堂の「トリート」は大人の病気の薬だったらしい。






店内に丸薬製造の機械があった。実演もしている。






練った薬を網目のようなものを通して押し出して長いヘラの上に乗せる。
それを台の上に移すと1列分。それを何回も繰り返して上の写真のように並べる。
この段階では、一つ一つは円柱ないし直方体状だ。
上から四角い蓋を被せて押さえつけないよう全体的にグルグル回すとどれも真ん丸になる。



旅行中のこと。初日の夜に京都に住む友人から電話があった。
「高校の同級生に会ったら君の奥さんの体調が悪いらしいと聞いた。」
「そんなことないよ。いま一緒に旅行で能登にいる。」
「旅行するぐらいなら大丈夫だな。安心した。」
最終日、富山駅で別の同級生から電話があった。
「M君から奥さんが病気らしいと聞いたけれどどうなの。」
「おとといS君からも連絡が入って驚いたが、全くそんなことない。ありがとう」
「えー、そうなの。良かった。」
どうしてそんな噂が出たのかよく分からないけれど、
妻のことまで心配してくれる友人たちがありがたい。

おかげさまで今のところ反魂丹も六神丸も、その他一切の薬を服用しなくてすんでいる。




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瀬谷市民の森 いろんなものが活発に

2017-04-26 06:46:20 | 日記



瀬谷市民の森でキンランが伸びてきた。






早いものは黄色い花が少し顔を出している。
連休中は花盛りになりそうだ。






林縁ではツマキチョウがキランソウの蜜を吸っている。






角度を変えて撮ろうと思っていると、不意に飛びたつ。






ハナイバナにはルリシジミが止まって翅を広げている。






こちらも不意に飛びたつと今度は土の上に止まった。
ミネラル補給に切り替えたのか。






水辺に近いところではカワトンボが姿を見せる。






今年はじめてのカワトンボだ。

市民の森は色んなものたちが活発になってきた。


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