横浜のほほん・続

植物や生き物を見ながら歩いて感じたことなどを中心に日々を綴る。

玉虫色で行こう

2024-06-30 16:45:06 | 日記



近所の林の脇を歩いていると何かが動いているように見えた。







枯れ笹にタマムシが止まっているのだった。

朽ち木などで動いているのを見かけるが、草など低いところで見たのは初めてかもしれない。







タマムシは玉虫の名前のごとく、見る角度で緑や赤色に光って奇麗だ。
こういうのを構造色と呼ぶそうだ。







昆虫の中には構造色を持つものも多い。コガネムシの仲間もそうだ。







ハンミョウの構造色も見事なものだ。







カミキリムシの仲間にも構造色を持つものがいるが、このルリボシカミキリは違うらしい。







アオオサムシは構造色で良さそうだ。

昆虫たちの中に構造色を持つものがいるのは、鳥などの外敵から身を守るためだという。







カワセミも鳥だけれど昆虫に興味はなく魚を狙う。そのカワセミの羽が構造色なのはなぜだろう。






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円如寺まで歩く

2024-06-28 16:57:03 | 日記



久留里の市街から少し外れたところに円如寺(えんにょじ)というお寺がある。
山王山薬王院円如寺という真言宗智山派のお寺だ。







お寺の庭で蓮の花が見られるということで、訪れたのだ。
お寺の近くに来ると黄色い花が目に入った。ニッコウキスゲのようだ。







そして蓮田があった。
残念ながら見頃を過ぎていたようで、花はポツポツと残っている程度だった。







ここの蓮は大賀ハスの系統らしい。







蓮田の傍にはホテイアオイも咲いていた。
ホテイアオイを前に見たのは何時のことだったろうか。大阪の万博公園だったような気がする。







オオシオカラトンボが飛びまわっていて蓮の蕾に止まったりしていた。







アジサイの花の間を抜けて円如寺にお参りする。







さほど広くない山のお寺で、京都の智積院を総本山とする真言宗智山派のお寺だ。
大本山には、成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院などがあり初詣で賑わうことで有名だ。
10年以上前に智積院を訪れ、宸殿、講堂、大書院、庭園などを拝観したのを思いだした。



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久留里市街

2024-06-26 16:35:37 | 日記



久留里市街は銘水と共に古い建物がいろいろ残っている。
コトノ珈琲店は地区100年の旅館を改装したのだそうだ。








木村屋金物店は、建材、金物、石油などさまざまな物を売っている。
この建物は戦後まもなくぐらいの建築だが、創業は江戸時代末期の老舗のようだ。







少し町はずれの円如寺に向かって新町あたりを歩いていると神明社があった。
7月中旬には夏祭りも行われるらしい。







神社に近いところに新町元井戸があった。
650m以上の深い井戸から毎分400リットルの水が自噴している。







竹筒は見える部分だけで、水は細いパイプから出てきていた。







近くに古い蔵のような建物があり、木村屋金物店の一部のようだった。








円如寺に向かう道すがら見た草花。
これはオルレア。どちらかのお宅で栽培されていたのが道端に出てきたのかな?







民家の井戸の傍にはギョリュウロゼアという木。私は初めて見た木のような気がする。










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銘水の町

2024-06-24 16:51:23 | 日記



房総・久留里は、水が豊富であちこちに銘水の井戸がある。
近くの三石山系の山林に降った雨が地層を通ることで、ろ過されて地下水脈から湧き出てくるそうだ。

久留里神社の近くには「雨城庵の井戸」があって、こんこんとわく水は美味しかった。
雨城庵とは江戸末期ぐらいに有った藩主の茶室の名前らしい。







久留里の銘水は自噴井戸だが、明治中頃には「上総堀り」方式の井戸掘り櫓で掘ったという。
久留里城の資料館で展示されていた井戸掘り櫓だ。







田丸家の銘水。
道沿いのところどころに銘水の井戸が見られる。いずれも水質検査がされて引用できる地下水だ。







車道沿いの立派なお宅の門前にある銘水。







高澤の銘水。誰でも自由に飲める。








銘水のあるところ銘酒あり。市内に何か所か酒造所がある。







ある店先に古いカキ氷機が何台も展示されていた。
美味しいカキ氷を長年にわたり作り続けてきたものだろう。








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久留里城

2024-06-22 16:58:56 | 日記



「大人の休日倶楽部」の6月号に特集があったので興味を持って久留里を訪ねてきた。
久留里は房総半島の真ん中あたり、木更津から久留里線が出ている。

久留里城の三の丸跡の近くに久留里神社がある。
治安元年(1021)に久留里城主・平忠常が妙見堂として勧請したのが始まりで、
源頼朝が勝山に上陸したときには戦勝祈願したとの故事もある。







久留里神社の近くから久留里城へ上がっていく。







ずっと上り坂なので、杖が用意されて自由に利用できる。







二の丸跡付近に来ると眼下に三の丸跡の一帯が見渡せる。







二の丸跡には久留里城址資料館があって、武士の刀剣や甲冑、上総掘り用具などの所蔵品が展示されていた。







また敷地内に新井白石の銅像があった。
新井白石は父が久留里藩に仕官したため幼少期から久留里で成長し儒学や史学に励んだそうだ。







久留里城を目指して、さらに上がっていくと小さな池があり「男井戸女井戸」と示されていた。
久留里城は山の上にあり天然の要塞であるが、その上に豊富な井戸水があり兵糧攻めにも耐えた。







ここに城を造ったのは戦国武将の里見義堯(よしたか)で天文4年(1535)の頃であったらしいだ。
明治5年に廃城になったが、昭和30年に模擬天守が建造された。
実際に建っていたものとは構造や姿が大幅に異なるそうだ。
手前の盛り土は元の天守台の跡だ。

昨年5月に鯱瓦(しゃちほこがわら)が破損・落下したので、余震を警戒して現在は天守台に入れない。





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