横浜のほほん・続

植物や生き物を見ながら歩いて感じたことなどを中心に日々を綴る。

どうもすいません

2018-08-30 05:50:07 | 日記



上野の一つ先、鶯谷で降りて「ねぎし三平堂」へ行ってきた。先代林家三平の記念館だ。
「どうもすいません」で土曜日と水曜日、それに日曜日が開堂日になっている。






「ねぎし三平堂」は林家三平の没後、自宅を改装し3階に三平の遺品を展示し記念館とした物だ。
自宅前の「銀座の柳四世」が剪定中だった。






階段を上がっていくと「今来るんじゃないかと噂してた ところです」と迎えてくれる。
隣では息子の2代目三平が「こうやったら笑って下さい」のポーズをしている。






広いフロアいっぱいに年表、遺品、記念品、写真などが展示されている。
ちょっとした高座もあり、毎月第三土曜日には落語会が開かれるそうだ。






数枚の年表で林家正蔵の長男として生まれてから軍隊、父に入門、結婚、テレビやラジオで大活躍など細かく紹介されている。






展示されている数々の遺品から、私生活での趣味や普段の努力なども垣間見られる。






書斎の仕事机、大きな椅子に座って音楽を聴いたりブランデーを飲んだり煙草を吸ったり・・・
NO SMOKING PLEASE というプレートが置いてあったりして面白い。






大鵬、淡島千景など数々の有名人との写真。
テレビやラジオ番組での様子を示すパネルと台本、寄席などの音源、当時の大活躍と時代を偲ぶことができる。






愛用品や手紙なども数多く展示されている。






昭和21年からの日記帳がほぼ全て現存しているそうだ。
夫人が入院し次男(現在の2代目・林家三平)が誕生するまでの2日の様子や気持ちもつづられている。






昭和20年 ネタを書き始めた頃のノート。
「貴女は美しい、僕の心の太陽だ月だ星だサーチライトだロウソクだ」だんだん暗くなります。
昭和21年のノートに記した「座右の銘」。たとえば「創作は常に必要にして日々新た成るべし」など。






これは林家三平がまだ二つ目ながらテレビの寵児となっていた頃、
新潟県の中学3年生笠井光男君から弟子入り志願の手紙が届いた。
しっかりした手紙に感心する。見事、入門が許され「林家こん平」として大成する。
リハビリ中だが先日もテレビで元気な姿を見た。






1時間に1回、モニターで源平盛衰記が放映される。
父である林家正蔵の十八番であったが、もちろん三平らしいギャグが満載だ。

大変楽しい記念館であった。



コメント (2)
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