「寄稿」〈実に腹ふくるる心地の〉ばーばより・そのⅡ

2013-06-25 10:39:00 | 日記
  謝罪すればいいってもんではありません……そのⅡ

参院選にむけてでしょうか、自民党の国会議員が何人も来県しています。
23日には同党の野田聖子総務会長が来県し、「政権に復帰したが、反省すべき点がある。不本意な発言があり、東日本大震災の傷が癒えない皆さんにご迷惑をかけた」と述べていたそうです(2013.6.24福島民報)。
県内の白河市や郡山市での演説ですから、東日本大震災全般に渡った発言というより、「原発事故による死亡者はいない」と発言した高市早苗政調会長へのフォローであったろうと私は考えます。
私は、先の高市早苗政調会長の発言と、謝罪とも言えない「謝罪発言」に対して怒りを覚えている県民の一人ですが、この野田総務会長発言に対しても新たな怒りを覚えました。
たとえば、ある学校の現場で、一人の教師が、教師にあるまじき発言をし、生徒や保護者に多大な迷惑や不快さを与えた場合、校長や同僚の教師が、保護者や生徒たちに謝ればいいということにはならないと思います。
もちろん本人からの謝罪は当然ですが、その発言に対して、何等かの処分がなされるのが社会的な規範ではないでしょうか。
公務員として相応しくないコトバを、ツイッターで発してしまった復興庁の水野参事官は、その責任としての行政処分を受けているではありませんか。
任命した安倍総理、ふさわしくない発言をした高市政調会長を辞めさせて下さい。
そのことこそが、筋の通った本当の謝罪ではありませんか。
でも、外国に日本の原発を売り込もうとしている自民党の長、安倍総理は、心の中で高市政調会長の言に共感しているのかもしれません。
だから、今は、物言いに注意しなさいなどという忠告だけにしたのでしょう。
都議会選では「アベノミクス」が認められたと自賛している安倍総理。原発の被害を今なお受け続けている福島県人たる私は、来るべき参院選には、原発推進の党には決して票は投じません。

「消せない火」高線量下で働く作業者に線量計を持たせなかった・その13

2013-06-25 09:06:39 | 日記
 4.1
   線量計が無い・それは許せない

 第一原発の事故処理に携わっている作業者に、線量計を携帯させずに作業をさせていたことが判明しました。東電に対し強く抗議します。同時に政府と国会に対しても問題をうやむやにさせない対応を求めます。
 これは「ブレーキの利かない車に乗って走れ」と命令することに等しいものです。
 建築現場で言えば、高所作業につく者に安全帯を着用させないで作業をさせたよりも重い罪です。建築現場では、このような行為は違法として事業主、あるいは現場監督者は書類送検という法的制裁を受けます。場合によっては「営業停止」という重い制裁もあります。
 今までは、東電の現場管理については「想定できない問題と、その連続の中で100点満点は無理だあろう」との理解をしたい一面もありましたが、この度の「線量計」の問題は絶対に許せません。安全衛生管理の規定により処罰されて良い中身です。しかし地元の福島労働基準局が取ったのは「口頭注意」です。おかしいです。私にはわかりません。
 「前線」で復旧に携わっている協力会社の作業者をどのように考えているのでしょうか。下請け作業者として軽視しているのでしょうか。「職場放棄」の抗議運動が起きても不思議ではありません。その運動を支持したい気持ちです。しかし今は、「なんとしても、彼らの力を借りて『消さなければならないし、消して欲し』」。この矛盾もあります。

 昨今のニュースも含め、報道がますます「東京化」していくことを痛感します。
 「福島は今もって揺れています。再度の津波も恐れます。それが揺れと津波と原発の再爆発という『極限の不安』にたじろいでいるのです。「原発災害の全県的な拡大への不安です」。現に58㌔離れた郡山市でも、壊れた家屋、塀などの復旧をためらう方が多数います。果たして、ここに永住できるかという不安です。ならば、その修理の金を別な使い道(避難先での)と迷っていることも事実です。
 
 私たちは確かに「反原発」の勉強もしました。また地元に出かけ原発反対の運動にも参加しました。しかし、これらも原発の危険と災害を「仮定としてとらえていた」ことは事実です。また、事故が起きても「死の灰」が阿武隈山脈を超えるとは考えてもみませんでした。それが現実をとなって目の前に現われたことに、なすすべもなく慄き、おじ惑い、うろたえています。迂闊でした。
 今「原発の是非とか、廃炉にすべき」とかの論議をしている時ではありません。「消すことです」。そのために私たちに何ができるか。「戦時の玉砕」ではありませんが、被ばく死を覚悟して高濃度の状態にある現場に走りますか。そんなことはできません。「きついことであり、大変なことではありますが、今は専門家に託す」しかありません。これが率直な想いです。それだけに「計測器」の不携帯には怒りを持つのです。

 「避難者の実情が、帰る土地が無いと言う意味では他県とは違う」ということを、再度訴えたいと思います。
                                                       

「消せない火」戦時の空襲警報サイレンを思い出す・その12

2013-06-24 08:36:46 | 日記
 3.30
  「何としても火は消して欲しい」避難者の皆さんへの支援」を

 「福島県は、未だ『揺れ』の中にあります。重ねて訴えたい。罹災による苦しみや不安はどこでも同じですが、福島県は、そこに原発が加わるトリプル災害で苦しんでいます。そして、他の罹災地とは異なる状況がもう一つあります。仮設住宅が作られようとしています。しかし、そこに入るということは考えたくないのです。住める家が残されているに、その家に住むことができない、帰れないということです。それだけにある意味では深刻です。
 また他県とは異なり、より遠方への避難が拡大しています。遠くは沖縄への避難もそうです。この間、3回も避難所を渡り歩いたという事実も生まれています。まさに「流浪の民」です。 
 ありがたいことには、避難先では、地元のボランテャの皆さんの善意による炊き出しなどの支援を頂いています。私も、避難所のホールに出かけては「聞き役」に努めています。しかし、これらには限界があることを承知しなければなりません。 
 郡山のボランテャの皆さんの中には、炊き出しの支援から、鍋、釜、ガスボンベを避難者に提供し、自分たちが、自分たちの食事をつくるべきとする支援に切り替え始めたところが出てきました。「自分の食べ物は自分がつくる」。この当たりまえなことを手助けをするという企画です。 私は、このボランテャの考えは正しいと思います。

 4.1
   ようやくガソリンが満タンに
 
 スタンドでの給油も10リットルまででしたが、今日は、ようやくガソリンを満タンにすることができました。所要があって福島市へ。安心して往復120㌔を走行することができました。
 早朝と夜の7時半ころに余震があり、震度3の揺れがありました。
 慣れとは恐ろしいものです。戦時中の空襲のサイレンに、はじめは右往左往しました。しかし何回か繰り返される中で、「危険の程度」を予測することができるようになり防空壕に行かず寝ていた記憶がよみがえりました。
 人間は慣れるものです。眠りにつく前にそんなことを考えましたが、同時に浜通りに大きな揺れが来なければ良いがと念じたことも事実でした。


「消せない火」ガソリンは来ましたが、避難者の生活は最悪です・その11

2013-06-23 10:14:14 | 日記
 3.29
   ここにきてガソリンは給油ができるようになりました

 3.11から18日目、ここにきてようやくガソリンの給油ができるようになりました。灯油も配達車が回るようになりました。
 しかし、「被爆」の件です。1時間置きに観測している「放射線量」の数値は、間違いなく下降をたどっています。当初は、毎時10マイクロシーベルトであった福島市では3.0マイクロシーベルトを割りました。郡山市も同様です。いわきや相馬も0.9前後となっています。確かに、原発現地は大変な状況にありますが、そのことと被ばく線量とは「世界を別」にして考えてよいというのが大方の常識となっています。よって原発基地の状況が、これ以上悪化させないあらゆる手を打つことに成功すれば現状を維持することができるかも知れません。 
 しかし、これとて未知の課題があります。いわゆる「累積放射線量」というものです。尿などの排泄により、体内に侵入した放射能物質は排泄されると聞いています。ですが、累積される被曝の値がどのような形で出るかはわかりません。これも無視することはできないでしょう。国内だけではなく、原発先進国を含めた世界のあらゆる知見を集約し、解析し、対策を講じることを切に願うものです。 
 
 もうひとつが避難者の生活です。すでに4箇所の避難所を渡り歩くという状況が出ています。今日は暖かい日差しの一日となりましたが夜は別です。大きな体育館で、ダンボールの上に毛布という睡眠は堪えられません。一方、旅館、民宿、ホテルなどはガラ空きです。閉館に追い込まれている旅館も沢山あります。避難先として活用することを考えても良いと思います。例えば、一日の宿泊費を3食を含めて「2500~3000円位(セルフ)」で賄う。旅館やホテルの経営者も検討の余地があると思います。そして本人負担の負担も考慮しつつ、国・東電・自治体の補助負担、そして義援金で賄う長期戦の方針を考える時期になっていると判断します。
 さらに、これも例えですが、その旅館での炊事、掃除などの仕事を宿泊者の希望者がパート先にするということもあって良いのではないでしょうか。いずれ避難は長期になるでしょう。パートでもなんでして働くという意欲を持つことも必要だと思います。いつまでも「炊き出しや配食」の前に列をつくる生活を続けていくべきではないと思います。早い時期に、しかも長期戦であるとすればなおの事、生活のリズムを変えるべきです。
 
 また悲しいことがありました。隣の須賀川市で農業を営む男性が自殺をしました。学校給食の食材を納めていた方でした。低農薬で育てたキャベツ3500株が、収穫を前にして汚染されたとして出荷停止になりました。その畑で命を絶ったのです。放射能は、60㌔も離れた土地でも、しかも原発とは全く関係のない人の命までも奪うものになってしまいました。          

「消せない火」私たちに、被曝の全身状態がありません・その10

2013-06-22 04:52:00 | 日記
       
 3.27
   私たちは、風評被害に苦しみ、疲れています

 揺れの間隔は長くなりました。しかし、今も揺れは続いています。津波のつめ跡も除々にではありますが復旧しつつあります。福島県以外の一部においては仮設住宅の建設が始まりました。しかし、福島は原発の不安でいっぱいです。帰る土地、家があるにもかかわらず帰れないのです。そこで生活ができないのです。避難先の厳しさの実情は変わりありません。 
 何回か紹介していますが、20㌔~30㌔という「屋内待機地区」においては、商店も閉じ、品物もなく、油も入らず生活ができません。「屋内待機」は不可能です。他地区へ避難するしかありません。これは自主避難となるのでしょうか
 また、いわき市です。37万人の都市です。ここでも同様なことが起きています。市の多くが30㌔以上です。しかし電気・水道、そして油、加えて原発放射能の不安です。災害発生時からの二晩で万単位の市民が脱出しています。これは前にも書きました。
 さらに避難地区から出た10万に近い皆さんの誰一人として、被爆の全身状態を示す人はいませんが、風評によって被爆者扱いにされています。よしんば、被爆していたとしても、原発は国の政策であり、その政治を認め、その原発エネルギーがもたらす経済成長の恩恵を受けてきたのは国民でした。原発県の私たちへの同情と援助があっても、差別されることには納得できません。「悔しい」の一語に尽きます。
 風評被害の事例をあげます。須賀川市(郡山市の隣)があります。ここは有名なキューリの産地です。そのキューリが出荷した先から送り返されてきたのです。他県からすれば、もはや福島は被爆地であり、被爆者であるということです。
 また、マスコミが取り上げるニュースのあり様です。学者、専門家と称する方々を登場させ、同じ専門家を批判し、異なる知見を発表しています。 
 また、ロシアの放射線測定の写真を掲載しつつ、外国人の出国(大使館の家族など)を報じていました。そして、隣国の韓国における日本からの輸入品測定などの記事です。
 今この時期に、このようなニュースの報道に何の意味があるのでしょうか。あるとするなら自国民の不安の煽ることですか。すかさずWHOがこのことを指摘しました。
 正しい認識を政府の責任で報道すべきです。もしそれができないとするなら政府も信頼できなくなります。それは「政治の否定」です。