「消せない火」誰でも寒空の下より、暖のある部屋を求めます・その6

2013-06-17 09:17:58 | 日記
3.19
「受信」 浜の友人からのメール。「私は避難をした」ことが

 今日避難所から戻り久しぶりに貴方のメールを見ました。ありがとうございました。 今回、避難所に長期間入っていていろいろと感じるところがありました。
大変な事態にあるのに避難所の中は醜い嫉妬や非難、悪口など、どろどろの醜態が渦巻いています。また私自身が、どのような行動をとるのが正しいのか現実の場にあって大変悩みました。 
 自分の家族を守らねばならないし、事故の経過も見通せないなかで、誰をどこに避難させるか本当に身をきる思いの決断です。しかも、一刻の猶予もないなかで、私は14日の水素爆発で決断し、息子、孫を引き連れ仙台に向かいました。
 しかし地元では津波被害に汗を流している仲間がいます。燃料がなくて避難できない仲間もいます。結局のところ、私は仲間や地域を捨てて逃げた負い目を感じています。 子や孫を守る責任と、自分の思想に生きることと、そして現実の行動です。
 この問題を自分の中で整理するには死ぬまでかかるかも知れません。またギリギリの選択の中で、家族や親子との関係。仲間や地域の関係にも大きな影を落とすかも知れません。重い課題を抱えた自分のこれからの進路に迷いを感じています。

 3.19
   「返信」避難したこと、その責めを感じることはありません 
 
 混乱の中、メールありがとうございました。
「家族を守れないものが、どうして他人を守れるでしょうか」。もちろん瞬時的には「自ら顧みずに危険に飛び込む」ということはあるでしょうが、誰しも、自分の精一杯の間の中で物事を考えます。別記しましたように、多くの被災地での悲しみや混乱、そして多くの避難先での苦渋の映像を、コタツに入り、ストーブがついている部屋で見ている。もしかしたら、私もそうでしたが晩酌をやっているかもしれません。それが人間ですし、そのこと自体卑下することは無いと思います。
 問題は、その中で何ができるか、何をやるか、何を残せるかだと思います。
 ガソリンもありません。車も動けませんから支援にも行けません。そこで私はメールの交信を続けることにしました。そこで貴方のメールを頂けたことが嬉しいのです。
 今まで何人に送信したでしょうか。でも「受信したとの報告」も含め、返信を頂けたのは極少数です。この人であれば、多分メールを駆使しているだろうと思い「メール見てくれた」と電話をしますと、開いていないとなっています。
 今「原発運動の総括の必要」などの発言があります。しかし、この期に必要なものは相互の情勢交換ではないでしょうか。安否の確かめ合いではないでしょうか。
 言葉の交換が有効な道具であるなら最大限に使うべきです。そしてこの事実をしっかりと自分の目で見て、きっちりと記憶し、記述すること。自分の言葉で語り広めることだと思います。
 本日も封書を5通持って投函してきました。メールでは届けられない知人への手紙です。
 自分を責めないで下さい。誰でも「寒空の下にはいたくありません。暖のある部屋を求めます」。