私たちは「消せない火」を燃やしてしまいました・その2

2013-06-13 10:11:17 | 日記
3.14
   東電は社会的責任を果たせ
今も余震が続いています。いつまで続くのか、これ以上の被害がないことを祈ります。それにしても恐ろしい現状です。第一原発には6基あります。2号機も時間の問題だと思います。
最も、恐れていたことが現実のものとなりました。避難者も郡山まで来ています。 15万名の大移動です。まさに中東の日本版です。しかも、この「消せない火・消す方法が知らない・マニアルにない火」。そのような、あってはならないことが現実のものとなりました。

 政府は、最悪の対応に踏み切るべきです。住民のパニックを政府は恐れています。そして原発政策を否定することになることをも恐れていると思います。加えて企業の責任です。東電・東芝など原発施設の中枢にかかわってきた企業のトップの姿勢です。 
 頭を下げ、詫びろと言っているのではありません。現地で率先指導にあたるべきでしょう。東京にいる事態ではないということです。

 そして、本日の毎日新聞に、国会における社民党の福島党首との質疑の場で、菅首相が「東電からの報告が遅い」と述べたとの小さな記事がありました。これが企業の本性でしょう。そのことも忘れてはならないことだと思います。当面の報告はここまで。
                                                         
 3.15  
   時間が経過するにつけて、明らかになる大惨事
 3.11の地震発生当時、私は出先の事務所にいましたが、揺れと、棚や机の上の物が飛んでいくことにガマンができず、外へ飛び出しました。立ってはいられませんでした。 地べたに、両手をついで四つんばいでした。目の前には折りしも下校途中の小学生が一塊になり泣き声を上げていました。目の前のバイパス高架橋がぎしぎしと音をたています。しかし、不思議と頭の中は空白であったように思いました。揺れも一段落、突然一寸先が見えない猛吹雪がやってきました。10分間位であったか、もっと長かったか。

 帰った自宅は、足の踏み場も無い状況、家内は座布団を頭にかぶっていました。不思議とテレビはついていました。落下もせず、電源も消えず、アンテナも倒れていません。それでも余震は続いていました。しばらくして、テレビの映像に映し出されたのが大津波の恐ろしい光景でした。
 
 まだ我が家は、そして郡山は助かったと自分を慰めているところに原発のニュースです。「揺れと津波と原発」のトリプル惨事です。
 以来、私はこの時に生きた者として、これらの事実をしっかりと見据え、そしてこの記憶を記録に残そうと決心しました。それがメールの送信でした。