「消せない火」ガソリンは逃げるために残しておきたい・その7

2013-06-18 08:00:18 | 日記
3.21 
ガソリンは逃げるため残しておきたい意識に                                                         郡山は雨です。
 放射線量は2.5マイクロシーベルト前後で上下はありますが、ほぼこの数値で推移しています。健康には影響にないとの説明は受けていますが、雨の日、無理に出ていく必要もないので自宅にいます。しかし、今日はごみの収集日です。合羽を着ていない作業員が収集にあたっている方をみますと、申し訳ないなあと思います。
 ところで異常な状況下では異常が増幅されます。今度は原乳と露地物の野菜が出荷できないとなりました。そして一部ではありますが水道水の汚染の問題が出てきました。この値も問題のないものですが「検体」の検査結果が出るまでは給水停止となりました。
 長崎大学の世界的権威の山下教授が、福島県の合同対策本部に常駐され、安全知識の啓蒙指導にあたることになりました。報道を通してわかりやすく、丁寧に説明されていますが、現地の人間にとっては今後の収束に向けた展望が一番知りたいのです。
 そのことは、もし3号機が爆発したら「プルサーマル導入の炉です」どの程度の被爆が考えられるのか、その放出量が安心と言えるのかとなります。山下先生もこのことの説明はできていません。
 すべてが見えない、わからない中での不安な毎日です。そこにきて油がないとなります。スタンドのタンクも空です。電気は来たが水道は出ない。指定の給水場まで行くガソリンが惜しいとなります。そしていつも頭のどこかには、もしも避難するとなれば「ガソリン」がという意識がこびりついて離れません。いつまでに復旧できるのか。その説明もない中では尚の事です。
 今なら脱出できる。そこで、「いわき市」では3割以上の市民が出て行きました。私の友人も自分は厚木の弟のところへ、妻と子供は妻の実家九州へ。「見えない。知らない。判断ができない」という不安が市民を走らせました。「風評に惑わされるな」と叫んでも、押しとどめることのできない状況に来ているということを痛感します。
 原発炉は、今のところは落ち着いているとの報道です。なんとかこれ以上の異常が出ないことを願います。
 それにしても不思議に思うものがあります。毛布など外国からの援助物資が大量に到着していると報じていますが、ニュースの画面で目にするのは国内の物です。横文字やハングル文字のダンボールは見当たりません。あればそのことをマスコミは意識的に報道するはずです。
 またフランス製の「コンクリート挿入機」(50数メートル高さからの放水)の活用が報道されました。ピンポイント・遠隔操作ということで関心を持ちました。しかし今になっても現地に到着していません。つまり混乱しているとはいえ、統一的な指令が不在と言うことを痛感します。
 新聞、あるいは野党が、政府の危機管理・統一的司令塔の欠如を批判します。それはあたっていると思います。だがそれだけでは解決しません。この期にあたって、政府・国会が一体となって、「全的提案、参加型」の政治を望みますが、実現は望み薄のようです。