今もって、トイレがないと言わない訳は

2013-06-05 15:13:18 | 日記
 原発廃炉費の会計見直しというが

 2014年サッカーワールドへの出場権を争ったオーストラリヤ戦。新聞もテレビも大きく取り上げていた。
そんなに大きな出来事(ニュース)なのだろうかと訝る私だが、「何もそのように斜にかまえる必要がないでしょう。日本のチームが世界一を目指して戦うチャンスを掴んだのだから、すなおに喜んだら」。という声が返ってくるように思う。
でも、でもである。ニュースにして悪いわけではないが、そのことによって見過ごし、あるいは省略されるニュースのあることを悔やむ。その一つが「前倒し廃炉」で会計見直しというニュースである。

 電力会社は、原発の稼動を40年超運転することを前提に廃炉費用を積み立ててきた。しかし、国の安全規制強化の結果、「前倒し廃炉」が迫れられることになる。廃炉費用は巨額であり、電力会社の経営は立ち行かなくなる。政府(経産省)は、損失処理の会計制度を見直しに動くということである。

 原発の建設は「トイレ無きマンション」に喩えられた。作ったマンションにトイレが無いのだ。それでは住みようが無いのではないか。しかし、トイレを作らない前にマンションを建て、ゆくゆくは、トイレを作る費用を積み立てていこうという会計処理をした。そのトイレが想定したものでは役に立たなくなった。だからあらためて会計を見直そうというのである。

 「裸の王様」という物語がある。裸で歩く王様を見た子どもは「裸で歩いている」と叫んだ。
 どのようなトイレにするかも考えず、またトイレが無いままマンションを建てた。「トイレの無いマンション」だと大人も叫ばず、子どもも気がつかなかった。

 為政者はいつも巧みに国民をごまかす。
 ここにきて会計処理を見直すと言う。何のことはトイレをつくるための新たな予算処置をするとぶち上げたことなのであるのだが、そうは言わない。
 では尋ねる。どのようなトイレを作るのかも決めずに、どうして予算を立てられるのと、会計処理ができるのかと。
 
 昔からある「二本橋トイレ」か。それでも用は足せる。水洗式か、和式か、洋式か。浄化槽式か、下水道式か。その費用の違いは膨大である。
再度述べたい。会計処理でもない。予算処置でもない。とするなら狙いはと。それは国の負担、強いては国民の負担を課すことの準備であると見抜かなければならないと思う。

 フィンランドの廃炉建設は有名である。「オンカロ(深い穴)」と言う。10万年の保管・管理を設計したものであるが、未だに未完成である。地震国日本で、そのような深い穴を掘り、保管し、管理できるのだろうか。これだけでも未知の世界である。どれだけの年月が必要か。どのような方式で放射能物質を閉じ込めるのかも不明である。どれだけの費用を必要とするのか。設計が不明であれば予算も立てられない。

 ところが政府は有識者会議を開き、①積み立てをどうするか。廃炉となれば資産価値が無くなる。②その損失の計上をどうするかなどを話し合うと言う。
 江戸っ子であれば、さしずめこう言うだろう。「何言ってんだい。『てめいのけつ』から出るものの始末も考えないで、糞・ション便をする馬鹿がどこにいるかい」と。

 楽しいニュースも良いだろうが、マスコミが「時代の社会的公器」というのであれば、取り上げる重さに違いがありすぎないかと考えるが、どうだろう。