武器を使うということ・戦争をするということ

2016-09-12 16:46:31 | 日記

 武器を使うということ・戦争をするということ

 

    「無人爆撃機」1万キロ先から誘導。現地の兵隊はのみならず、誤爆であったにしても民間人を殺傷した操作兵士が、自宅に帰ればその手で我が子を抱き上げる。このことについては過日のブログに書いている。

     そしてロボットの装甲車の登場である。それだけではないネットはいろいろな情報を提供してくれる。その一つに「ミサイルに変身して自爆攻撃するドローン」の紹介がある。イスラエルの主力航空機メーカーで、自国の国防軍の軍用機などを製造しているIAI社が無人航空機(ハロップ)を開発した。技術的には「うろつき型兵器」に分類されるという。つまり攻撃目標を定めるまで飛び回る無人機に付けられた名称である。そして自動追跡が設定されたあとは「カミカゼ」的な使命を帯びて目標に向かい自爆をする。別名この「特攻ドローン」とも呼ばれる無人航空機は、2015年の夏にIAI社が行った実験で、無情なまでの効果を上げる武器であることが証明されたと報じている。

     弾頭には約15kgの爆薬が詰め込まれる。最大6時間、上空を徘徊することができる。そして通常光と赤外光の両方で標的を観察できるカメラを備えている。まさに恐ろしい無人兵器の到来である。「二足のロボット兵」の登場も時間の問題かもしれない。

    昨年夏の参議院予算委員会において、当時の民主党の議員であった福山哲郎氏が政府と次の質疑を取り交わしている。その一部を昨年8月のブログに掲載をしていることを断っておきたい。さてその質疑の内容である。「後方支援も、従来の『非戦闘地域』の概念よりずっと危険であり、自衛隊員のリスクは高まる」と述べたうえで、このリスク高まるということについて安倍総理は認めておられない。それだけではない「今までも、自衛隊員は十分リスクを覚悟して任務を遂行してきた。もちろん訓練においても、災害救助の場においても隊員はリスクを覚悟で任務を遂行してきた。そして今まで1800名の隊員の尊い犠牲があった」と答えている。「戦場における死の覚悟という質問に対し、この『はぐらかし回答』は無責任そのものである」と福山議員は怒る。当然である。

    そして今般、現地における「駆けつけ警護」が任務に加えられた自衛隊員が南スーダンに派遣される。「戦場とはどういうものなのか」「武器を使うということは何を意味するのか」ということを実体験するかもしれない派遣である。

     安部首相をはじめとして、所管大臣そして防衛官僚は理解をしているのだろうか。戦場は人間の理性が通用する「世界」ではないということを。そして第二次大戦時とは比較にならないほどの殺傷力の武器が開発、使用されていること。加えてロボット兵器の実戦化である。さらにそれが無限に拡大されようとしている。この認識を問わずして「戦争は語れない」ということを肝に銘じるべきではないか。

     にもかかわらず政治の場では「別世界の言葉」が繰り返されている。しかし、当事者はそのことを隠そうとはしない。かつて、海上自衛隊のトップであった古庄幸一元海上幕僚長の次の言葉がある。プライムニュースの席に招かれた際に、反町理キャスターの「専守防衛」はあり得るのかという質問に対し次のように答えている。「軍事的原理から言えば専守防衛はあり得ない。やられるという恐れがあったら先にやらなければ身は守れない。やられてから、やり返すということでは遅いのです。これが世界の常識です」と答えている。極めて当たり前な発言であろう。

     中田元防衛大臣も、これらの「はざま論議」に対し回答を窮する場面があった。さて安倍首相の「秘蔵っ子」、稲田新大臣はどのような言葉を用意するだろうか。

    「武器を使うということ」「戦争に参加をする」ということは、破滅と消滅を意味する時代にあることを認識すべきである。


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