30年間中間貯施設をめぐる実態を考える・県民の一人として

2015-11-06 09:51:30 | 日記

30年間中間貯施設をめぐる実態を考える・県民の一人として

 

  「30年中間貯蔵施設地権者の会」主催のシンポジュームがあった。そこで、集まってくるだろう地権者の皆さんの本音を聞きたく参加をしたのだが参加者は30余名。そして地権者は数人という実態であった。シンポジュームの内容は、中間貯蔵施設をめぐる3名の学者の講演と、「地権者の会」の省庁との協議内容の報告であった。この地権者の会は会員が40名程度(ネット検索による)というもので、一部の地権者が立ち上げた組織であるように思われる。しかし、一部地権者とは言え「地権者の会」の存在は、省庁との窓口となるものでありその活動を意義のあるものにしなければならないと受け止めた。

   さて省庁側であるが、100名余の職員を配置し不明の地権者の調査も含め、「各個対話」を進めていると報じられているが今現在、契約が成立した地権者は9名と聞く。地権者の数は2500名余、さらに「1地権者の法的相続人」は100名を超えるケースもあると言われている。

   前記の「地権者の会」の報告は、この間8回にわたる協議が行われたとしているが、省庁はその組織の実態を計算の上、解決に向けた「本気度の姿勢」があるかと言えば、時間稼ぎの協議を続けていると受け止めたのは私だけであろうか。

   そこで、どうしても払しょくできないものに、政府は「土地収用法」の強権発動を描いているではないかということである。最近の安倍内閣の強権姿勢はあらゆる場面に現れている。そうであるならば、「地権者の会」の拡大をはかり、団結を強め、そして「集団交渉」を強力に進めるべきではなかろうか。しかし、「交渉」するということは中間貯蔵施設を受け入れることを意味するとして参加をしない住民も少なくないと思われる。いずれにして問題の解決を難しくする条件が累積している。そこで「地権者の皆さんの本音を知りたい」と思ったのはそのことであった。

   小出裕章氏は「第二原発基地内に中間貯蔵施設を設けるべき論」を唱えている。それは「廃炉」を確実なものにするということでは意味はあるが、同時に管理を東電の意に委ねることを意味する。30年後に県外に持ち出すという「30年法」が制定された。これとて確実に守られる保障はないが、それだけではない。「30年法」そのものが絵に描いたものになるという疑問が残る。

    さらに、中間貯蔵施設は、分別・減容・焼却などの機能を持つ。それらは減量効果、線量半減を生み出す。30年後に最終処分をしなければならない「量」が少なくなるだろう。そのことは県外に持ち出し「最終処分場」を必要とする方針が崩れる。そうであれば「俺の町に持ち込むな、そのままお前の町で保管しても良いのではないか」となるだろう。

 さらに契約成立・建設着工・完成・本格搬入・搬入終了にどれだけの時間を要するだろうか。建設には完成まで10年かると言われている。「30年法」をどう読むかもあるが、仮に搬入終了から30年を経過した時点を考えてみよう。調印をした地権者のほとんどはこの世に存在していない。またその子孫とてどうだろうか。さらに、その時点で果たして戻るとなるだろうか。その多くは子・孫の時代である。すでに新しい生活基盤をつくっているだろう。また先祖伝来の土地意識というものがある。このことは「家族制度」に依拠するものでもあり、家族制度の崩壊の中でその意識はますます薄くなる。

   中間貯蔵施設は必要である。どこにつくるにせよ抵抗はある。しかし、政府が強硬手段を取ってこないという保障はない。むしろ十分に考えられると受け止めるべきである。そのことの認識に立って、どうあるべきかを地権者の皆さんだけではなく、県民も、そして首都圏の皆さんも、さらに全国的な討論が必要な時期にあることを痛感した「シンボジューム」の会であった。


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