ロボット化という時代・科学の発展が諸刃の剣。免許証返上を前にして考える

2016-09-10 09:49:37 | 日記

 ロボット化という時代・科学の発展が諸刃の剣。

              免許証返上を前にして考える

 

   急増する車社会の中にあって、同時に高齢者が運転する事故も急増している。「祖父が、運転を誤って孫を死なせてしまった」などのニュースを聞くと身震いするほどの恐ろしさを感じる。かく言う私も80歳。周囲から免許証の返上を勧められている。

    私の知人も「運転をやめて」と子どもに迫られた。だが彼は頑として応じなかった。そこで家族は父の免許証を取り上げるという実力行使に至った。一時は激怒した本人も、近所で発生した高齢者事故を目撃し自分の頑固さを謝ったという。

    いずれにしても車が無いということは、買い物に行くにしても通院をするにしても、公共の交通手段が整っていない地方においては日常生活が格段と制限される。そこで目をやるのが「試験段階に入った」と言われている自動運転車(運転ロボット化)への関心である。仮に実現したとしてもその開発に投入されている費用は膨大なものである。それを原価償却するためには自ずと新車の価格に上乗せすることになる。とても年金生活者の身では手が届くものでないことは確かであろう。

    そのようなことを話題にしている最中に「軍用ロボ、世界に拡散 人間介さずAI依存」という次の記名記事を目にすることになった。「イスラエルが人工知能(AI)搭載の軍事用ロボット開発で世界の最前線に立っている。2001年の米同時多発テロ後、ハイテク兵器を持たないテロリストとの「非対称戦争」に重心を置いてきた米国も、軍事システムの新たな開発を進めるロシア、中国への対抗上、技術革新の加速を迫られている。軍民両分野で過熱する世界規模のAI開発競争が、軍用ロボットの拡散を促している」としてロボット装甲車の写真を掲示していた。【エルサレムから大治朋子】(毎日新聞8月24日)

    ロボット兵器が語られて久しい。そしてアフガン戦争からはじまるロボット爆撃機(無人機)は、遠くアメリカ米西部ネバダ州やニューメキシコ州にある米軍基地からの発進されている。そのことが「無人機パイロットの告白」というタイトルで2015年1月6日の毎日新聞に掲載されている。その抜粋の一部を次に貼りつける。

   「無人機を遠隔操作して攻撃に参加した元米空軍操縦士、ブランドン・ブライアントさん(29)が毎日新聞の取材に応じた。ブライアントさんは、『敵かどうかも分からない多数の人を殺害した。自分の過去は変えられず、悔いても悔いきれない』と除隊から3年以上たつ今も自責の念にかられている」と語っている。

    無人機を遠隔操作する。機体そのものに人間が搭乗しないため、撃墜されたり事故を起こしたりしても操縦員に危険はなく、また、衛星経由で遠隔操作が可能であるため、操縦員は長い期間戦地に派遣されることもなく任務を終えればそのまま自宅に帰ることも可能である。このような無人機は、操縦者が人間を殺傷したという実感を持ちにくい。「ミサイルを発射し、現地の人間を殺傷したその手で『帰宅をすれば子どもを抱き上げ妻を抱擁する。そして子どものサッカーの試合を見に行く』という平和な日常と戦場」を行き来する。

    また、第一次大戦の後半は戦場が一変した。例えば「戦車」の登場であった。その開発もアメリカの自動車会社フォードの「自動車開発」の技術が武器へと転化させたものである。(映像の世紀プレミアム 第2集『戦争 科学者たちの罪と勇気』)2016年8月13日(土) 午後7時30分(90分)

    さて前に戻ろう。運転免許証の返上を家族から求められ半年後にその決断をする羽目になっている私だが、それでも「車の無い生活を思うときその決断が鈍る」のも事実である。しかし、日本の大手7社の「自動運転にともなう研究開発費が合わせて2兆8000億円を超え過去最高の水準となる見通し」という報道を目にするとき、この膨大な投資額をメーカーはいち早く取り返すことを考えるだろう。それは「軍事への転化」であり、取りっぱぐれの無い確実な商売であることは歴史が証明するところである。

    一人くらいは「だからこそ自動運転車はいらない。自動運転に頼らず安全運転に心がけることが時代の要求だ」「その自信がなくなった時潔く車を手放そう」という者がいても良いだろうと「力む」私である。皆さんはどうだろうか。


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