何故か、鈴虫の声が大きく聞こえる
今、午後7時。気温は21度C、風なく。それでもクーラーなしでいられる二階の自室である。
地面から3メートル離れた部屋であるが、庭で鳴く「鈴虫の声」が届く。
沖縄近海で発生した台風は明日に本土上陸。夕方には福島県にも影響を及ぼすとの予報が出ている。束の間の静けさか。それとも「精一杯の恋の掛け合いか」。鈴虫の声がいつもより大きく聞こえるのはどうしたことだろう。
さて、ここから70キロメートル離れた東電第一原発の基地内では、作業効率を考え気温がさがったこの時刻から収束作業に取り掛かっている。基地内の高線量との戦いは、作業時間との戦いである。許容被ばく線量下における時間との勝負である。
繰り返して述べることになるが、首都圏の建設工事も含め、オリンピック需要は拡大するだろう。そのことは労働者の首都圏集結に連なる。建設作業には危険が伴うが、その危険度は原発収束作業とは比べようがない。ならば、比較的安全な作業現場に移りたいと願っている原発作業者が今夜も専用住宅でこの虫の声を聞いているであろう。
また、自主非難をされた方もその地で、双葉郡地区から非難されている一人一人も、住むところは異なるものの「秋の声」は聞いているだろう。
何故か、今夜はあの戦時の疎開の思い出でがよみがえってしまった。私の兄弟は、兄、妹、そして私の三人である。私は7歳。夫を亡くした母は、私を自分の実家に疎開させた。長男は夫がいない中では戸主。妹はまだ幼い。口減らしもあったろうが、誰かが生き残れば良いと考えたのであろう。
その疎開先での秋の虫の声を今も耳に残っている。淋しかったが、茶碗に盛られた米粒の多い一杯は嬉しかった。
そこで思う。とんでもない事故に直面し人生を台無しにしてしまった。また夫婦、親子が離れ離れになってしまった生活。不十分であれ、事故前はそこに先が見える人生がそこにあった。しかし、2011年3月11日が、それをすべて流し去ってしまった。
でも、そこで考えてみよう。「どうするかで」、迷い、とどまっていてはいれないのではなかろうか。
先が見えなくとも、少しでも見えるところまで歩む努力は必要ではあろう。
2013年9月14日。・・・・・・鳴き続ける庭の鈴虫の声を耳にしながら想いを綴ってみた。