「桧舞台」での首相の発言・私たちにも責任あり
9月8日、早朝のラジオは、2020年夏季オリンピックの開催地が東京に決定したこと、あわせてIOC総会の会場と東京駒沢に設けられた特設会場における歓声の生放送を報じていた。
私は、3日前のブログで「勇気ある撤退宣言を」と書いた。今、それを繰り返す気は無い。むしろ、一国の代表である安倍首相が、あの桧舞台で「福島第一原発」の安全とその収束を誓った重みを痛感している。あの発言、いや宣言は、一国の首相であり、時の政権党の総裁の発言であるとしては済まされない重みがある。同時に、国際的には私たち国民にも課せられた責任の重みということにもなるだろう。
私は原発の建設に反対し、今後の再稼動にも反対である。また今回の事故責任は、国策として進めてきた国、そしてその事業主体である東電にあることは間違いない。そのことは明確にしておきたい。だが、それでは済まされないことを、福島に住む私も、オリンピック東京開催に歓声を上げた一人一人にも、今後の責任が問われることを認識しなければならないそれが前記した「国民の責任と重み」ということである。少なくとも私はそう受け止める。
さて、IOC総会の会場におけるプレゼンテーションでの安倍首相の発言である。8日の同ブログへの寄稿「福島県民の前でもはっきり言って下さい」でも述べているが「福島原発の状況はコントロール下にある」をはじめとする一連の発言は、福島の実情を正しく説明していない。むしろ「招致を引き寄せるためのサプライズ発言」である。コントロールして欲しいのである。それができていないことを首相は承知のはずである。そうでなければ国際の場で虚偽の発言をしたのか。今日までの、あらゆる関係者の報告からしてもそのような回答が出てこない。
まず、コントロールをしなければならない汚染水は、その流失が止められないでいる。「地下水が音を立てて」流れている模様がテレビの画面でも報じられている。そこで原子炉建屋周りに『凍土遮水壁』を設置し、地下水の流れ込みを防ぐとする対策費320億円が計上された。これとて効果については未知数である。
汚染水浄化装置(アルプス)の増設と処理能力を高める開発とその設備に150億円の予算がつけられた。浄化して海に流すという方針である。しかし海に流せるだけの浄化が可能か、これとて能力には限界があると専門家も述べている。
「汚染水は0.3平方キロメートル内に完全にブロックされている」と。ところがタンクからの漏えい水は排水路を通り流れ出ているが、その排水路の先は0.3平方キロメートルの湾内ではない。外海なのである。このことは東電も認めている。
オリンピック開催は7年後である。「植木等スーダラ節」ではないが、そのうち何とかするだろう、なるだろうと、国民は高をくくっていないだろうか。ここにも責任の重みを指摘したいのである。
加えて時間の経過は、原発災害は「遠い地方のある日のこと」と受け止める風潮が強くなっている。マスコミの報道においても温度差がある。この風化を「オリンピック需要」が後押しすることにはならないか。もしかすると、政府はそのことを意図していないか。私は危惧する。
また、福島原発を「低線量問題」と「除せん問題」に凝縮している実態もある。それも大事なことだが、それでは済まないことをいつも感じている。汚染水は海をダメにしてしまうだけではなく、人為的に行われる地下水のくみ上げが、自然な水脈の破壊し、それが地盤沈下に結びつかないか。それは無いという保障はどこにも無い(これも以前に書いた)。もしも、地盤沈下が建屋におよぼせば炉心はどうなるのか。4号機の冷却プールは。その中にある1500余本の燃料棒はどうなる。不安はますます募るばかりである。
国民一人一人が、その気になって目を凝らし、耳を傾ければ情報はきちんと把握できる。何が正しく、何が間違いか、何が偽りかを知ることもできる。
それが、私も含め、今般の東京オリンピック実現に沸いた一人一人が、福島原発の今を、そしてこれからに責任を持つこと。それは「時の政治」を監視し、為政者のさぼりと責任を追求することである。重ねて述べる。それが国民の責任であると。
今回も福島から訴えたい。「政治に責任を持とうと」。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます