「一つ・二つ・三つのお爺さんの声」・懐かしさだけである

2015-01-26 15:33:47 | 日記

 「一つ・二つ・三つのお爺さんの声」・懐かしさだけである

 

  同年代の訃報が続くこともあり、新聞の訃報欄に目がいく。今回も一人の知人の名を見ることになる。享年95歳。かつて住んでいた私の近所の方である。そして思い出したのが、夕方になるとそのお宅の風呂場から「一つ・二つ・三つ」という声が聞こえてくる。「孫と一緒に風呂に入っているお爺さんの声である」。孫は早く出たい。お爺さんはしっかりと温めたいとする「駆け引き」の場である。

  かく言う私も僅か10坪の新居を構えた。周囲は麦畑、風を遮るものはない。台風の折は、家が吹き飛ぶかのように揺れる。ガラス戸はしなる。畳を上げて支えたこともあった。以来しばらくは強風脅威症になったが、子どもが生まれるに従い増築をしていったことでそれも治まった。

  そして「そよ吹く風」、ひばりの鳴き声などで心休まる時を過ごすことができた住まいでもあった。そこに「一つ・二つ」の声。さらに「豆腐売り」の声が重なる。懐かしい時代であった。

  時は過ぎ、我が子も独立し、夫婦二人暮らしを考えての転居で今がある。

  95歳はまさに長寿を全うした年齢である。多分あの時の孫も家を出たであろう。もしかしたら老夫婦二人の生活になっていたのかもしれない。

  今、介護をめぐる悩みが露呈している。かつては当たり前であった二世帯・三世帯の家族構成は消滅しつつある。そこに老々介護、認々介護(使いたくない表現だか)、遠距離介護が生まれる。それを少子・高齢化に要因があると述べる。だが若者の就労の場が、親許の地では得ることができないとする事実がそこに重なる。当然にして「核家族」となる。この当たり前の認識が、こと介護という場面になると「家族の介護」という認識が前面に出てくる。それが今般の「施設介護」から「在宅介護」へという政策の変更であろう。加えて復活するのが「家族制度」への回帰の思想である。「親子の絆・家族愛」ということが、政治の場でもまことしやかに語られる。

  もちろん親の介護をしっかり努める事実のあることも承知する。「姉妹二人が、親許を離れ、山形から東京に出ていった。やがて両親が倒れる。家族の理解もあってのことだろう、二人は退職をして、一人10日間の交代で山形に戻り介護をした。二人で月20日間の11年間」(毎日新聞「おんなのしんぶん」1月26日)。その看取りは並のものではなかったろうと推察する。

  今、お墓の問題がクローズアップされている。従来からのしきたりである、焼骨を埋葬した「墓」の管理ができないという実態がそこにある。私も父母を埋葬した墓を持つ。その周りには更地にした墓地があり、ここ数年、詣でに訪れることのない「無縁墓」もある。いずれはこの状態は拡大するだろう。そして「埋葬」という風習も無くなっていくかもしれない。

  「一つ・二つ・・・」はもはや懐かしさのものである。あらためて今後の介護問題を考えさせられた訃報の記事であった。

 

 

 

 


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