夜の駅前
平和のリング
西東京市は、戦時中、航空機エンジンの生産拠点であった中島飛行機武蔵野製作所に隣接していたため、この工場や市内の関連工場を目標とした空襲により大きな被害を受けました。その中でも、1945年(昭和20年)4月12日の空襲では、田無駅とその周辺に多数の1トン爆弾が投下され、駅周辺だけで50人以上の人が亡くなりました。当時、田無駅北口ロータリー付近には大きな防空壕がありましたが、1トン爆弾の直撃を受けて30人以上が亡くなりました。その多くは女性や子供でした。
終戦後、市民の手でこの場所に、平和観音像が設置されましたが、田無北口の再開発に伴い、總持寺の山門脇に移設されました。現在では、その事実を伝えるため「田無戦災記念碑」が建てられ、一人ひとりが平和を支える担い手になることを願って「平和のリング」が設置されています。
田無戦災記念碑
この地図を見ると、当店へくるのが分かりやすいです。(^^)