細沼園のお茶飲み話

お茶の時間のひとときに、思いつくまま書きました。

諏訪を散歩   諏訪大社から

2013-07-03 15:32:17 | 散歩・旅  長野県

諏訪大社  下社秋宮

    

   

   

 

本陣  岩波家

高雅な京風の雰囲気が漂う中山道随一の名園

年代   江戸時代

 中山道と甲州街道が合流する、下諏訪宿の本陣を務めた岩波家。かつては大名たちの宿泊所として栄え、約2650平方メートルもの広大な敷地内には、京風の武家屋敷や茶屋、土蔵などが今も残り、当時の面影を偲ばせている。中でも、銘石を巧みに配した築庭式石庭園は、諏訪大社秋宮の自然林を借景としており、中山道随一の名園とも言われている。

   

    

  

和宮様の行列と準備

皇室と将軍とのご婚儀とあって
○江戸からのお迎え 15,000人
 京都からのお供  10,000人
 人馬合わせて   40,000人以上の大部隊
○下諏訪宿で用意する人足 10,000人
○人足小屋 友之町馬場へ9棟、八幡山へ4棟、青塚へ5棟
○馬小屋 馬場3棟、八幡山へ2棟、青塚3棟(長さ30間、幅2間4尺)
○道幅2間2尺以上、路面1尺掘り下げつめ土をして砂利を敷いた。所々に盛砂もした。側溝も作り縁には芝を植えた。道沿いの藪は7~8間から30間伐りはらった。

  鶺鴒(セキレイ)です。

 現代剣道の元となった一刀流(北辰一刀流)の攻め方に「鶺鴒セキレイの尾の如く」という教えがあります。初めて鶺鴒の尾の動きを見ました。

   

春宮

   

万治の石仏

高さ2mほどの半球状の自然石に頭が載ったユニークな石仏です。言い伝えによると、諏訪・高島藩主が諏訪大社下社春宮に大鳥居を奉納するため工事を依頼し、石工がこの地にあった巨石にノミを入れたところ、そこから血が流れ出しました。石工は驚いて石に阿弥陀如来をまつったと伝えられています。胴には万治3年(1660年)と刻まれており「万治の石仏」と名付けられました。画家の岡本太郎さんや作家の新田次郎さんが絶賛。最近はメディアにも取り上げられ、訪れる人がひっきりなしです。   (紹介文より)
 
まだまだ歩きました。 

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