細沼園のお茶飲み話

お茶の時間のひとときに、思いつくまま書きました。

館林市をレンタサイクルで・・・・  

2013-07-06 15:14:22 | 散歩・旅  群馬県

館林市役所でレンタサイクルを借りまして、茂林寺へ向かいました。

館林市は無料のレンタサイクルがあります。

たぬきの ちゃがまの おかげで
たくさんの お金が はいりました。
おしょうさんは そのお金で
村のために 橋をつくったり
堤防をつくったり しました。
そして おしょうさんは、
“みんなに 福が分けられた”と
このたぬきのちゃがまを
『分福茶釜』と、なづけました。

むかし むかしの ものがたり。
今では この茶釜、お寺で
しずかに ねむっています。
でも、たまに夜中に 手足を
だして、あたりを ちょこちょこ
あるくそうですよ。

    

  

 『分福茶釜』です 

茂林寺

 童話「分福茶釜」で有名な、応永33年(1426)開山の曹洞宗の古寺。山門をくぐると杉の大木がうっそうと茂った境内で23体の狸が出迎えてくれます。寺内には寺宝の大きな分福茶釜や、さまざまな表情の狸コレクションがあり、一見の価値があります。 (紹介文より)

 

製粉記念館

1900年(明治33)竣工

    

    

 

館林駅

  

館林駅は花がいっぱいって感じでした。

 

駅近くのおうどんやさんでお昼を食べました

毛塚記念館   国登録有形文化財

 本建物は、江戸時代に建築された「分福酒造」の店舗である。分福酒造は、江戸時代に創業し、かつて「丸木屋本店」を名乗った造り酒屋である。
 建物の正確な建築年代は、棟札が残っていないため不明だが、地籍図等から江戸時代末期と推定される。一階は帳場として開放的に造られ、二階は、外の光を室内に取り入れるために格子が建てこまれるなど、いずれも町屋の特徴をよく残している。(紹介文より)

 

武鷹館 (旧館林藩士住宅)

    

この建物は、旧館林城の侍町の一つである「外伴木」(現在の尾曳町)に現存した館林藩の中級武士の住宅で、秋元藩時代には、藩士「伊王野惣七郎」の居宅として、廃藩後は、旧藩士の「山田家」の住宅として今日まで受け継がれてきました。

部屋を横一列に配置する武家住宅特有の間取りが特徴で、長年住宅として使われてきたことで、間取りなどに変化はありましたが、調査により、建築当初は間口約8間半、奥行はお勝手を入れて4間半、建坪は28坪(92.56㎡)であることがわかりました。棟札が発見できなかったため、建築年は明確にできませんが、柱間の長さや間取り、柱配りなどから、江戸時代後期に造られたものと考えられています。

群馬県内においても、現存する数少ない武家住宅の一つで、江戸時代の建築様式や武士のくらしを伝える歴史的価値の高い建造物として、平成11年に館林市指定重要文化財に指定され、平成12~13年にこの場所に移築復元しました。   (紹介文より)

 

旧上毛モスリン事務所

 この建物は、明治41(1908)年から43(1910)年にかけて建てられた上毛モスリン株式会社の本館事務所です。

 上毛モスリン株式会社は明治中頃館林周辺の技術的伝統である機業を生かして設立された会社で、近代産業の一つとして町の発展に大きな影響を与えました。

 この建物の特徴は、洋風建築発達当時の技法が取り入れられていることです。日本建築の伝統である尺貫法と入母屋造りを用いる一方、内部構造は洋小屋の要素を取り入れている建物で、洋風的要素としてシンメトリー式(左右対称)の外観、張り出しの浅い屋根、上下開閉式の窓、柱・階段の手すり・天井等に見られる意匠から当時の建築技法の発展がうかがわれます。設計者、施工者とも不明です。昭和54(1979)年市役所庁舎の建設に伴って、第二資料館内に曳き移転されました。 (パンフレットより)

   

 

    

 上毛モスリン会社使用の書類箱

   

  

 

田山花袋旧居

  

  

 この建物は、田山花袋[1871~1930]が7歳から14歳までのおよそ8年間を過した家です。木造平屋建て、玄関の土間に続いて三畳、左手に八畳二間、右手に四畳、裏に三畳の板の間と土間の合わせて5つの部屋があります。

 明治4(1871)年に旧舘林藩士の子として館林に生まれた花袋は、14歳で上京。やがて小説家を目指し、明治40(1907)年『蒲団』の発表により日本の自然主義文学を確立しました。ふるさと館林と花袋のつながりは深く、特にこの家は、花袋が館林の思い出を書き綴った作品『ふる郷』(明治32年刊)に“なつかしきこの家”と記されており、花袋にとっては思い出多い家であったことがうかがえます。また、この建物は江戸時代の武家屋敷の一つでもあります。昭和56(1981)年に市内城町より第二資料館内に解体移築されました。 (パンフレットより)       

 

秋元家別邸

  

  

 この建物は明治時代後期に建てられた旧館林藩主秋元家別邸として建てられました。木造平屋建て、入母屋、瓦葺き、庭園側がほぼ全面ガラスの引き戸で構成されています。廊下部分が主構造部から張りだし上部が銅板葺きの下屋が下がっている為、若干むくりの附いた瓦葺きの大屋根と対象的であるのと同時に水平線を強調した日本建築らしい品位のある印象を受けます。離れは逆に外壁が白く塗られた下見板張りで、出窓の軒下を赤く塗り、縦長の連想窓を採用するなど洋風建築の要素を取り入れた構成で主屋とは対象的な建物になっています。      (紹介文より)

市役所に戻ってを返却。ありがとうございました。

館林市はまだまだたくさん見所があります。『世界一こいのぼりの里まつり』の頃に一度来てみたいですね。

 

 


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