九州での移動は極めて順調に運んでいます。
ニュースで「自然には逆らえないねえ」と土砂被害に遭われた年配男性がしみじみ語っていました。
この数年、地震に大雨、竜巻、信じられないような雹...。
自然までもを支配しようとする人間の傲慢さへの神様のお怒りにも思えます。
松原泰道先生は「禅者は自然の風景をふまえて淡々と無常観を述べている」とおっしゃっておられました。
桜の花は散るからこそほめられる。
名月の晩がいつも晴天と決まっていたら誰も月をほめない。
コンスタントでないから月がほめられる、空しいものであるから桜が愛されている....のだと。
しかし、そこにとどまるのではなく、美しいものを素直に美しいものと見て、しかもそれに引きずり回されないことが大事だそうです。
私たちの心の奥に眠る本当の自分は自然の現象に表現されている...ともおっしゃっていました。
お釈迦様は、涅槃に入られるとき
世界は美しい。人間のいのちは甘美なもの...と語られたそうです。
これについて、中村元博士は....
「人が死ぬとき、この世の名残を惜しみ、死に際していまさらながらこの世の美しさと人間の恩愛にうたれる。それがまた人間としての釈尊のありのままの心境であった」
と述べておられますが、ブッダ入滅直前の伝承を表した「大パリニッバーナ」経にそれがあり、感動したものです。
『岩波文庫ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経』 中村元博士の訳がおすすめです。
田原豊道先生は道元禅師の歌を取り上げて、こうおっしゃっています。
春は花 夏ほととぎす
秋は月 冬雪さえて
すずしかりけり
春夏秋冬のごくあたりまえの情景の中に、天地自然の微妙不可思議なることを気づくとき、心はまことに「すずしかりけり」と。
私たちの精神の平安と生命の歓喜の心境をうたっているのだと思います。
...中略
道元禅師にとって「さとり」とは、自然そのものにあったのだと私は思います。『ホームヨーガ提唱40周年記念号vol3』
ヨーガ・スートラ第3章はヴィブーティパーダ(自在力の章)ですが、自然を支配することではないことが明々白々です。
鹿児島に向かっています。(荻山貴美子)