日本ヨーガ学会

ヨーガ的生活

仁は人なり

2012年01月30日 08時51分25秒 | 思うがままに

こんばんは。
今日は新宿朝日カルチャーの集中講座でした。

田原豊道先生のお話の中でハッとしました。
「仁は人なり」。

「仁」は孔子の根本精神であり人間関係の基本です。
「仁」を覆い隠すものは煩悩(欲望)。その欲望から離れれば「仁」が姿を現す…と。
私たちにはエゴがあるから厄介なんですね。

今日は人気案内者(インストラクター)大友福美さんが修了証とメダルを授与されました。

 

 

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Unknown (水野芳孝)
2012-01-31 11:15:01
義について

キリスト教における義という訳語は、ギリシア語でディカイオシュネーと呼ばれるもので、罪の対立概念とされる。これは他者に対して義(ただ)しい、誠実な、偽りのない態度で臨むこと、またそのような態度が可能である魂の状態をいう。義しい人を義人と呼ぶ。
福音書、パウロ書簡などで主題化される。
神によって「義とされる」(義とする:ディカイオオー)ことも同じ問題圏に属する。
真に義であるのは神のみである(「義人はいない」)が、人間は神を信じることにおいて義さに近づくことができる。信じないことは不義と同義であるとされる。『ヤコブの手紙』によれば義しさは、神への信仰を表明することのみならず、他の人間に対する行為において現れる。
ルターは人が行動において義とされること(行為義認)を否定し、信仰によってのみ人が義とされる(信仰義認)と考え、それまでのキリスト教で行われていた苦行、断食などを否定した。
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