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横浜から北海道の山村に移り住んだ、我が家のつぶやき

北海道追分に移り住み5年。今度は追分から恵庭へ。毎日が新鮮で愉しい事だらけ。そんな生活を気まぐれにおしゃべりしています。

横浜へ

2012年09月23日 22時16分10秒 | 家族

久しぶりに横浜を訪ねる。

う~~~~暑い!!

今年は北海道も例年にない異常気温の連日。

だけど、やっぱり本州はそれ以上だった。

クーラーのない部屋ではちょっと動いただけで汗がたらたらと背すじを流れ落ちる。

電車、バスに乗るとそこは天国。

あ~~~気持ちいい~~~~

娘と孫。

長女は39歳、次女35歳、いつのまに?って感じ

一年ぶり位になるのかな~

ともに共稼ぎ。

ともに保育園に通う男の子がひとりづつ。

私もやってきたこととはいえ、働くお母さんはやっぱり大変だ。

長女も次女も熱を出しちゃった。

この夏の気温下、変調きたしてもおかしくないよね。

幸い、私はよく食べ、よく飲み、よく寝て、元気ハツラツ!

主婦が寝込むって、けっこう家族の中では大変なんじゃないかな。

もし私だったら・・・

同居の息子が食事を作るし、洗濯はおとうさんがやるし、

これって、ちっとも困らない?

そんな私って、幸せな主婦?

主婦というより、女あるじ?

話がそれちゃった。

再度入院した母に会い、滞在中に退院したので、身辺の整理片付けを手伝い、

泣いた姿なんか見たこともなかったのに、帰り際、“”また来てね~”と涙をぽろぽろこぼしている。

不思議な光景。

あの母が・・・

痩せて、年をとり、すっかり気弱になった母。

“今度いつ来る?”

“冬かな”

“もう長く生きられないから、早くまた来てよ。”

毎月行ってあげたいと思った。

こんな日がやってきたんだね。

娘達、孫達、母に会い、暑い横浜を後にする。

今度はいつ・・・・

 

 

 

 


じじの介護。

2012年07月13日 00時41分06秒 | 家族

荷物の整理をしていたら、2007年に亡くなった義父の介護日記が出てきた。

「上顎洞黒肉腫」

癌センターに一度は手術予定で入院するが、3日目朝早く、医者から、退院するからと言って、何度説得しても聞き入られず、ご家族の方から説得してくださいと電話がある。

急いで来院し説得するが、無理だった。

て言うか、説得は止めた。私が家で看ると決めた。

家に連れて帰り、毎日点滴をするがすぐ洩れてしまい、メロン作りに専念出来ない。

地元の病院だったら入院してもいいと言うので気が変わらぬ内に即、受診、入院。

それから10日後、また医者から“当院での治療困難”と強制退院を申し受け、自宅介護が始まった。

入院8日目の日記、

午後より家に帰るときかず、廊下に出て、出入り口を探し歩き廻る。廊下に置いてある他患者さんのサークルを蹴っとばしたり、医療機器の上に乗り動こうとせず、Dr、Nsとともに車椅子にのせ、ソセゴン1AIM、病室に戻る。5分位でウツラウツラ始め、興奮は収まり眠る。

9日目、

夜間電話なく、ホッとしていたが、早めに来院するとシーツ汚染ひどく、包交ガーゼは取れ、夜間大変だった様子が伺える。昨日までなかった徘徊アラームマットが置かれており、夜勤Nsより昨夜はベットから降り、おぼつかない足取りで廊下を歩いていたと聞かされる。

10日目、

“夜間ベットより転落、廊下徘徊による転倒の危険性大きく、病院での治療困難”と入院を断られる。

早速、行政に連絡、介護保険の区分変更申請を依頼。介護ベットの搬入後、17時、我が家に連れて帰る。

アルツハイマーのば~ちゃんも一緒だ。

19時、ピストンにて眠剤PO、OK!

夜間2度覚醒、痰がらみ↑、scしたいが・・・・

自宅介護2日目、

10時覚醒、排泄介助、Hr(+)。清拭、口腔ケアー施行。出血(-)、臭気↑

P82、BP132/78、温度18度、湿度60%

自宅介護3日目、

昼、うどん一口、粥2口、車椅子に座り食卓について自己摂取。驚き!

夕、ほうれんそうのお浸し、粥、たまごとじ、オレンジジュース、お茶、すべてを少量ながら自己摂取。嬉しいよ~

(病院から連れて来た時、口腔内は乾燥、痰が多量に付着し、汚染が著明だった)

ババ入浴、眠剤1TP・O、20時就寝。(ばばのお相手も疲れるんだな~)

6日目、ばばは家が心配だからと自宅に戻る。

一週間目、じじはさかんに“帰りたい”と言うようになる。“どこに?”と問うと、“内地に帰るのでお金を貸して欲しい”と言う。

故郷への念が強し。30代前半、埼玉から開拓民として北海道に来てから今まで、内地に帰ることはなく、望郷への思いがつのるのであろう。

自宅介護10日目、

義姉が内地に帰りたいと言うじじに、“明日帰ろう”とその場しのぎの返答をしっかり覚えていたじじは落ち着かなくなった。

ばばがいなくなったじじは一層帰宅への思い強く、春日(じじの自宅)に帰ることになった。

それからはまた、病院から点滴をもらい私が自宅で施行する生活が始まるが、12月19日、大きくなった肉腫が咽頭を塞ぎ、呼吸停止となり、救急車で搬送.そのまま帰らぬ人となった。

自宅に戻ったじじは、ババと久しぶりに2人だけの時間を過ごし、穏やかな表情をしていた。

開拓民として悲惨な生活を越え、夫婦ふたりだけで土地を開墾していったじじとばば。

今はババひとり、一週間に6日、ディーサービスに通っている。目立ったアルツハイマーの症状はなく、穏やかな毎日を過ごしている。

じじにはいい体験をさせてもらった。

ありがとう!


素敵な友達

2012年06月21日 09時32分17秒 | 家族

6月17日は、今同居する、息子の28歳の誕生日でもあり、父の日でもある。

ワイワイガヤガヤ騒ごうということになり、

最近、バトミントンや麻雀、食事を一緒に楽しんでいる中国の留学生たちと総勢10人で近くの居酒屋に集合。

息子はおとうさんにプレゼント。

“初めて父の日にプレゼントをしたよ。”

そうだよね~、3歳の時離婚したから、父の日にプレゼントすることがなかったんだね。

ちょっとうるうるしちゃった。

中国の大学を卒業して来日していたり、交換留学生できていたり、中国の大学を在籍しなから来日していたりと様々な中国の留学生たち。

日本語はもちろんのこと、よく勉強をしている。

全員で「ハッピーバースディーツーユー♪」を歌ってもらい、息子はまんざらでもない顔。

おとうさんもみんなからプレゼントをもらい、にこにこ。

友達がいない北海道での生活。

息子も私たちも素敵な友達が出来ました。

みんなありがとう!

 

 

 


自身の生き様は自身で。

2012年04月30日 00時34分41秒 | 家族

四泊五日で横浜を訪ね、北海道に戻って2日目、母の入所するホームからの電話。

“もしかしたら・・・”

“お母様は退院されました。”

“退院? ありがとうございます。お世話になりました。”

ちょっと拍子抜け。

だいぶ強く担当医に退院を迫った様子。

やるもんだ。

まだしばらくは来世と縁がなさそうか。

90にしていまだ気力衰えず。

自身の生きざまを正確にしっかり認める。
自身の生きざまは大切なものを巻き込む。
時は戻らない。
自身の心の激しい葛藤は自身で解放する。
今を感謝し素直に現実を認める。

私自身、過去の生き様は大切な家族を巻き込んだ。

その時は見えなかった。

いや、見えていたけど見ないふりをしていた。

一ヶ月前、今一緒に暮らす27歳の息子から、巻き込まれた子供の心情と批判を聞かされた。

触れられたくない自分の愚かさが暴露された。

理由はともかく事実だから、しっかり認めなくちゃ。

時は戻らない。

自身の激しい葛藤は自身で解放しなければ。

家族と暮らす今の幸せに心から感謝です。

 

 

 

 

 

 

 


2012年04月19日 02時37分18秒 | 家族

母は東京麹町で出生、お手伝いさんのいるお屋敷で、お嬢様として育っていたが、2歳の長男を亡くした祖母はお酒を呑むようになり健康を害し、36才で死去。続いて株の売買をしていた祖父は大損にて夜逃げ同然で家を出て、転々した生活をする事になり、満足に学校にも行かれなかったと聞く。

後日、お屋敷でお手伝いをしていた女性と再婚した祖父に“なんで女中と!“と反発し一緒に暮らさなかったようだ。

ひとり娘ゆえ、婿養子をとり結婚した母、相手は大学の工学部出身で、当時東大理学部の主査をしていた祖父の口ききで東大地震研究所の研究員として勤務。(私の父)

その相手とは8年の結婚生活で終結。

再婚相手は背中と両腕に彫り物を入れた鳶職人。

飯場を転々とした定家無き生活1年。

その相手とも10年でピリオッド。

その後の母は遠くに行き、見ていない。

60を越え横浜に戻り、「私は母親」と言う。

「どこが?」

人は安らぎの居場所を求める。

心がざわざわ揺れ動くとき、安らぎをくれる場所に身をゆだねたくなる。

そこが違うとまた次の場所に。

母は自分の居場所が最後まで見つからなかったのか。

母も祖母と同じく、2歳の長男を亡くしている。

数奇の運命をたどってきた母。

“世が世であればお前はお姫様”と言っていた母。

誇りと挫折。

母に翻弄された家族。

同様な血が流れる私には居場所が見つかった。

人生の終焉に近づいてきた母、最後まで誇り高く生きて欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 


どんな終焉が。

2012年04月19日 00時48分02秒 | 家族

病院で横になっている母の顔はすっかり老人になっていた。

最後まで一緒に居た私の顔は覚えていると思っていたが・・・

“私は真知子、こっちは孫の菜帆美”

“真知子? 菜帆美?”

“ふ~ん”

“恵っ子?(長女の名前)”

“違う、真・知・子”

どっちでもいいか、娘には変わりないんだから。

若き頃英国留学していた祖母と祖父の間に生まれ、

子供の時は神童と言われ、美しく聡明だった母。

どこで人生の歯車が狂ったのか。

“顔や手を自分で洗いたいのに、ここは行かせてくれない。トイレにも行かせてくれないからPトイレを置いてもらった。ひどい病院だよ。”

日曜日で担当Drは不在、看護師に現在の状態を尋ねると、食欲が全くなく、いつもひと口み口で点滴を一日1000mlしています。歩行は医者から許可がないので。”と言う

口の中を見ると舌苔がひどくこびりつき乾燥している。

点滴台を移動しながら室内の洗面所まで付き添い歩かせ、口をうがいし、手、顔を洗い、トイレ排尿をする。

持参したみたらし団子を手渡すと、一本ぺろっと食す。

“歩かないと足が弱くなるから歩きたいのに・・・・”

微量点滴で24時間ベットに釘付け。

仕事をしている時、こんな場面によく遭遇していた。

目の前の親を見ていると、老人医療の難しさを痛感。

血流が悪いのか、片方の足首から下は紫色に変色し冷たい。

靴下を履かせようとするが靴下はない。

タオルで包もうとするがタオルはない。

看ることをしない私はどこまで看護師に物を申したらいいのか。

母親と顔を合わせるのも口を聞くのも嫌だったのだが・・・

患者として見ている部分がある。

この人だったら・・・

食べられないのではなく、食べたくない。

まず口腔ケアーをしっかり実施し、舌苔の除去をして、

入院するまではひとりで何でもやっていた人だから、

持続点滴は中止し、昼間フリーの時間が持てるような治療計画を立て、ADLが低下しないよう、トイレ、洗面所まで歩行援助をする。

変色し冷感のある足に関しては、家族にゆるめの靴下を持参してもらい、温浴実施。

なんてね。

言うは易し。書くは易し。

家族が来ない患者、看護師がやる事にも限界がある。

家族と医療従事者が一緒になった看護計画が理想だよね。

家族の協力は必須。

寝たきりにならないよう、早期退院を望む母を付き添い援助したいと思った。

家族にもそれぞれの事情。

悪い状態から脱出したばかり、きっとこれから退院に向けた看護計画を考えてくれるものと思う。

今の自分が情けない。

老人看護をじっくり実践するいい機会なのに。

店のセールが終わったら、もう一度行ってみたいと思うが・・・

じわじわ寝たきりになっていくのか。

今、母は何を思う。

老人になっていく自分を感じた時、死への階段を感じた時、人は魂の孤独を考えるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


横浜に

2012年04月11日 03時03分13秒 | 家族

横浜のホームに入所している母、今年で90歳。

“胸水がたまって心不全の兆候あるので入院しました。”とホームから電話がある。

90にもなれば心臓もヘタってくるよね。

母との葛藤も終止符が打たれる日が近づいているのかな。

横浜に行ってこよう。

90の母に会ってこよう。

担当医から話を伺うと、“高齢なので、大事をとって入院していただきました。”

“入院はしたくない。”と頑固に言ったようだ。口はいたって元気な様子。

90での入院は、退院が難しくなるのが分かっているんだよね。

病院が終の住処になってしまうのだろうと。

自分流に生きてきた人、

どんな最後にするのだろうか。

見届けに行ってこよう。

 

 

 


息子イタリアンシェフに変身

2012年04月02日 01時53分02秒 | 家族

知人の台所をお借りし、息子がイタリアンを振舞った。

黒いズボン、黒いベスト、黒いエプロンを身につけ、イタリアンシェフに変身。

ここのお宅、以前夫婦でおよばれされた勝手しってる台所。

私はアシスタント、お客様は息子以外6名。

買い物して戻ると、部屋の灯りが落とされ、テーブル上はグラスやお皿がきれいにセッテイングされ、素敵なジャズが流れている。

気分は最高。

シェフは手際よく、次から次へと料理を作っていく。

セロリのスープ、パスタ2種類、サラダなどなどなど全部で7品。

料理を作り終え着席、改めてワインで乾杯。

ワイワイガヤガヤ、話は尽きない。

料理はと言うと・・・・

ずっと息子と台所に居た私の口に入ったのはわずか。

皆さん、息子の腕前はいかがでしたか?

シェフはよく頑張りました。

素敵なお住まいで愉しいおしゃべりに心地よい音楽、美味しい食事に美味しいお酒。

いい時間を過ごさせていただきました。

ありがとう!

 

 


息子に感謝

2012年03月24日 20時29分31秒 | 家族

朝からみぞれ混じりの雪が吹いている。

昨日まで春間近と思っていたのに、景色はすっかり冬に舞い戻り、

雪解けから顔を覗かせていた草たちはまた隠れてしまった。

3月も終わろうとしているのに、北海道の春は何処に。

プラスからマイナスへ、寒い。

なんだか妙に寒いな~って思ったら39度の熱があった。

息子に連れられ店を早退。

途中、コンビニに寄った息子は、生姜入りの雑炊、肉まん、おにぎり、ポカリ、野菜ジュース、冷えピタを買ってきてくれた。

“こんな時、ひとりでいると辛いよね、誰かいるといいよね。よかったね、俺がいて。”

本当に感謝です。

家に戻り横になると、布団をかぶせてくれ、冷えピタも交換してくれる。

薬を飲み、しばらく横になると熱は36.5度。

夕飯はしらす入りの雑炊。

ありがとう息子よ。

助かりました。

家族っていいな。

 

 

 


次女がやってきた。

2012年02月08日 08時22分17秒 | 家族

長女一家に続き、次女と3歳の孫がやってきた。

インフルエンザが完治したばかりの孫と熱が下がったばかりの娘。

不安だったが・・・・

なんとか無事横浜に帰っていった。

子供の成長は早い。

“わぁ~すごい!ママ、ひとりでも大丈夫だよ!”         “わ~い、早いよ~!”

スッテンコロリ                         “なんで僕をひとりにしたの?”

 

まだ3歳? もう3歳?

ママが恋しいお年頃。

ママが側に居ると、にっこにこ。

 

3泊4日、あっという間。

娘と過ごす時間は嬉しいもの。

もちろん孫は愛しいが、子供は違うんだな~

離婚後、大好きなお姉ちゃんの長女は夫の元に行き、まだ3歳にならない息子の世話は7歳上のこの次女にすっかり頼ってしまった。

まだ小学生だったのに・・

娘達に孝行したいと無性に思う。

今は息子が側に居る。

この追分に来て、誰も知らない町で、随一の身内が側に居る。

これってとっても大きな存在だ。

健康だけには留意して、これからもっともっと、子供達と過ごす時間を大事にしたい。

お店に母娘孫の来店があると、“いいなあ~”って思ってしまう。

側に居たいと思っちゃうよ。

きっと今は、娘達が帰ってしまったあとだからだよね。

ちょっと感傷的になっちゃったみたい。

よ~し、なかなか起きない息子をたたき起こすぞ~~!

仕事が待っているぞ~!

 

 

 

 


横浜から娘一家がやってきた。

2012年01月30日 00時26分27秒 | 家族

横浜の長女一家がやってきた。

オープンして間もなく、サプライズで娘が一人で訪ねてくれたが、今回は家族で遊びに来てくれた。

嬉しいな~

まずは我が家でソリ遊び。

 

 

スッテンコロリンしてもへっちゃら。にこにこ顔の5歳の朔。

遊ぶのが大好き。

今回は二泊三日。

今年の我が家は店を始めてしまったので、家でゆっくりさせてあげられないし今年の寒さもあり、二泊ともホテル泊まりになった。

「北広島グラッセホテル」。家からも店からも車で30分ほどのリゾートホテル。

ホテルスティが大好きな私、去年の今頃、このホテルに2泊してきた。

温泉に入って、部屋でのんびり本を読み、ひとり和食処でお酒を呑む。

自由気ままな女ひとり。至福の時間だ。

ここはロビーの目の前がリフト付きの雪の遊び場になっているので、スキーを習い始めた朔は楽しくてしかたがないって感じ。

ホテルの窓から朔を見る。

ほとんど転ぶことなくすいすい滑っていく。

しまいにはひとりで滑って、ひとりでリフトに乗って、ひとりで降りて、ひとりでまた滑っていく。

う~~~やるもんだ。

手を振る朔。

まだ5歳、どんどん吸収してどんどん大きくなっていく。

成長が楽しみだ。

大人はというと、

おとうさんを除き、皆呑んべい。

一日目は和食。

白子、牡蠣、ほや、雲丹とくればもうこれは日本酒。

ひれ酒が美味しかったな~

まあ~よく食べよく呑み、ご満悦な一日目の夜。

2日目は焼肉。

ここでもよく食べよく呑み、ご満悦。

“今晩、私が出すから真知子もホテルに泊まれば。” 娘からの嬉しい言葉ににっこにこの私。

温泉に入って、またみんなで持参した美味しいワインを飲むはずになっていたのに・・・

部屋に戻った私、即効夢の世界へ。

飲み損ねた・・・・・・

つかの間の3日間だった。

孫の成長、娘夫婦の笑顔。

幸せな時間をもらっちゃった。ありがとう。

今度は私が横浜に逢いに行こう。

春の横浜。

みなみらいの街路樹はさくら。

まだ子供の桜だけど、横浜港を目の前にし、潮風で花びらが舞う様は美しい。

飽くことのない港横浜。

あ~~~行きたい。

その前に・・・

今度は次女と3歳の孫がやってくる。

幸せな時間が次から次へ続く。

側には優しい夫と頼もしい息子。 可愛い犬4匹と猫4匹。

今、最高な時間を過ごしている。

健康でいなければ。輝いていなければ。

そのためにはそろそろ寝ないとね。

おやすみなさい・・・

 

 

 

 

 

 

 

 


結婚記念日

2011年12月25日 19時32分38秒 | 家族

6前の12月24日、この日は日曜日で区役所は休み。

休日窓口へ12時24分、結婚届けを提出。

眩しい陽射しが射し込んでいた。

この時はまだ横浜で看護師をやっており夜勤明けだったし、記入済みだったので、“役所に持ってて”と言ったものの、

やっぱり一緒がいいか~と想い直し、勤務を代わってもらい、北海道へ飛び一緒に提出。

そして今日まで5年が経った。

色々有り過ぎるほどあった。

何があっても前を見ていこうと思っている。

後ろは振り返らない。

さあ~て、6年目の結婚記念日。

一度でいいから夫に、“○○を予約したから食事に行こう”なんて言ってもらいたいんだけど、

我が家の夫は・・・・

店の近く、お客様に“いいよ”と教えられたお店に行ってみる。

カウンターに座り、メニューを見ると・・・

いいじゃん!

海老に白子とチーズをのせ焼いたもの、、牡蠣に蟹味噌をのせ焼いたもの、味付けご飯にウニをのせ焼いたもの、

どれも初めて食べる味。

これだったら・・・

ひれ酒だね。

横浜以来6年ぶりだ。

う~~~~~~~~

旨い!!!!!

蒸し物も揚げ物もどれも旨い!

横浜ではよく食べていたけど、北海道に来てからは街に程遠く、店を開拓しなかったから、久しぶりの味に感動!

でも・・・

コレステロールが高い私、アンキモ、白子、海老、牡蠣、蟹、

まずいよね~

まあ、結婚記念日だからいいことに。

今度はいつ食べられるかな~

きっと・・・

近い内に行ってしまいそう・・・・・

やばい・・・・・・

 

 

 

 

 


息子

2011年11月28日 09時55分56秒 | 家族

朝7時、“ただいま~”との息子の声。

ず~~と、お店で仕事をしてくれてたんだ。

ありがとう、お疲れ様でした。

“真知子はダメ!”と、最近、洋服関係は息子がやってくれている。

年代別、価格別、用途別に整理し、値付けをし、ハンガーに掛けていく。

なかなかやるじゃない。

でも、

中には“えっ~~~これがこんな高いの?”

なんて物もあるので、要チェック

店作りもよく考えている。

“真知子、あれはこっちに、それはこっちに”

思い立ったら即実行。

とってもとってもいいんだけど・・・

指示が多過ぎない?

なんてたってこっちは20代じゃないんだからね。

でも・・・・・

ほんとうによくやってくれる。

よもや息子と一緒に仕事をするとは・・・・

感謝感謝です。

この息子は保育園の頃から友達が多い子だった。

中学校に入ると一段と友達の数が増え、我が家は毎日子供たちで大賑わい。

引越しの時はこの友人たちが手助けしてくれ、

私の誕生日の時は、この友人たちが寄せ書きをしてくれたり、

みんないい子ばかり。

だけど・・・・・

2階の窓から花火をしたり、

朝4時から遊びに来たり、

階段をどどど~~~~~

どどど~~~~~~

“うるさい!!!!”

なんてこともあったけど、

今はみな、素敵な大人になって、いい仕事をしている。

お母さんになったり、お父さんになったり、立派な家庭人にもなっている。

息子よ、とっても感謝しているんだけど、

朝、もうちょっと、(だいぶ?)早く起きれないかな・・・・・・・

 

 

 

 

 

 


横浜に帰って行った・・・・・

2011年11月05日 22時00分58秒 | 家族

娘が帰って行った。

二泊三日、そのためにお金を使って、有休を遣って、旦那様と可愛い息子を置いて来てくれた。

こんな娘を持った私は最高な母だよ。

この娘とは小学校1年生に別れたんだ。

大人の勝手でね。

恋しくて恋しくて会いたくて会いたくて。

切なくて切なくて。

毎日毎日泣き濡れて。

いつかいつか会える日を夢見て。

なんにもしてあげてないのに、

 

帰る寸前まで店の手伝いをして、疲れきっているはずなのに、

笑顔で横浜に帰って行った。

頑張るね。

今度来た時、

“おっ、真知子いい感じになったじゃん!”

って言われるように・・・・・・

 


娘来る!

2011年11月03日 23時12分49秒 | 家族

朝、いつものように開店準備をしていると、

“真知子おはよう!”って言う声が聞こえてくる。

その声に振り向くと・・・・

?????

!!!!!

“えっ、ゆきたん? えっなんでここに??”

横浜の娘が、子供と旦那様を置いて有休を取り、大きな荷物を手に、ひとり空港から電車に乗り継ぎ恵庭駅で降り、歩いて店までやって来たのだった。

ただただ驚き、涙がこぼれる。

前もって言うと、なんやかんやと真知子が頑張っちゃうから、今忙しい時だし黙っていようって娘ふたりが相談して決めたらしい。

その気遣いが嬉しい。

朝一番の飛行機に乗って、店に到着やいなや、すぐに働き始め、動きは的確。

う~~~~

こんなスタッフがいたら・・・・

娘ながら見事。

店で昼間寝たことなんかなかったのに、今日は無性に眠たい。

“ごめん、ちょっと横にならせて”

気がついたら太陽が沈んでいる。

娘に任せられる安心感。

ただただ感謝。

幸せな母です。