
Q2・12「社会の授業で、フロイトの話を聞きました。非常におもしろかったのですが、先生は、これは’心理学ではなく、一つの思想’と言われました。どういうことでしょうか」----精神分析
精神分析の評価は大変難しいものがあります。20世紀初頭に、S.フロイト
(Freud;1856-1939)が精神分析の理論を提唱したときもそうですが、今でも、その評価は割れています。
かつてアメリカの心理学者100名に心理学史上最も影響のあった著作を問うたところ、J.フロイトの著作がダントツのトップになりました。ちなみに、第2位は、人間の意識の機能を重視して、アメリカ機能主義心理学の祖となったW.ジェームズ(James)でした。
かといって、精神分析が、今の心理学界に「正統な形で」受け入れられているわけではありません。学会での発表も皆無です。しかし、2100名を擁する日本精神分析学会がありますから、心理学としての評価とはまた違った評価もあるはずです。
というわけで、精神分析全体の包括的な評価となると手にあまりますので、ここでは、「科学としての心理学」の立場からという限定をして、フロイトの精神分析の評価をしてみます。
精神分析の考え方の基本は、自然科学の基本である、因果律に従って、人の心にかかわる現象を説明しようとするところにあります。この点で、精神分析はきわめて「科学的」と言えます。J.フロイトは医者ですから、因果思考の訓練は充分にうけていたはずですから、当然かもしれません。
さまざまな心的事象の原因として措定するのは、無意識の世界にため込まれる、乳幼児期における欲求不満や心的なショック体験(精神的な外傷;trauma)によって作り出される抑圧されたエネルギ(リビドー)です。それが、青年期になって、神経症などの多様な情緒的な不適応行動を引き起こします。これが結果になります。
さて、因果律に従ったモデル構築は問題ないのですが、次のような点は、大いに問題とされます。
一つは、原因と結果との間の時間的な関係にかかわる問題です。
フロイトは、乳幼児期の精神的外傷を、原因として重視します。それが、長い潜伏期間を経て、青年期にいろいろの悪さを引き起こすと考えます。
しかし、それほどの長い間、原因としての力を保持し続けることが、いかに心の世界とはいえ、ありうるのでしょうか。ある原因が次の結果を引き起こし、それが原因となって次の結果を引き起こし---というような因果の連鎖を仮定するほうが自然です。その連鎖が人によって異なるからこそ、同じ精神的外傷を受けても、ある人は神経症になり、ある人は普通に適応しているのではないでしょうか。そう考えないと、人の一生は、きわめて決定論的なものとなってしまいます。
2つ目の問題は、因果的な「説明」にかかわるものです。
精神分析における因果的説明の特徴は、今現在起こっている症状の原因を説明するために幼児期まで遡るところにあります。時間を逆に遡る形で結果の説明をするわけです。これは、結果論とか、後付け説明(Q2.8参照)、あるいは、逆問題解法と呼ばれています。
これも、精神分析特有の説明ではありませんが、前述したように、自然科学と違って、精神分析では、かなり危ない面があります。いくらでも「こじつけ説明」ができてしまうからです。交通事故を起こしたときの原因追及と比較してみてください。この場合の逆問題解法にも、もちろん危ない面はありますが、最終的には実験的な検証ができる形で決着がつけることができます。精神分析的な説明には、その正しさを保証するものがないのです。
<<1行あき
科学的な因果モデルとしての精神分析の問題を2つあげてみました。それほどの問題がありながら、なぜ、J.フロイトの著作は読まれるのでしょうか。筆者も大学に入ってすぐに夢中で読みました。
それは、質問にある「それは一つの思想」という表現に凝縮されています。つまり、精神分析は、人間を考えるための大きな枠組を提供してくれる点で大いに役立っているのです。科学をめざす心理学では、ともすると忘れがちな人間をとらえる大きな枠組、もっと言うなら、グランドセオリーを提供してくれているのです。
そして、理論そのものではないのですが、その中にあるいくつかの鍵概念をめぐっては、科学的心理学の研究のまな板にのせることも行われています。
一度は、J.フロイトにのめり込むのもいいかもしれません。ただ、そこから脱出してサイエンスの世界に戻ってきてもらわないと困ります。
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心の談話室「精神分析してみる」
次のような男性恐怖症を主訴とする38才の女性について、精神分析してみます。
ただし、あくまで精神分析を知ってもらうためもので事例も分析も本物ではありません。
「ケース」
「****別添***」
(次郎丸睦子氏による。一部省略)
「分析結果」
トラウマになっているのは、不本意な性的体験。それを家族や人に相談できなかったために抑圧されたエネルギーが内向した。また、父親からの溺愛は、幼児期における異性への安定した感情形成にネガティブな影響を与えた可能性がある。つまり、父親の溺愛がエレクトラ・コンプレックスを十分に解消されないままにさせた可能性が考えられる。その気持ちを隠すため、男性から逃避しなければとの防衛機制が働いて男性への異常な恐怖心を抱くようになったと考えられる。
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