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知りすぎるのも問題---理解力のパラドックス

2011-06-06 | わかりやすい表現
知りすぎるのも問題---理解力のパラドックス  

システム設計に携わった技術者なら、システムのことは隅々まで知っている。知っていることを説明するのは楽なもの。そこで、マニュアルを書く、あるいは、書かせる。  

ここまではいいのだが、そのマニュアルが素人向けだったらどうであろうか。かえって、知っている、というより、知りすぎていることが仇になってしまうのである。  

マニュアルに対する素人ユーザの不満調査をしたことがある。2番目に多かったのが、「大切なところとそうでないところの区別がつかない」であった。  

こうした不満がでる理由には2つある。  

一つは、表現上の工夫ができていないということである。これについては、次の表現力と説明力のところで、じっくりと考えてみる。  

もう一つの理由は、たくさん知っているがゆえに、あれもこれもと、どうしても書きすぎてしまう。素人ユーザからすると過度にたくさんの情報が記載されていて、何が大事で何が大事でないかがわからないということになる。  

たくさん知っていると、書くときに、あれもこれも、となってしまい、頭の中(短期記憶)が書くべきことで一杯になってしまう。 ・何を書いて何を書かないか ・何をどの順に書くか ・大事なこととそうでないことを仕分ける といったことを頭の中で吟味する余地をなくさせてしまう。

そうかといって、コンピュータのことを知らない人にはマニュアルは書けない。それ相応の理解力は絶対に必要である。  「それ相応」が難しいのだが、ここではとりあえず、「説明するのに十分な程度に」くらいで話をおさめておく。  

理解力に関してもう一つ大事なことは、理解力には、知っていることと知らないこととを知る力(メタ認知力)も含まれていることである。  

これがあれば、知らないことを知ることの必要性も自覚できるし、それが自分で理解できる内容なのかどうかの判断もできる。  

そして、自分より知っている人と組んで仕事をすることもできる。実は、マニュアル作りにはこれが一番よいと思っているし、会社では、こうした体制が作られているところも多い。  

なお、技術を作る力はないが、たとえば、科学技術の記者や編集者などのように、技術の理解力も表現力も説明力も完璧という技術教養人もいる。そんな人がテクニカルライターになってくれれば言うことなしである。  技術教養人をもっともっと増やし、その質を高めることが大学教育が求められている時代になってきている。

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1 コメント

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Unknown (桜香)
2011-06-06 01:54:23
知らないこと以外はなんでも知っている

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昔コメしたきよく
(`∇´ゞ
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