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自伝その2

2018-05-02 | 自分史
自伝(2)
●「小学校段階(昭和24年~昭和30年)」
 徒歩で40分の小学校に通いました。今の近隣の子どもは、バス通学だそうです。
悪がきと山川を駆け回った。その頃は、学校でも寒稽古などもあったから体力作りは万全だった。しかし、荒っぽかった。すねに傷、絆創膏は当たり前だった。この中で自然に身に着けたリスク感覚は貴重だったと思います。
昨今の学校。リスク管理をおろそかにしたら学校長、一発でおしまい。しかし、ここに大いなるパラドックス。リスクなし、リスク防止の徹底が、子どものリスク感覚を奪い、リスクマネジメント力を奪ってしまう。

この「自然教育」つまり「生活と教育とが混然一体」
○誰もが生きるためにそれなりの分担をせざるをえない中で生きるすべを学ぶ
○生きるために自分を表現して周りと調整していく
くらいの意味です。
そこには標準がありません。無手勝流の教育です。育つ子供も無手勝流。今はやりの言葉をつくなら、個性尊重ですね。いやアクティブラーニングですね。
 学校教育は、「みんな一緒」が根底にあります。個性尊重とは根本では矛盾。

4年生の担任として山形から赴任してきた中年の先生。
もう退職されて90歳に近いのですが、卒業してからもずっと、毎年一回、集まってはわいわいがやがやを続けてきています。(途中、徳島など地方勤務があり、自分だけ抜けたこともありますが。)
初めて受け持ったクラスなのでという理由以外、とくにそうする理由はないらしいのですが、とても特異で我々にとっては得難い先生なので、ご紹介させていただきます。

●中学校段階(昭和30年~33年)
高校進学率が40%くらいのときです。
ちなみに、今、大学進学率53%ですから、昔の高校でかかえた諸問題が大学で起こっていることに酷似しているのではないかと思います。
ここでも、一人の教師、いや無免許英語教師の話。
代講でみえた英語の教頭先生が教壇にたった。
「起立>[「courtesy」(礼儀)>着席]
教頭先生、微妙な顔。その表情、今でも思いさせます
やがて、無免許が発覚したらしく、いつのまにかいなくなりました。


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