指差し確認あるいは指差し呼称は、実に優れた確認手段だと思います。
頭の中だけでの確認はかなりおぼつかないところがありますから、このように、行動や口頭で目に見える形で外に出すことは、確認することを保証しますし、その精度も高めます。
問題は、指差し呼称の、いわゆる形骸化です。確認することと指差し呼称とが切り離されてしまうことです。
形骸化するのは、ほとんどいつも「よし」(確認すべきことを確認したが問題なし)が続くからです。「問題あり」は、千に、万に1回です。こんな状況では、確認「行為」は、決められているからするが、確認はちょっとはさぼっても---もちろん、意識的にではありませんが---、ということになるのは、当然です。
なんとか、確認と確認行為(指差し確認)とをきちと連動させる方策が必要となります。
「よいか?」と疑問形にする呼称も一つの工夫です。さらに、「止まって」や「身体を指差しの方向に向けて」といった、行為そのものをもう少し増やすことで、確認行為を意識的に行なわせるのも有効です。
頭の中だけでの確認はかなりおぼつかないところがありますから、このように、行動や口頭で目に見える形で外に出すことは、確認することを保証しますし、その精度も高めます。
問題は、指差し呼称の、いわゆる形骸化です。確認することと指差し呼称とが切り離されてしまうことです。
形骸化するのは、ほとんどいつも「よし」(確認すべきことを確認したが問題なし)が続くからです。「問題あり」は、千に、万に1回です。こんな状況では、確認「行為」は、決められているからするが、確認はちょっとはさぼっても---もちろん、意識的にではありませんが---、ということになるのは、当然です。
なんとか、確認と確認行為(指差し確認)とをきちと連動させる方策が必要となります。
「よいか?」と疑問形にする呼称も一つの工夫です。さらに、「止まって」や「身体を指差しの方向に向けて」といった、行為そのものをもう少し増やすことで、確認行為を意識的に行なわせるのも有効です。
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