心の風景 認知的体験

癌闘病記
認知的体験
わかりやすい表現
ヒューマンエラー、安全
ポジティブマインド
大学教育
老人心理

食欲ないから食べないはだめ

2020-06-20 | 癌闘病記
食欲がない。
食事の準備も面倒。だから食べない。
元気がでない。
この悪循環からぬけでるには、
食欲ない>なんでもいいから好きなものを食べる
>元気が出てくる。
のサイクルにしなければいけない。

食事がてきめんに心身の元気に直結することに、この年になってきがついた。

というわけで、やっと元気回復しそうです。

プロスペクト理論(prospect theory)」心理学基本用語

2020-06-20 | 心理学辞典
●プロスペクト理論(prospect theory)
同じ1000円の損でも、1万円もっている人と、10万円持っている人とでは、その損に対する主観的な感覚は違う(感応度低減性)。あるいは、死亡率10%と生存率90%という表現は、数学的には等価であっても、死亡率のほうをより誇大に受け取ってしまう(損失回避性)。また、10人中のトップと、100人中のトップとでは、同じトップでも喜びが違う(参照点依存性)
このように、経済合理性、数学的論理性から考えると「非合理的な」人の判断について理論化してみせたのがプロスペクト理論である。行動経済学が展開されるきっかけを作った理論である。



5章 研究する」認知と学習の心理学より

2020-06-20 | 認知心理学
05/10/31海保

5章 研究する 10p
5.1 こんな研究をしてきた
●基礎研究からスタート
●基礎研究はなぜ大事なのか
●基礎研究から応用研究へ
●応用研究だけはだめ

5.2 知の生産をする力
●発想力
●企画力
●実行力
●解析力
●表現力

5章 研究する

5.1 こんな研究をしてきた

●基礎研究からスタート
今にして思うと、なんであんなつまらない、毒にも薬にもならない研究をしていたのだろうと思う。謙遜ではない。こうした思いは、多かれ少なかれ多くの基礎研究者の述懐にはあるのではないかと思う。
筆者の場合の研究のスタートは、卒業論文である。カタカナ文字の見易さの順位づけをして、その順位を規定する形態的な要因を見つけだそうとした研究をしてみた。指導教官からの天下りテーマであった。「メッシュ化された片仮名文字の見易さの規定要因ーー重回帰分析による検討」として学会の機関誌に掲載された。
その後、文字認識をもっと幅広く、パターン認識の文脈で吟味してみたくなり、「形の知覚に関する多変量解析的アプローチの現況」さらに「無作為図形の分類作業における手がかり利用の方略」といった論文を書いてみたりした。 
そのうち、漢字という日本古来の素材が形音義という複合した情報を一つの文字に内蔵した興味深いパターンであることに気づき、漢字の形音義を日本人や外国人がどのように処理しているかに興味を持った。
そして、「漢字情報処理機制をめぐって 」「教育漢字の概形特徴の心理的分析」「先天盲の漢字存在感覚と漢字検索過程 」「漢字の機能度指数開発の試み」 「日本語の表記行動の認知心理学的分析 」
といった論文を書いてみた。
これ以外にも、学生と一緒にやった概念形成に関する研究もある。
ここまでが、筆者の基礎研究時代の研究内容である。研究生活に入っておよそ20年間がたっていた。

●基礎研究はなぜ大事なのか
いずれの研究も、それでどうなるの、という研究ばかりである。しかし、だからといってそこに費やされたコストもすべて無駄だったのかと、問いつめられれば、即座にいくつかの反論をしたくなる。
まず、個人的なメリットを挙げるなら、基礎研究は、リサーチマインドを体得するのに絶好の場を提供する。ここでリサーチマインドとは、研究者としての心がまえ、さらに言うなら心理学の研究文化である。これは、夾雑物のない純粋な研究環境のもとで興味にあかせて脇目もふらずに、そして周囲、とりわけ指導教官などとの議論などを通して一定期間——大学院5年間くらいが一つのめどーー研究に没頭することで体得できる。時折、大学院の3年編入で他大学からやや異なった研究文化を身につけた学生が入ってくると、あらためて、我が研究室の研究文化の存在に気がつかされる。
さらに、個人的なメリットを挙げるなら、研究者としての力量アップである。研究は、個人でおこなうにしても、一大知的プロジェクトである。そこでは研究のアイディアを生み出すための発想力、それを調査や実験として具体化するための企画力、それを実際におこなう実行力、結果を分析する解析力、そして得られた結果を外に向かってアピールする表現力が求められる。基礎研究は、研究テーマを限定することで、こうした力量を訓練する恰好の場を提供する。これについては、さらに次項で考えてみる。
次に基礎研究の社会的意義を2つほど挙げておく。
一つは、人材養成機能である。どんな人材が養成されるかは、上述の個人的メリットの2つである。心理学の研究文化や心理学的な知的素養が外部でどれくらい役立つかは時代によって変わってくるが、すくなくとも、心理学化している現在の社会(斉藤環氏による)では、至る所で役立っていると思っている。

コラム「心理学化化した日本社会」*****
斉藤環氏の本(「心理学化する社会)PHP)の「はじめに」から、心理学化した日本社会の様相を摘記してみる。
・どの書店でも、心理学書のコーナーが設けられている
・女子高校生がなりたい職業の第二位がカウンセラー
・社会事象の分析に精神分析的手法を持ち込むのが流行
・動機のはっきりしない犯罪についてのコメントを心理学者に求めるようになった
・癒しブームの中核に臨床心理学がある
・トラウマ(精神的外傷)インフレーションが小説、映画、TVで発生
 さらに、これに追加するなら、心理学の制度化がある。あちこちの大学に心理学部ができ、さらに、医療心理士、臨床心理士の国家資格化の動きなどである。
******

基礎研究の社会的意義その2は、基礎研究の知見が積み重なると、そこからおのずと出てくる鍵概念や理論が、心理学の場合なら、人間の営みの不思議を説明したり解き明かしたりする機能を果たすことが多い。それは、後述する応用研究が寄ってたつ、いわば知識のインフラになる。

●基礎研究から応用研究へ
およそ20年の基礎研究の期間が突然終わることになったのは、当時、日本IBM(株)の大和研究所の人間工学のセクションでマニュアル(取扱説明書)評価の仕事をしていた加藤隆氏(現在、関西大学総合情報学部長)から、認知心理学の立場から、マニュアルをもっとわかりやすくする方策がないかと相談されたのがきっかけだった。
どんなことをしたかというと、認知心理学の知見をベースにして、「ユーザはマニュアルをこんな風に読んでいる」
マニュアルを読んでいるときにこんなことを頭の中でしている」だから
「こんなふうにマニュアルを書いてくれるとわかりやすくなるはず」
という提言をしてみた。
その時にはじめて、基礎研究も捨てたものではないということに気が付いた。基礎研究をきっちりとやってきてよかったとあらためて思った。
 その成果は、「ユーザ読み手の心をつかむマニュアルの書き方」(共立出版)「一目でわかる表現の心理技法(共立出版)として出版し、今でもまだ版を重ねている。

コラム「マニュアルをわかりやすくするための指針****
 提言の内容をもう少し具体的に言うと、マニュアルのユーザ支援機能を5つ設定して、それぞれについて、たとえば、こんなことを提言してみました。
1)操作支援(操作を指示する表現はどうすべきか)
・1文1動作で
・操作ー結果ー操作のサイクルを示す
2)参照支援(情報を探しやすくする)
・出来上がり索引を使う
・目次はユーザのタスクを考えて作る
3)理解支援(わかりやすくする)
・操作の目標を先に示す
・専門用語の使い方を慎重に
4)動機づけ支援(読んでみたいと思わせる)
・出来上がりを最初に示す
・実益を感じさせる
5)学習・記憶支援(覚えるべきことを覚えやすくする)
・基本操作を習熟させる
・実用的な練習問題を提供する
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●応用研究だけはだめ
 応用研究は、研究の目的がわかりやすいのが特徴の一つである。「マニュアルをわかりやすくする研究」と言えば、誰にもただちに納得してもらえる。なお、これが基礎研究ともなると、テーマはわかってもらえたとしてもその意義まではまず無理である。時には指導教官とも理解してもらえないために衝突することさえある。
応用研究のわかりやすさは、ただちに、その結果の有用性を問われるところにある。ところが、心理学の応用研究一つでわかること、そしてその結果の有用性の程度は、ごくごく限定的である。ここでも基礎研究と同じで、たくさんの研究の積み上げが求められるのである。ところが、ここで基礎研究と違うところが出てくる。
基礎研究は、他の多くは膨大な研究群の詳細な吟味から次の実験が計画され実施される。ある研究とそれを踏まえた次の研究との間に、論理的にしっかりとしたつながりがある。そのつながりがあるからこそ、理論が出てくるのである。
ところが、応用研究は、その時その場で解決を迫られていることがテーマとして取り上げられる。研究間の論理的な関係はあまり問わない。単純化して言うなら、計算のできない子供をできるようにするのはどうするかの方策を探すのが応用研究、なぜ計算ができないのかにまで立ち返って研究するのが基礎研究なのである。
この違いは大きい。だから、基礎研究は必要なのだ。だから、基礎研究でのトレーニングが大切なのだ。

5.2 知の生産をする力

●発想力
研究は仮に一人でやるとしても、一大知的プロジェクトである。そこではどんな能力が必要なのであろうか。研究の構想から研究の終了までの段階で必要とされる5つの能力を考えてみることにする。
まず、発想力から。
発想力がまず試されるのは、卒業論文の時である。それまでの受け身的な学習から一転して、積極的な学習への転換が求められのが、卒業論文である。
研究室文化の違いによって、テーマの選択から研究の実施まで、学生の自由にさせてくれるところと、かなり制約がかかるところとがある。心理学の多くの研究室はだいたい学生の自主性を尊重するところが多い。
ところが、この自主性がしばしば物議をかもす。一つは、学生の自主性にまかせると、ぎりぎりまですべてにわたって「自主的に」やろうとするため、12月の締切までの研究の時間管理がうまくいかなかったり、指導忌避のためとんでもない研究をしてしまったり、実験や調査で思わぬ迷惑を他人にかけてしまったりといったことが発生しがちである。これは時には指導教官の指導不足、ほったらかしとして非難されることにもなる。
もう一つの物議は、テーマ選択にかかわるものである。
心理学のような学問では、自然科学のような学問とは違って、自分の個人的な心的体験が研究テーマになることが実に多い。とりわけ、はじめて研究(のまねごとを)する卒論のようなケースで、自主的にやらせると、自分の心的体験を持ち出せてきてテーマにしたいということになる。たとえば、
・無意識の世界はどうなっているか
・錯視はどうして起こるのか
・夢をみるのはなぜか
・人の性格は変えられないか
いずれも心についての問題意識としてはあって当然のテーマである。しかし、それが卒論のテーマにふさわしいかとなると、首をかしげてしまう。
テーマが大きすぎてとても卒論では無理なもの、今の心理学の知見、常識からして答えられないものが多いのである。
そこでよくやる指導は、学生の問題意識、知的好奇心を大切にしながら、現実的な研究テーマに落とし込むために、関連する研究雑誌から自分の考えているテーマに最も近いものを見つけさせる作業である。これによって、一気に学生は研究の現実の厳しさを知ることになる。
卒論におけるテーマ設定の話になってしまったが、研究する際の構想力の話に入る。
構想力の核には、知的好奇心が必要である。卒論の場合は、これが個人的な心的体験から発するものが多いが、心理学の研究者ともなると、仮にそこから発したとしても、それを学問的な探求に値するものにまで昇華しなければならない。それが研究者の構想力というものである。知的好奇心から沸き上がったきたテーマが過去の心理学の研究成果の中で練り上げられて仮説のレベルにまで精選されなければならないのである。そのためには、寝ても覚めても頭がそのテーマで占められている長くつらい状態を経験することになる。
この段階で、振り落とされてしまうテーマはごまんとある。自分自身で振り落とすものもあるし、仲間との議論の中や指導教官の「つまらないね」の一言で振り落とされるものもある。文献検索ですでにやられていることがわかることもある。研究遂行の上で一番しんどい段階と言ってもよいかもしれない。
この段階でぐずぐずと時間を無駄にしてしまうこともある。ただ、長い目でみれば、この段階でのぐずぐずは、そのプレッシャーに負けない強い知的好奇心があれば、将来、大きく花開くこともある。

●企画力
構想力は頭の中だけで展開されるから、どれほど奇想天外であっても、また壮大であってもいっこうにさしつかえないが、企画となると、とたんに、お金、時間、労力といった現実の壁に直面することになる。企画力は、いわば、自分の思いと現実とをつなぐインタフェースである。
とりわけ研究費については、最近の日本の競争的な研究環境を推進する強い圧力のもとでは、しかるべきところにあらかじめ申請して獲得しなければならないようになってきている。その申請書を作るところで、企画力が試される。
申請書作りは、論文を書くのとは違って、構想のすばらしさ、独創性、意義などを審査者にアピールすることが主眼になる。
 
コラム「科学研究費申請書」******
日本の科学研究者なら誰もが知っていて、一度や2度は


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もっとも、卒論程度の小さい研究なら、だいたい実験・調査計画という定番のスタイルがあるので、それほどは苦労せずとも企画できる。それでも、現実の制約は至る所で出てくる。
最近では、金、時間、労力に加えて、研究倫理の制約が強くなってきている。とりわけ、人を被験者にする心理学の研究では、あまりの制約の厳しさに、やや根をあげているようなところさえある。
たとえば、
 ・事前に、研究目的について充分な説明をして同意をえること
・子供相手の研究では、保護者の同意をあらかじめ得ること
・研究への参加はいつでも取りやめることができることを事前に通知すること
・被験者に不快体験をさせないこと
いずれにしても、こういした現実の壁を一つ一つ乗り越える力が企画力になる。

●実行力
企画力とセットになっているのが、実行力である。企画しながら実行し、実行しながら企画を練り直すのが普通だからである。
大言壮語ばかりで実行が伴わないタイプの人もいるし、逆に、充分に企画案を練り上げる前にあれこれやってみるタイプの人もいる。自分はどちらかというと、後者である。
いずれにしても、およそ、最初の構想とは無縁とも思えるような実に地道で時間のかかるルーティン・ワークが求められるのが、この段階である。
心理学の場合には、とりわけ、実験や調査協力者を探すのが大変である。卒論の最盛期になると、心理学の専攻生は引っ張りだことなる。協力することで、心理学への理解が深まるし、明日は我が身なのだから、と言って協力させてはいるが。
これ以外にも、実験セットの組み立て、調査票の設計という知的な実行力が試される段階もある。

●解析力
調査研究の場合は、収集されたデータからねらい通りの結果が得られているどうかを解析する力仕事がさらに待っている。
最近ではコンピュータのパッケージソフトのおかげで、ルーチンになっている分析は、入力作業さえ終われば瞬時に結果を出してくれるようになり、解析コストは著しく低下した。
しかし、いつもルーチン的な分析ばかりで済むわけではない。データの中から自らの目で発見する力も必要である。コンピュータ解析が普及したため、データをきっちりと見る前に分析してしまうような傾向があって、データから何かを発見する力が格段に低下してしまったように思う。
心理学の研究では、人をみることに加えてデータをみることも大事なのである。

●表現力
研究の成果は、外部に公開することが義務づけられている。最もポピュラーなものが学会発表。これは、学会員ならだいたい誰でもその学会で発表できる。年に一度は開催されるので一番早く公開できる。時には、海外にまで出かけて発表することもある。最近は、科学研究費で海外出張が認められたこともあって、実に多くの日本人研究者が気楽に海外の学会で発表するようになった。

コラム「研究者の表現力、我彼の違い」********
 橋田浩一氏が認知科学会のニューズ・レター(一九八八年、第九号)に、「JAICA八七参加記」と題して、こんな話を載せている。締めくくりの事例として引用させていただく。
 「Johan de Kleer が Computers & Thought Award という賞をもらって、記念講演をやりました。……非常に面白く聞ける話をしておりましたが、後によくよく考えてみると、実は学問的には得る所がなかった、……しかしこれは逆に、いかに彼の presentation が巧妙であったかを示すものであり、彼の業績に対する評価もひとつには(いや一重に)この能力の故である……これに対して日本人の発表はうまいとは言えません。……迫力に欠けると言うか、どうも見劣りがします。……語り口の巧妙さによる説得力は研究そのものの質の重要な部分を占めるわけで、この説得力がその研究に対する共鳴を呼び、そのさらなる進展につながるのです。 
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しかし、研究者としての業績として評価されるためにには、さらに、学会で発行されている学会誌に発表しなければならない。これがなかなかしんどい。仲間による審査(ピア・レビュー)が結構厳しいからである。これが研究者としての評価につながっていく。評価されるのを嫌ってか、論文を投稿しない研究者まがいの大学院生も多いのが気になっている。