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2014-03-12 | Weblog
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指さし確認

2014-03-12 | 安全、安心、
指差し確認あるいは指差し呼称は、実に優れた確認手段だと思います。
 頭の中だけでの確認はかなりおぼつかないところがありますから、このように、行動や口頭で目に見える形で外に出すことは、確認することを保証しますし、その精度も高めます。
 問題は、指差し呼称の、いわゆる形骸化です。確認することと指差し呼称とが切り離されてしまうことです。
 形骸化するのは、ほとんどいつも「よし」(確認すべきことを確認したが問題なし)が続くからです。「問題あり」は、千に、万に1回です。こんな状況では、確認「行為」は、決められているからするが、確認はちょっとはさぼっても---もちろん、意識的にではありませんが---、ということになるのは、当然です。
 なんとか、確認と確認行為(指差し確認)とをきちと連動させる方策が必要となります。
 「よいか?」と疑問形にする呼称も一つの工夫です。さらに、「止まって」や「身体を指差しの方向に向けて」といった、行為そのものをもう少し増やすことで、確認行為を意識的に行なわせるのも有効です。

心理データ」心理学ってどんなもの

2014-03-12 | 認知心理学
Q2・4「心理学は、データに基づいてものを言うということになっているそうですが、データとはどんなもので、また、どのようにして集めるのですか」---心理データ  

データに基づいて理論を作り出す科学を経験科学、論理を操って理論を作り出す科学を形式科学に分けることがあります。自然科学や心理学は経験科学に、数学や論理学は、形式科学に分類されています。  

なお、最近では、この分類枠に加えて、経験科学と形式科学の中間に位置づけられる科学の分野が形成されつつあります。シミュレーション科学とでも呼ぶにふさわしい分野です。コンピュータの進化に伴って急速に形成されつつあります。コンピュータの中で、現実世界を論理的・計算的に仮想的に作りだしてみて---この部分が形式科学的---、それを現実と突き合わせてみる---この部分が経験科学的---というアプローチです。認知科学や複雑系科学がこのカテゴリーに入ります。  

さて、経験科学に分類される心理学のデータの話です。  

まず、データの集め方から。
言うまでもなく、人から集めることになりますが、それには、3つの方法があります。

一つは、実験データです。実験室で人(被験者)に実験者の指示に従って何かをしてもらい、その計測値をデータとします。正解数や反応時間や特定の行為の生起回数などがデータになります。  
2つは、調査データです。たくさんの人に質問をして、その回答数や回答パターンをデータとします。  
3つは、観察データです。人の行動を観察して、何が起こっているかを記述します。あらかじめ、観察する項目を決めておいてチェックするようなデータから、観察者自身その現場に入り込んで(参与観察)質的なデータを集めるようなこともあります。  

さらに、収集されたデータの性質を分類してみると、次のような分類枠があります。
○定性的(質的)か定量的(量的)か  言葉で表現されたものか、数値で表現されたものかです。実験データの多くは、反応時間などのように物理的な単位で測られる定量的なデータになります。ときには、何かをさせているときに、頭に浮かぶことを口に出して言わせる(プロトコル分析)ことがあります。これは、定性的データになります。

○確率的か確定的か  一つ一つのデータを確率的な実現値とみなすか、それぞれが意味を持ったものとみなすかです。  


一般法則を見つけ出そうとする研究においては、一つ一つのデータではなくデータ全体を偶然的に変動するものとして(確率的に)扱います。平均値やちらばりなどが使われます。  
これに対して、その1年1組の理科の成績は、その平均値も一つ一つのデータも1年1組固有のものです。変動はクラス内で意味のある個人差です。こうした意味で、このデータは確定的なものです。この極端な例が、一人の個人について集められる事例データです。  
データでものを言うとは、データによって仮説を検証するということになります。だた、どんなデータでも、それだけで、特定の仮説を完全に検証したことにはならないということは知っておく必要はあります。  
論文などでは、「この結果は仮説通りであった」という書き方がなされますが、実は、これは仮説の正しさを保証する必要条件を一つだけ提出したに過ぎません。同じデータが別の仮説の正しさを保証することもありえますし、その仮説の正しさを保証する別のデータも存在するからです。  
かくして、一つの仮説の正しさをめぐって、研究は永遠に続くはずですが、現実には、仮説の成立する範囲や制約条件がだいたいわかってきたところで、研究が収束します。  
もっとも、収束までの時間的な長さは、研究者個人で言うなら、研究人生のすべて、ということもありますから、研究者にはいかに粘り、あるいは執念が必要かがわかります。