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思考の早期固定化の問題」10年前の今日の記事

2020-08-26 | 認知心理学
思考の早期固定化の問題

 原稿書きや研究の構想を練っている段階では、論理的思考よりは、連想思考のほうが大事である。連想思考は、だいたいは、頭の中で展開される。あっちに飛んだり、まったく同じところを堂々巡りをしたりで、とりとめがない。
ワープロが出てきて困ったことは、こうした連想思考をワープロを目の前にしないとやらなくなってしまったことである。形にならない頭の中での連想思考より、ワープロにどんどん打ち込んで思いを固定していけば、いずれそれらが活かせるという気持ちが強くなる。
悪いことではないのだが、目に見えるものに思考が固着してしまい、発想が自由奔放に展開しなくなってしまうのである。
時にはパソコンを離れて、自由に連想を楽しむことも大事である。
************ 


●不信(distrust)の形成」心理学基本用語

2020-08-22 | 認知心理学

●不信(distrust)の形成
組織や人に対する信頼の形成には膨大な時間と努力がかかるが、不信のほうはごく短期間で形成されてしまう怖さがある。
不信の形成と増幅にかかわるのは、事故や違反行為などのネガティブ事象の報道が主であるが、マスコミ対応のまずさも不信を増幅する。たとえば、不充分な情報公開、情報の小出し、改ざん記録の開示、言い逃れ、嘘の発覚など。

過去の論文リスト(こんなものが出てきた!!)

2020-08-14 | 認知心理学
(学術論文)
1.無作為図形の分類作業における手がかり利用の方略




2.漢字情報処理機制をめぐって



3.文字認識研究におけうウオルシュ変換の利用をめぐって






4.教育漢字の概形的特徴の心理的分析







5.先天盲の漢字存在感覚と漢字検索過程








6.メッシュ化されたカタカナ文字の視認性の精神物理学的解析
(教育学博士論文)


7.記憶の認知モデル












8.日本語の表記行動の認知心理学的分析




9Measuring various aspects of kanji and its psychological implications





10.異なる認知課題における分析的・全体的処理方略の頑健性










11.マニュアルにおける操作説明の最適設計






12.オペレータの自己モニタリング力を高める



  •  13.算数・数学教育研究に寄与する
与する認知の科学の視点
  • の抽出と吟味. 






14.日本語教育と認知研究




  •  15.読み方略についての包
  • 括的尺度の作成とその有
  • 効性の吟味 




16.生きる力の評価-認知面 







17.その推論はオンラインか;談話理解におけるオンライン推論の方法論的・理論的考察  








18.心的演算処理研究の諸問題とその議論. 









19.検索誘導忘却をめぐる諸問題







20.漢字「ど忘れ」の心理とその克服法





21.人にやさしいドキュメント作りーーマニュアルを素材にして 

22.都市交通の安全へのヒューマンエラーの観点からの提言  



23.認知の発達と教育;認知の科学の視点からの一省察



24.事例の関連度が説明文の読解過程に与える影響




25.質的研究法をめぐって

単著





単著



共著







共著







共著








単著






共著











単著






共著






共著











共著







単著




共著








単著




共著







単著







共著











共著









共著







単著





単著



単著




単著




共著





単著

昭和48年4月





昭和54年3月



昭和57年1月







昭和57年12月







昭和58年3月








昭和60年3月






昭和61年5月











昭和62年8月




平成元年10月








平成2年12月











平成3年12月







平成10年2月




平成12年3月








平成13年





平成13年4月







平成13年








平成14年3月











平成15年3月









平成15年3月







平成15年9月





平成17年9月



平成17年12月




平成19年5月




平成22年3月





平成22年5月

心理学研究、44,1,24-31





計量国語学、11,8,331-340



心理学評論、24,4,490-500







心理学研究、53,5,312-315







特殊教育学研究、21,4,7-16








筑波大学







計測と制御、25,4,323-328











日本語学、6,8,65-71




Quantitative Linguistics, 39.151-163







心理学研究、61、5、299-307











教育心理学研究、39,4,461-466







日本プラントヒューマンファクター学会誌、3,2,72-78


筑波大学心理学研究, 22, 85-92

 







日本語教育、108,1−4




読書科学 , 45(1), 1-9

 






指導と評価、47、40−43







筑波大学心理学研究、24,83-97











筑波大学心理学研究, 25, 51-65. 









筑波大学心理学研究。25,69-77







しにか 14巻、9、24-29





システム/制御/情報」46巻、8号、15-25


都市問題研究、57,12,16-28




学校教育研究所年報、51号、26-36




東京成徳大学研究紀要,17,113-122





福祉心理学研究、6,1,32-35

多次元空間に位置づけられる無作為図形の分類において、どの次元が優位に利用されるのか、さらに、その利用の方略はどうなっているかを分析した。

形音義からなる漢字の情報処理過程について、意味への直接アクセスがありうるかを中心に吟味してみた。

文字認識のモデルとしてのウオルシュ変換の妥当性を、理論と実証データとの両面から吟味し、その有効性の一部が確認できた。
共同研究により本人担当部分抽出不可能。第2著者。戸田文雄との共著

SD法を使って、教育漢字881字の形の印象の心理的特徴を分析した。複雑性、規則性、集約性などの特徴が数量的に査定された。
共同研究により本人担当部分抽出不可能。筆頭。犬飼幸男との共著

就学児前失明者の漢字知識の特徴を検索過程から探ってみた。漢字存在感覚は、正常者とほとんど同じであったが、部首を手がかりとした検索はかなり悪かった。
共同研究により本人担当部分抽出不可能。筆頭。佐々木正人との共著

機械読み取り用に設計されたカタカナ文字の視認性を、文字の構造的な特性との関係で分析した。視認性の高さと関連するのは、縦横成分、およびフック型成分であることなどが明らかになった。

記憶モデルの歴史的な変遷が批判的に吟味された。情報処理モデルの説明力の高さは、一方では、説明過剰を生む危険性があること、状況論的なモデルは、個別状況から離れた一般性をどうモデルに組み込むかが問題であることが指摘された。
共同研究により本人担当部分抽出不可能。第1著者。加藤隆と共著

漢字を書きだすまでの認知情報処理過程が分析された。形としての複雑性を書字時に処理負荷がかからないような巧みな方略を使っていることが示された。
共同研究により本人担当部分抽出不可能。筆頭。H.Saitoとの共著

漢字のもつ多彩な特性の数量的な分析がおこなわれた。さらに、読み書き成績や熟知度との関連も因果モデルを使って分析された。

顔刺激と言語刺激の分類方略に違いがあるかどうかを検討した。刺激の違いにもかかわらず、頑健に一つの方略にこだわる被験者がおよそ3割、柔軟に変更する被験者が4割おり、認知スタイルとしては、この方略が使える可能性は低いことがわかった。
共同研究により本人担当部分抽出不可能。第2著者。出口毅と共著

マニュアルの操作説明の最適モジュールを心理実験によって探った。リードと具体例の配置がもっとも重要であることがわかった。
共同研究により本人担当部分抽出不可能。第2著者。比留間太白と共著

プラントオペレータの自己コントロール力を高めることで、事故防止をするための方策を、メタ認知研究を援用していくつか提案した。

算数・数学における子供の認知過程に焦点を当て、そこで役立つと期待される認知の科学の視点を取り上げて、その研究上、および教育上の利点を考察してみた。
共同研究により本人担当部分、抽出不可能。第2著者。島田英昭と共著

日本語教育に認知研究がいかに貢献できるかについて、指導方法、言語学習、動機づけの観点から考察と提案をした。

読書に必要な認知的方略を、本の選択方略から読後のまとめ方略まで、包括的に尺度として設定し、その信頼性や妥当性を検討した。
共同研究により本人担当部分抽出不可能。第2著者。井関,龍太と共著

義務教育のなかで近年、生きる力の育成が喧伝されるようになってきた。そこでは、学力評価とは違った評価の観点と方法が必要とされる。本論考では、認知面について、ひとつの試論を提案してみた。

談話理解はオンライン推論ベースで行われていることは間違いないが、その認知プロセスの探求には、格段の工夫が必要となる。本論文では、内外の実験研究の諸方法を収集し、その長短を吟味し、今後の研究に有効に活用できる方法を提案した。
共同研究により本人担当部分抽出不可能。第2著者。井関,龍太と共著

心的演算の認知プロセスを解明するための内外の研究をレビューした。方法論上の問題、得られた知見の不一致などを摘出し、今後の研究への新たな展開への道を探った。
共同研究により本人担当部分抽出不可能。第2著者。島田英昭と共著

ある用語を検索すると、それに関連する用語の検索が一時的に抑制される興味深い現象の発生機序をめぐって文献レビューをした。
共同研究により本人担当部分抽出不可能。第2著者。鈴木祐子と共著

高齢者に頻発する「ど忘れ」について、その出現の様態を類型化し、日本語の情報処理特性との関連で出現のメカニズムについて考察した。


マニュアルをわかりやすくするためのライティング技術について、認知心理学の立場から提言してみた。

ヒューマンエラーを4つのタイプに分け、交通事故との関連を考察し、そこから事故防止に有効と思われる方策を指摘してみた。

認知の科学の4つのキーワードを中心に、子どもの発達と教育にかかわる諸問題を整理して、今後の展開について考察してみた。

事例の効果を確認するためのリアルタイム測定方式を開発し、それを使ったわかりやすさの内的モデルを検証した。
藤岡真也と共著、第一著者

質的研究法の限界と単著について吟味した。

(その他)
1.「解説」  
マニュアルで身につけるドキュメント・リテラシー
 

2.わかるとはどういうことかーーわかることの日常性の認知論的分析


3.生活用具の開発・評価に当たっての認知工学的視点(1)-(4) 


4.「確かな学力」とリテラシー



5.子どもの勉強嫌いを克服する5つのコツ



6.分かりやすい説明と表現のための心理技法;効果的な研修を実施するために 



単著





単著





単著




単著




単著




単著





平成3年5月
から平成4年
9月まで



平成7年6月





平成14年7月




平成16年7月




平成18年12月




平成19年9月





bit、20回の連載





児童心理、95,6,25-30




人間生活工学、13,3,49-51・4,61-63・14,1,41-43・2,57-59

指導と評価、16-19




児童心理 60,7,60-65




更生保護 58,9,44-49




マニュアルに作り込まれているドキュメント作成のノウハウを抽出して、その有効性を認知心理学的な観点から評価して一般に広く啓蒙することを企図したものである。

ごく日常的な言説である「わかる」ということの認知心理学的な意味を改めて考究して、とりわけ、子どもにとってのわかることの意味について日常的な学習との関連で吟味してみた。

生活用具の開発と評価にあたっての認知工学的な視点を4つ設定して、それぞれの留意点を解説した。


確かな学力は、リテラシーとして明示的に示されるところよりは、むしろ、リテラシーとしては捉えきれない潜在的な部分にあることを主張してみた。

子どもは本来勉強好き、という前提でその本来の性向を引き出すにはどうしたらよいかを認知心理学の立場から提言してみた。

研修などでの効果的なプレゼンテーションを行う技法について、聴衆の情報処理を支援するという立場から、いくつか提案してみた。




メタ認知 頭の中の小人の話 (旧)

2020-08-04 | 認知心理学

メタ認知 頭の中の小人の話     

●頭の中にもう一人の自分がいる  
ホムンクルス(Homunculus頭の中の小人)の話は、ゲーテの「ファウスト」に出てくる。   「僕は完全な意味で発生したいのです。1日も早くこのガラスを割って、飛び出   したいのです。」(大出定一訳、人文書院、p235)  自然の脅威もままならないが、それ以上に自分の頭のままならなさに我々は悩まされる。じゃじゃ馬を自分の頭の中にかかえこんでその制御に腐心させられているような感じは、誰もが抱いている。「頭の中に小人がいてそれが悪さ?をしている」という感じと言ってもよい。  しかし、実感は、文学の対象にはなっても、科学の対象にはなかなかなりえない。ホムンクルスも、その存在を痛切に実感はできるもののひとたび心理学の中に取り込んでしまうと、今度は、科学の世界で悪さをすることになるので、慎重であった。なぜなら、人の頭の中にホモンクルスを認めてしまうなら、ホモンクルスの中にさらにホモンクルスを、さらにそのホムンクルスの中にホムンクルスを、---という具合に無限後退が始まってしまうからである。  ところがである。そのホムンクルスが突如、心理学の論文に出現し(注1)、あれよあれよという間に、時代の寵児になってしまったのである。言葉こそ、メタ認知としゃれたものに変わってはいるが、まぎれもなく、ホムンクルスの出現である。

●メタ認知とは  
メタ認知とは、要するに、ホムンクルスが、人の認知過程において何がどうなっているかを監視し、適応的な活動をするようにコントロールすることである。(注2)  前述したように、我々の実感としては、ホムンクルスは確かに存在するし、機能している。それを素直に心理学の研究テーマにしたのが、メタ認知研究である。科学方法論的にどうのこうのと考え出したら、怖くて扱えない。しかし、存在するのだから、科学(心理学)は立ち向かうべしとの挑戦心が生み出した産物とも言える。実は、もう一つ、メタ認知研究の研究に向かわしたものがあると思っている。それは、コンピュータである。  コンピュータには、中央演算装置があり、そこには、OS(Operating System) というソフトがコンピュータ全体の仕事を管理している。ホムンクルスを、このOSの働きにたとえてみることができることに気づいたのである。コンピュータ・アナロジーの成果である。神秘的色彩の濃かった、そして、科学方法論的には問題であったホムンクルスが、工学的実体としてイメージできるようになったことで、安心して論ずることができるようになったのである。

●心理学の研究の多くはメタ認知の存在を前提にしている  
心の働きには、その働きをまったく意識できない領域と、意識しようとすれば意識できる領域と、ほぼ完全に意識できる領域の三つがある。例を挙げてみると、  
「意識化不能な領域」    感覚過程 パターン認識の過程     
「意識化努力によって意識化可能な領域」    物を覚える過程 問題解決過程 自分の性格や能力の判断過程   
「意識化可能な領域」    プランニングや構想過程   
このうち、メタ認知が機能しないのは、「意識化不能な領域」である。ちなみに、こうした領域を、心のアーキテクチャー領域と呼ぶ。これ以外の領域では、メタ認知が機能している。したがって、メタ認知を前提にした心理学独特の研究技法が使えることになる。つまり、意識化可能な領域では、被験者に直接/間接に、「心について尋ねる」手法である。  その際たるものは、内省法(注*)とプロトコル法(注**)である。後者は、何かの作業をさせて終わってから、作業中のことを振り返って心がどうだったかを問う。後者は、作業中に、今あなたは何を考えているかを問う。  もう少し間接的に心について尋ねる方式もよく使われる。その典型が質問紙法である。たくさんの質問を用意して、それに答えてもらうことで、心に迫ろうというものである。  いずれも、メタ認知を前提にしてはいるが、メタ認知は完璧には機能しないので、本当に心を語ってくれているかどうかは保証の限りではない。その保証を担保する仕掛けがいろいろ工夫されている。  研究対象自身に研究対象のことを語らしめたデータを使って科学にしてしまおうという、この心理学独特の研究技法。自然科学の技法と比較すると、本当に大丈夫と心理研究者までもが思う。思うが、ここでがんばることが、心理学が人についての科学の中核になるためには、絶対に必要ではないかとも思う。      

***********
注1 Sternberg(19**) が提案した、人の高速検索モデルの中に、Hという一文字が解説なしに---控え目に?---書き込まれているのをみたとき、「エッ!!」とびっくりしたのを今でも思い出す。
注2 メタ(meta)とは、「越える、あとからついてくる」の意の接頭語である。認知の認知、あるいは、認知活動に伴ってできてくる活動ということ。  
(注3)話がややこしくなるが、メタ認知そのものについての心理学的な研究領域もある。念のため。A.ブラウン(湯川・石川訳)1978「メタ認知」サイエンス社など参照。

注* W.ティッチェナー(1876-1927)は、感覚領域でも、被験者を訓練すれば内省によって(こそ)心理学の構築に必要なデータが得られるとして、組織的内観法を提唱した。

注** 海保博之・原田悦子編著 19** 「プロトコル分析入門」 新曜社


海保博之のおすすめ作品のランキング

2020-07-29 | 認知心理学
海保博之のおすすめ作品のランキングです。ブクログユーザが本棚登録している件数が多い順で並んでいます。
『仕事日記をつけよう』や『心理学者が教える 読ませる技術 聞かせる技術 心を動かす、わかりやすい表現のコツ (ブルーバックス)』や『「ミス」をきっぱりなくす本 (成美文庫)』など海保博之の全54作品から、ブクログユーザおすすめの作品がチェックできます。
  • おすすめ
  • 人気
  • レビュー数
  • 文庫
  • 新刊
  • 電子書籍

仕事日記をつけよう
 359人
 3.51
 45件

海保博之 本 2012年4月4日  Amazon.co.jp
感想・レビュー
感謝の気持ちを日記に書きたいと思います。人は気持ちを書くだけでも気分転換になる。自分の置かれた状況を整理できる。少しずつ試してみたい。 もっと読む


レビューを読む


心理学者が教える 読ませる技術 聞かせる技術 心を動かす、わかりやすい表現のコツ (ブルーバックス)
 203人
 3.24
 22件

海保博之 本 2018年7月18日  Amazon.co.jp
感想・レビュー
この技術は中学生に教えていることでありますが、その技術を駆使して教師ができているかどうかということにもなりまして、大変参考になりました。 もっと読む


レビューを読む


「ミス」をきっぱりなくす本 (成美文庫)
 128人
 3.13
 17件

海保博之 本 2005年6月2日  Amazon.co.jp








笑い事ではないのだが、----」素人政治談議

2020-07-24 | 認知心理学
NHKニュースより

トランプ大統領は22日、FOXテレビのインタビューで、「メディアが私のことを『不能』だとか『正気でない』などと言うので、私は1年ほど前に、そうした人々を黙らせるために認知機能をはかるテストを受けた。結果は満点だった」と述べました。

そのうえで、野党・民主党の候補者指名を確定させているバイデン前副大統領について、「同様のテストを受けるべきだ。敬意を払ったうえで言うが、彼はどこかおかしい。いずれ誰もがそうなるが、そのリスクを冒すことはできない」と述べ、77歳と高齢のバイデン氏は認知能力に問題があると示唆する独自の主張を展開しました。

そして「大統領は頭の切れる人物でなければならない。習近平国家主席やプーチン大統領は頭がよく、100%でない人物を大統領にするわけにはいかない」と述 ーーー
@@

うーん、なんというべきか。
こんなレべルで競う大統領選挙って、なんだかなー
でも、とても大事なことではある。
まずは、満点だったという証明をみせてほしいなー




海保博之著「連想活用術」(中公新書)「OKCHANのブログより」

2020-07-17 | 認知心理学
2011年12月27日 (火)
海保博之著「連想活用術」(中公新書)
 
人は連想することで発明、発見、創造をすることが出来る。同時に不本意な連想にとらわれることで悲しみや不安の蟻地獄に陥ることもある。
この連想の仕組みとは何か、そしてその仕組みや働きを理解することで、連想を有意義な方向に持っていく方法を提示するのがこの本の目指すものである。精神的、心理的な傷を癒すことに連想がどう応用されるのか。また、連想によって知識をどう活性化させられるか。いろいろな知識はそれぞれがネットワーク化することで活性化される。また連想を生かすことで創造を支援するとはどういうことか。
以上非常に興味のあるテーマで話が進められている。
人は無意識に連想をはたらかせている。この本に書かれていることは無意識に行っていることを意識化して分類し、方法論化しているものだが、どこか精神分析のような、そして夢の分析のような、おっしゃることは何となく分かるけれども・・・という感じが最後までぬぐえなかった。この感じは昔大学で社会学の講義を聴いたときに感じたものとよく似ている。延々と方法論が語られ続け、ところで社会学って何?という疑問だけが残った。
連想についてしきりに論じられているが、この本にも述べられているとおり、どのように連想を活用するかは人によってみな違う。連想にこだわりすぎると連想にとらわれ、連想そのものがその自由度を失ってしまう。これはかなり危ういことなのだ。本当に。
結局自分が今行っている(多分)連想に基づく直感を大事にしていくしかないのだということで得心した。分かるかなあ。





投稿者 OKCHAN 日時 2011年12月27日 (火) 15時52分 書籍・雑誌 | 固定リンク




専門家はーーーー

2020-07-12 | 認知心理学
最近のニュースやニュースショーでは、
「専門家の意見は」とふって、
専門家が登場してひとこと。
なにせ専門家である。
おっしゃることは間違いないはずと無批判で納得しがち。
これが意外に危ない。
専門家、とりわけ理工系の専門家は、データが得られた状況、そして、前提条件や制約条件を踏まえてものをいうことになっている。
しかし、メディアでは手っ取り早く結論だけをと促される。
かくして、門外漢は、その前提や制約条件を忘れて(無視して)結論だけを取り込んでしまう。
そこに誤解が発生する。

演習問題として、
コロナ感染明日はどうなる?」の予測についての専門家の意見を聞くのもあり。



10章 ドライブする」認知と学習の心理学

2020-07-02 | 認知心理学



05/11/8海保博之

10章 ドライブする

10.1 三大趣味の最後はドライブ

●中年になってはじめてマイカー
45歳にしてはじめてマイカーを運転することになった。きっかは、家内が福祉関係の仕事をはじめたため移動手段が必要になったからである。したがって、自分が運転するのは週末だけであった。
それでも、車のとりこになったしまった。それまでも時折、マイカーがあったらいいなーと思ったことがある。とりわけ、筑波大学に移った昭和五〇年の頃は、移動手段が自転車とバスしかなかったのだから、車は必需品でもあった。それでも我慢したのは、買うだけの資金の捻出することが、当時の給料から計算してみると、とても無理だったからである。マイカーを持っている人に、このことを言うと、買ってしまえば何とかなるよ、とのことであった。事実、思い切って買ってみると、なんとかなっているから家計管理とは不思議なものである

●ドライブが趣味
車があることで、当然、活動範囲が一気に広がる。これまで行ったことにないところに簡単に行くことができる。たとえば、ファミリーレストランや郊外店舗など近隣の行動圏ががらっとかわった。さらに、150キロ圏内の日帰り観光地や一泊ドライブなどなどもするようになった。
 土日には家内を脇に乗せて、堰を切ったかのように、あちこち出歩いた。1年間の走行距離がおよそ2万キロ、という年がずっと続いていた。最近はさすがに年には勝てずで、年1万キロくらいにまでで減っている。
というわけで、ドライブは、一人麻雀、テニスについでの3つ目の趣味になって現在に至っている。

●行動範囲が広がるのは楽しい
筑波学園都市は、今でこそ、筑波エキスプレスが開通して都会なみの雰囲気を醸し出しているが、1975年頃の筑波は、荒野に大学や研究所のビルだけがポツンと立っている感じのところだった。道路も未整備で雨が降れば長靴である。これが、****年の筑波万博で、一気に環境整備が進み、生活しやすくなった。
それでも、バスと自転車だけでは出かけられるところも極めて限定されたままではあった。そこに突然のマイカーである。行きたい時に、どこへで行ける手段が手に入ったのである。うれしくないわけはない。うかれはしゃいで、家内を助手席に乗せてあちこち出かけたものである。
しかし、今ふり返ってみると、ずいぶん危なっかしい無理なドライブをよくぞしたものよと思う。娘が秋田に赴任していた5年間に、毎年2回、片道500キロのドライブをするなんてことまでしていた。あるいは、朝6時に出発して、軽井沢までドライブして、その日の夜8時頃帰宅というような強行ドライブも思い出に残っている。
この間、魔の一瞬に出会うこともなくこれたのは、幸運としか言いようがない。とりわけ、うれしくてはしゃいで走り回っていたマイカー運転初期の頃は、何もなかったのは、宝籤特等を当てるほどの幸運だった、と今にして思う。
もっとも、運だのみだけではない。それなりに安全ドライブのコツを身につけてきたということもある。なにせ、自分は、ヒューマンエラーの研究者でもあるのだから。エラー事故防止の実践の場がドライブと心得て自分なりの努力を重ねてはきたつもりである。その当たりを、節をあらためて披露してみたい。

10.2 ドライブで事故をしないコツ

●これほど道路が整備されているとは
ドライブしていて驚いたことはいろいろあるが、その一つが、道路の整備が驚くほど高いレベルまでいっていることである。
山奥の熊か狸しか通りそうもないようなところにも、歩道付きの高規格道路がある。不思議に思っていたが、それが道路と箱物作り行政と政治の成果であることを知ってあきれ果てたことを覚えている。
それはさておくとして、道路が整備されているのは、ドライバーにとっては助かる。事故の不安もないし、快適ドライブが保証されるのだから。そのおかげもあって、これまで無事故・無違反できている。もちろん、免許はゴールドである。

●魔の一瞬
交通事故は被害者になるのも加害者になるのも、ほとんど宝籤に当たるのと一緒である。要するに、ほとんど確率の問題である。
宝籤を当てるために懸命に努力をする人がいる。何十万円も投資したり、発売日前日から並ぶ人もいる。神社にお参りする人もいる。そうした努力は、購入金額以外は、確率問題の観点からはまったく無意味なのだが、別の観点——それが何であるかよくわからないが、——からすれば、幸運を呼び寄せる力になっているのかもしれない。
交通事故も、魔の一瞬に遭遇するのは、確率問題と考えるのが科学的である。保険会社はそれで商売をしている。しかし、宝籤と同じで、幸運を呼び寄せる力とは逆の力が魔の一瞬を引き寄せてしまっていると考えざるをえないような交通事故も多い。
脇見運転で車線をはみ出しても、対向車がなければどうということはない。信号無視も人も車もたまたまいなければ事故にはならない。魔の一瞬とは無縁である。しかし、猫を避けたら、歩道を歩いていた保育園児の列に突っ込んでしまったとなると、本当に、魔の一瞬をたぐり寄せてしまったとしか言いようがない。被害者も気の毒だが、加害者も気の毒である。
宝籤にも当たらないように、魔の一瞬にも自分は遭遇しない、という妙な確信を持って車を運転している人がほとんどだと思う。自分もそうである。
しかし、一方では、宝籤を当てようと一生懸命に努力をするように、魔の一瞬に遭遇しないような努力もあることはある。脇見をしない、信号無視をしない、スピードをださない、飲酒運転をしないなどなど、魔の一瞬に直結してしまいそうなリスクの高い行動をしないようにするのである。
これから述べる事故防止のコツと心構えも、そんな努力のいくつかであると考えていただきたい。

コラム「交通事故における魔の一瞬のさまざま」*****
交通事故は起こり方もその原因もさまざまであるが、いずれも、魔の一瞬的な状況がそこにはある。

単独で電柱に激突     
左カーブを曲がり切れず対向車と衝突
地図を見ながら交差点に入り、右方車と衝突
スピードを出していたため、右折失敗、橋から転落
飲酒してスピード出し、ガードに激突
若者が猛速で、大型トラックと衝突    
乗用車が、対向中の大型トラックに
追越ししてきたトラックに衝突されたが、シートベルトをしていたので、命拾いした
路面凍結でスリップし、風防棚に衝突
100キロの信号無視車に激突された
T字交差点を直進、路肩壁面に激突炎上した
信号無視して、出合い頭衝突した
スピード出してバウンドし、20mダイビング
猛速で電柱に激突
軽自動車が、大型トレーラーに正面衝突
遮断機が降りている踏切に進入、列車と衝突、ドライバー死亡
トレーラーがブレーキをかけたら、ジャックナイフ現象で横転
財)北海道交通安全協会Hpより
***********************************************************

●危険を予知する
安全研修の定番の一つに、危険予知訓練(KYT;kiken yochi  training)がある。
想定される危険をあらかじめ見つけだして、その危険を回避する方策を考える訓練である。やり方はさまざまであるが、一番簡単なのは、図に示すようなイラストを見せて、その中にある危険を指摘させるようなものである。これは、いわば安全の先取りを保証するものである。

図10.1 どんなな危険が考えられるか
 ちゅうさいぼうかJAFのものを  交通安全に関するものをここに 済み

  危険予知には、「危険察知力」と「危険回避力」の2つがある。
○「危険察知力」
状況の中に潜在する危険を察知し、それへの対処をあらかじめ的確に予測できる力。これにも、2つある。
一つは、「運転に入る前のオフライン危険察知力」。運転に入る前に、想定内の危険を指摘できる力である。KYTでは、もっぱらこちらの予知力の養成を行う。危険との時間的、空間的距離が大きい。
2つは、「運転でのオンライン危険察知力」。今現在行っている運転が危険を発生する可能性を事前に察知する力である。危険との時間的、空間的距離が小さい。
○「危険回避力」
必要に応じて想定される危険を回避したり、危険に遭遇した時の対処を考えることができる力。
「オフライン危険察知」には、
・あらかじめ想定される危険の発生を押さえる対策を取る
・危険情報を共有することで危険回避行動を取る
ことができる。
「オンライン危険察知」には、
・その発生を緊急に報知する
・運転を中止も含めた危険の発生を押さえる緊急行動をとる必要がある。

この危険予知を車の運転に関してやってみるのである。たとえば、遠距離ドライブの時、高速道路ではどんな危険があるか、疲労してきたときの対処はどうするか、道に迷った時の運転にはどんな危険があるかなどなどに思いをはせてみるのである。
もちろん、危険予知もやり出せばきりがない。へたをするとそんな危険一杯のドライブならやめておこう、電車にしようとなってしまうかもしれない。そうした判断も立派な危険予知の成果であるが、普通は、そんな危険を頭の隅に置きながら、慎重運転でのドライブをすることになる。
危険予知を日常的なものにするには、それほど完璧を期す必要はない。一部の危険しか予知できなくとも十分に効果がある。どんな効果かというと、一つは、危険に対する感受性が高まること、もう一つは、運転と危険について頭の中にある関連知識が活性化してくることである。

●スピードを出さない
 だいたいいつも自分の後ろには車がいない。法定速度遵守の運転を心がけているからである。不思議なことであるが、これが日本の交通安全の現実である。
 たとえば、車の時速60キロは、1分で1キロ、1秒で17メートルになる。たった1秒間のぼんやり、脇見でも、17メートルも動いてしまう。その間に魔の一瞬がおとずれるのである。
しかも、人の側での一瞬への対応スピード(行為の時定数)もたかだか200ミリ秒である。その間に時速60キロの車は3.4メートルも進んでしまう。しかも、慣性も働くので、この何倍もの距離を移動してしまう。人と車とのこうしたスピードギャップも、事故の強い背景要因になっている。
 多くのついうっかりは、その行為が起こった瞬間に気がつく。
したがって、訂正行為ができる。しかし、この間にも何秒の時間がかかる。車のスピードが速いと、この何秒が命取りになってしまう。
 スピードが速くなることは、利便性と直結する。したがって、利用者は歓迎する。しかし、ひとたび、不具合が発生すれば、その影響するところは、スピードに比例して大きくなる。リスクとリターンの折り合いは、永遠の課題である。

●注意を自分で管理する
車の運転の安全は注意の自己管理一つにかかっているようなところがある。一瞬の不注意がうっかりミスを引き起こし、それが魔の一瞬につながってしまうからである。
注意には、表に示すような3X2特性がある。

表10.1 


 注意は、ある程度までは、自己管理できる。集中しようと思えば集中することができる。集中力が落ちてきたら、「がんばって」注意力を高めることができる。これが、注意の能動的な側面である。これがあるので、注意の自己管理の話が出てくることになるし、事故が起こると、自己管理不全が個人の過失責任として法律的な罪(業務上過失)にも問われることになる。
 なお大事な余談を一つ。最近は犯罪多発傾向のあおりを受けてか、この業務上過失責任を問う声が厳しくなっている傾向がある。被害者からすれば、それで溜飲は下がるかもしれないが、「誰がしたかよりも、何がそうさせたか」を追及しないと、また誰かが同じ「過失」を繰り返すことに終ってしまうので、社会的には必ずしも好ましいこととは言えない。
 いずれにしても、注意の自己管理力の向上によって、うっかりミスを防ぐことが求められることになる。
 とはいっても、そのための有効な方策がそれほどあるわけではない。また限界もある。この点の認識をしっかり持たないと、「安易な」精神論か「カルト的な」自己鍛錬の話しになってしまう危険性がある。
1)注意の特性についての知識を豊富にする
ごく当たり前の方策の一つである。たとえば、表のような注意の特性を知っていれば、それなりの対策を自ら工夫することができる。
「知は力なり」(ベーコン)である。」

2)今自分の注意状態がどのようになっているかをきちんととらえること(モニタリングすること)、そして、それに応じた注意資源のコントロールをする
 たとえば、スピード負荷がかかっていて、「あわてている」ので---これがモニタリング--必要な要素動作を省略してしまう恐れがある。指差呼称をしながらやっていこう---これがコントロール---となればエラーも減るはずである。なお、ここで、省略エラーや指差呼称が、前述した知識になる。知識の有無、そしてそのタイミングよい運用がいかに大事かがわかる。

3)指差呼称を使う
 注意の自己管理の最適化の決定打とも言ってもよいものが実は一つある。指差呼称である。指で指して自分のするべきことを口に出して確認する行為である。いろいろの作業現場で導入されて効果をあげている。
注意のような内的過程は、自分の内部だけで管理するには限界がある。限界を越えると、管理不全が発生する。
そこで、指で注意するべき対象の選択を確実なものにして、さらに、呼称という形で外部にだすことで(外化することで)、耳からのフィードバックをすることでダブルチェックをする。
 この指差呼称。注意管理以外にも、隣にナビゲータ(自分の場合は、家内)がいるときには情報の共有にも役立つ。仲間が今何に注意を向けているかがわかるからである。
 さらに、行為の意識化にも役立つ。慣れた行為は自動的に実行されるが、時には、ある要素行為がうっかり飛ばされてしまったり(省略エラ-)、別の類似した行為をしてしまったりする(実行エラー)ことがある。それを防ぐために一つ一つの要素行為を意識化させる契機として指差呼称を使う。

4)休憩を自己管理する
ドライブは楽しい。つい長時間の連続運転をしてしまいがちである。しかも、その間、かなり注意を集中している。この状態は、コンピュータ相手の仕事に似たところがある。
長期間の集中状態は、コンピュータでは、テクノストレスを蓄積させてしまうことが知られている。これと同じような状態が、長時間の連続ドライブでは発生しがちである。
困ったことに、集中していればいるほど、自分の集中状態がモニタリングできなくなってしまう。気がついた時は、おそかりしとなってしまう。
90分あたりをめどに、休憩をとる習慣をつけておくとよい。喫煙をすすめるわけではまったくないが、喫煙タイムは、その点では貴重である。タイマーを使うのも一計である。

5)管理用の注意を3割くらい残しておく
 自分自身の心身の状態を自分でニタリングするためには、注意資源のすべてを目の前の運転に注いでしまわないで、注意の3割くらは残しておくような心がけも有効である。
 脇見運転は危険極まりないが、前方の一点のみに視野を限定しての運転も実は危険である。時には、みずから視点(注意)をあちこち動かして全体の状況をつかむことも安全運転には大事である。視点を自ら動かすために、管理用にとっておいた3割を使うのである。

6)安全工学をヒントにする
安全工学という分野がある。安全をもっぱら機械・システムや環境にいかに技術として組み込むかを研究している。たとえば、
 ・フールプルーフ(fool-proof) 大事なことをするときにはそれなりの心理的・行動的なコストが必要になるようにする仕掛けである。押しながら回さないといけないガス栓、安全装置をはずさないと打てない銃などに作り込まれている。
  ・フェールセーフ(fail-safe) 不具合が発生してもそれを補完するものを用意しておく
 ・多層防護  故障や事故が起こってもそれが拡大にないように幾層にも障壁を設ける
こうした仕掛けが考案されたのは、人の注意と行動の信頼性の低さを工学的な技術で対処しようとしたところから生まれたものである。実は、車には、すでにこうした仕掛けが随所に組み込まれているのである。あーこれがフール・プルーフだ、というを簡単に見つけることができるはずである。

●注意特性から人を分類してみる
 注意には、表10.1に示したように、持続性と1点集中性(配分)という特性がある。一定時間、所定の仕事に一定量の注意を注ぎ続けるのが持続性、一つのことに利用可能な注意量のすべてを注ぐのが一点集中性である。
 注意のこの特性に着目して、図10.2に示すような、人を類型化する図式を作ってみたことがある。「あなたは、一点集中するほうか、それとも、あちこちと注意を拡散させるほうか」「あなたは、注意が長く続くほうか、それとも、続かないほうか」と個別に聞いてタイプ分けするものである。図中の数字は、そのような聞き方をしたときの、大学生50名のタイプ別の人数割合である。ちなみに、筆者は、気配り型である。

<<<<図1が入る>>>>

 注意とヒューマンエラーを考えるときにも、この類型は役立ちそうである。たとえば、
 ・真剣勝負型の人は、一つのことにのめり   込ん でしまい視野狭窄(きょうさく)   を  起こしが ち。思い込みエラーを   しがち。
 ・一発勝負型の人は、リスク管理がへた。   つま らない(と思った)仕事ではたる   みによるミ スをおかしがち。
 ・気配り型の人は、その時々の状況に左右   され て見逃しやうっかりミスをしがち。
 ・じっくり型の人は、即応性に欠けるので、   緊 急事態への対応が遅れがち。
 自分を知り自分なりの対応を考えること---これが注意の自己管理---は、エラーを減らすには必須である。このタイプ分けは、その一助になるかと思い、紹介してみた。


      










 


















      

思い出をコントロールする

2020-07-01 | 認知心理学
できそうでできないのが、昔のあれこれの思い出を意識的にコントロールすることである。
面倒なのは、意識的コントロールとはあかも無関係であるかのような、無意識的な想起が頻繁に起こることである。
①「思い出そうとしても思い出せない」
記憶力の衰えとして体験される。ところが、面倒なのは、思い出そうとしたときはうまく思い出せなかったのに、何かのきっかけーー多くはなにがきっかけになったのか不明ーーーでポップアップすることもあるからである。
②「楽しいことだけを思い出すこともできるのだが、ネガティブ事象の想起の発生を制御できない」
回想療法などで、過去の楽しい経験を思い出せば、心元気になれると推奨されることがある。その通りである。ある程度までは、意識的な努力でそうすることは可能である。
しかし、日常生活ではしばしば、不随意的に、ネガティブ事象の想起にさらされることがある。それが心を弱らせ、ますます過去に体験したもろもろのネガティブ事象が想起されて、頭の中がネガティブ一色になってしまうことがる。




9章 テニスをするーーー運動技能の形成」認知と学習の心理学

2020-06-30 | 認知心理学
05/11/6海保 


9章 テニスをするーーー運動技能の形成

9.1 テニス歴40年

●職住近接がテニスをする余裕を
25歳で徳島大学に助手として就職した。学生時代の千葉から茗荷谷までの片道2時間の遠距離通学から一転して職住近接となった。たっぷりと時間が出来た。その余裕時間の中の一部に入ってきたのが、テニスであった。運動場の隅にある二面のテニスコートで先生仲間と週に3,4回は、テニスをするようになったのである。
学生時代には、通学とアルバイトに時間をとられてしまい、運動も部活もまったくできなかった。そのうっぷんをはらすかのように、テニスに熱中した。

●楽しむだけのテニス
ほとんど正式の訓練は受けていなかったので、ルールもしっかりとは知らなかったほどである。余談だが、テニスは独特のカウントシステムをとる。0、15、30、40となる。今でも不思議に思っている。スポーツ文化に限らず、文化には外部からみると、奇妙なしきたリが多い。それを奇妙と感じなくなったら、その文化に同化できたことになる。
 そんな状態でいきなりぶっつけで試合を楽しむのである。最初は、したがって、迷惑参加であったが、ずうずうしく頻繁にコートに出かけた。次第に、上達してきて、それなりのゲームが楽しめるようになってきた。
ほとんどが研究室で一人で机にかじりついていることの多い生活の中で、身体を動かす楽しさと健康向上と共に、こうした場で普段はあまり話しをしたことのない先生仲間と一緒になれるのは実に楽しかったし新しい人間関係を作る上でも貴重であった。

9。2 練習嫌い
●上達しない
そのテニス。大学も筑波大学にかわり還暦を過ぎた今でも、昼休み会議などという無粋なことがあったりで、回数こそ週に2回程度にまで減ってしまったが、いまだに続いている。余談だが、そのテニス仲間、ここ20年くらいいつも同じ仲間ばかり。若い人がまったくといってよいくらいに入ってこないのが不思議である。
されはさておき、それほど好きなテニスでありながら、あるレベル以上に上達しないのである。理由ははっきりしている。練習しないからである。
そもそも、テニスをはじめた頃から、練習抜きですぐに試合である。以後、まったくといってよいほど練習なるものをしたことがないのである。上達はもっぱら試合をしながらである。したがって、上達レベルも推して知るべしである。そんな仲間がいるからいけないのかもしれない。

●うまい人ほど練習する
現在もっぱら使っている4面のコートのうち、隣のコートは、我々とはレベルの違う4人が使っている。その4人は、ゲームをするまでに、ストロークからはじまって、ボレー、スマッシュまで実に丁寧な練習をしてからやおらゲームをする。その頃には、我々はゲームも佳境に入っているのが常である。
下手なのだからもっと練習して上達すればよいのだが、その地道な努力が嫌いなのである。

9.3なぜ練習が嫌いなのか

●練習すれば上達する
運動技能に限らず認知技能も、上達には練習は不可欠である。練習の増加関数として、技能は向上するからである。一時的な進歩の停滞(プラトー)こそあれ、「間違った」練習さえしなければ技能が低下することはない。

図 典型的な練習曲線

それがやりたくないのである。
とはいっても、夏休みなどに一念発起して練習合宿に参加してこともある。コーチがいて、スケジュールに従って、黙々と球を追ったこともなかったわけではない。
そんなところで、我流でやると、コーチのチェックが入って直される。長年やってきたスタイルがそこで崩される。素直に欠点を直せるものもあるが、長年のくせがついてしまっているので、なかなかコーチの言うようにはできないことのほうが多い。その自分のふがいなさが練習から遠ざける要因の一つにもなる。とりわけ、年を重ねるほど妙なプライドだけが強くなってしまい、学びにとってもっと大切な素直さ、謙虚さが欠けてくるので、ますます学びの効果が上がらない。

●競争のほうが楽しい
 試合の勝ち負けを競うほうが楽しいということもある。競争は、何事によらず動機づけの有力な手段である。たとえ、何の報酬がなくとも、勝つことはうれしいし、負けるとくやしい。
また試合の中には、人間関係といった試合とはあまり関係のなさそうなものも含めてさまざまな要素が入り込んでいるので、それらと対処するのが楽しくーー時には面倒になることもあるがーー、また飽きがこないということもある。

コラム「競争と協調」******
テニスのダブルスには、相手との競争と共に、自分のパートナーとの協調も必要である。これが、ダブルスのおもしろさの一つである。
まれにすることもあるシングルだと、競争だけがあからさまになり、その重さが楽しみの枠を越えてしまう。かくして、シングルはほとんどしない。
しかし、これがプロテニスだと、逆に、シングルのほうが、見ていて楽しい。それぞれのプレーヤーが強烈な個性を発揮してプレーをするからである。それに加えて、人が競争の極地で苦しんだり喜んだりするところを見るのは、ドラマを見るようで実に楽しい。さらに、シャラポアのような美人が登場人物ともなれば言うことなしである。
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●練習そのものが嫌い
これらは、なぜ練習が嫌いなのかへの周辺的な答えである。次は、練習そのものが嫌いな理由である。
一つは、単調さ。
ゲームの持っている多彩さにくらべると、練習は単調である。ストローク、それもバックストロークだけを何度も何度も繰り返しやらなければならない。要素動作の繰り返しは練習には必須であるが退屈である。
余談になるが、テニススクールにでも入ってみようかと、見学にいった。なんと、スマッシュコース、ボレーコースというように、練習するレパートリーが決まっていて、それだけを延々と練習しているのである。これは自分には向いていないとそこそこに退散してきたことがある。

2つは、強制感。
練習であるから、一定の目標へ到達することを目ざしての努力が必要である。一挙手一投足がその到達目標にふさわしいかがチェックされる。コーチでもいれば、なおさら、そのチェックは厳しいものになる。そこに、たかが遊びなのにというような不真面目な気持ちが少しでもあると、練習は強制されたものとの思いが強くなってしまう。

9.4 それでもうまくなりたい

●知は力なり
それでもうまくなりたいとの気持ちは結構強くある。しかし、気持ちだけではうまくはなれない。さて、どうするか。
まずは畳水練である。
畳水練とは、理屈だけ知ってもうまくなれないことを言うのだが、必ずしもそうとばかりは言えない。
理屈を知ることは、力になる。「筋力が弱くなってきたら少し重いくらいのラケットのほうがよい」という理屈を知り、ラケットを買い換えれば、それなりに強くなれる。知は力なりである。
筆者のような研究者・教員は、どうしても知識志向になりがちである。出来てもそれが知識として表現できない(説明できない)と気持ちが悪いということもある。
かくして、本棚にはテニス教本がずらりと並ぶことになる。

●見よう見まね
 もう一つは、見よう見まねで上達すること(モデル学習)である。
才色兼備のシャラポワの活躍もあり、テニスのTV中継もここのところかなり充実している。畳水練と違って、最終的な到達目標だけしか目の当たりに見ることができないのだが、それがうまくなるのに役立つと思って、TV観戦は欠かさないようにしてきた。
言うまでもないが、一流選手のやって見せてくれることは、我々が真似をすることができるようなレベルよりはるかかなたにあるものである。それでも、そうしたハイレベルの技は、自分の技を反省する素材を時折、提供してくれることがある。
攻撃的なボレーのアプローチの仕方、ストロークの配球などなど、「そうか、あのようにすればよいのか」と自得することが多い。それは、コート上でただちに実行できることではないが、いずれどこかでその何分の一かのレベルでと思っている。
さらに、一流の技を見られることで得られるものがある。それは、洗練された「テニス文化」である。本当は、試合場に足を運んで体得するのが王道であるが、TV中継でもそれなりに雰囲気くらいは感じとることはできる。
テニスに限らないが、それぞれのスポーツには、いわく言い難い暗黙の世界がある。挨拶の仕方や勝ったときの仕草、さらには競技中のマナーなどなど、長年かけて培われてきたその競技の文化としか言いようのないものがある。そんなものの片鱗をTV中継は垣間見せてくれる。これは、「気品のある」テニスをするのに役立っている。

  • ずるさで勝負
試合をしていると、確実に身に付くものが一つある。それは、勝つための戦術である。
相手がネットに寄ってきた時は、後方にロブを上げる。サーブ&ボレー作戦でくる相手には足下に球を落とすーーこれはかなり高等戦術。成功するのは一割にも満たないーー。2人の真ん中をねらって返球するなどなど。
戦術についての知識は豊富になる。そのうちのいくつかは、オーソドックスな戦術であるが、我流の戦術のほうが多い。それが成功した時の醍醐味こそ試合の魅力である。

注意を注いでしたことは忘れない」10年前の今日の記事

2020-06-29 | 認知心理学
外出したときに、ガスの栓を閉めたかどうか気になって仕方がなくなってしまい、用事を早めに切り上げて帰宅する。ところが家に帰って確かめると、きちんと閉まっているのを見て安心すると同時に、何か損をしたような気になる。こんな経験は誰でも持っているはずである。
 その他に、施錠や窓を閉めたかどうか、しばしば提出する書類を今回もきちんと提出したかなど、いずれも決まりきったこと、手順化されてしまったことがしばしば気になるのは、あえてそれに注意を払っていないからである。
 逆に言えば、注意を注いでやっていたことはよく記憶できるということになる。先のようなケースを防ぐには、指差し確認や、したことを口に出して復唱すればよい。そうすれば、多少は注意を引くので記憶にも残ることになる。かくして、記憶をよくするには集中せよということになる。