goo blog サービス終了のお知らせ 

心の風景 認知的体験

癌闘病記
認知的体験
わかりやすい表現
ヒューマンエラー、安全
ポジティブマインド
大学教育
老人心理

富岳の飛沫シミュレーション

2020-10-18 | 認知心理学
世界一のコンピュータによるシミュレーション結果が時折公開される。
今回は、4人での談笑場面での飛沫分散のシミュレーション。
常識に反して、正面よりもお隣のほうへ飛沫がかなり多く飛ぶ。
でも、常識とはかなりかけ離れた結果だと思う。
だから価値のあるシミュレーション実験なのだが、
しかし、シミュレーションには、かなり多くの制約条件(計算にあたっての前提パラメーター)がある。今回の横への分散の前提条件を知りたいもの。かなり特殊のパラメター設定になっているのではないかなー



心と身体の退屈

2020-10-16 | 認知心理学
「-心の退屈とからだの退屈」
心の退屈とは、
頭の中がすっからかんという感じ。
からだの退屈とは、
やることがない。

従って、退屈しのぎには、
心の退屈しのぎには、
頭をひたすら使う。
からだの退屈しのぎには、
からだをひたすら動かす。

心とからだを同時に退屈しのぎをするには、
スポーツがよい。ルールの知識は頭を活性化し、
ルールに従う身体の動きは、退屈を感じる隙を与えない。
ただ問題は、身体運動不如意な場合は、どうしようもないこと。



●知が力なりの時代に  」10年前の今日の記事

2020-10-15 | 認知心理学

●知が力なりの時代に  

A.トフラーの名著「パワーシフト」(徳山二郎訳;扶桑社)に、こんな話がある。  
天照大神の時代の三種の神器とは、剣と勾玉と鏡であった。それぞれが権力(パワー)の源と対応している。すなわち、
剣は筋力と、
勾玉は金力と、そして、
鏡は(自分自身について知るための)知力
と対応している。
そして、その権力の源泉が、筋から金へ、そして今、金から知へとシフトしてきていると。

 この知力を支えるのは、外部では、データであり、情報であり、知識である。そして、人の側では、認知機能の性能である。  
知力を機械として具現化したのが、コンピュータである。1938年のABCコンピュータの出現は、金から知へのパワーシフトを強力に押し進め、そして、社会の知の世界も、人のそれをも一変させた。  
時を同じくして、心理学も大きくパラダイム・シフトした。外部の力との関係でのみ人の行動を考えるべしとする行動主義から、内部の知(心)こそ心理学の研究対象とすべしとする認知主義へと、研究パラダイムを大きく転換させた。




中国にほぼ乗っ取られた九州の高校

2020-10-12 | 認知心理学
たかりん。7 新垢

@takarin___7

【中国にほぼ乗っ取られた九州の高校】これはNHK「おはよう日本」で放送された「日章学園九州国際高等学校」の入学式であるが、中国人生徒167名に対し日本人生徒16名である。日本人が納めた税金が中国人のために使われているのである。軈て、町ごと乗っ取られるのかも知れない http://netgeek.biz/archives/117371

@@@@



中国人パワーがじわじわと押し寄せる。
日本人のお人よしぶりには、日本人はもっとあきれていい。
中国人による日本の土地買収もものすごいらしい。
ほっておいていいのかなー


メタ認知過剰にも注意が必要(再掲)

2020-10-08 | 認知心理学
2007-10-31 | 安全、安心、

メタ認知過剰にも注意が必要

  ongoing reflectionは、通常は、何か事が起こった時、とりわけ、失敗したり、仕事がうまく運ばなかったりした時に自然に働く。「あれ! どうしたんだろー」というわけである。

 それを、ここでは、通常の仕事をする事態であえて働かせることを想定している。それだけに、本来なら仕事のほうに注がれるべき注意資源をさいて、メタ認知を働かせるほうに費やしてしまう可能性がある。そうなると、仕事のパフォーマンスも下がってしまう。エラーをしない仕事をしようとしてメタ認知を働かせたのに、かえってエラーをしてしまったという、「むかでのパラドックス」(むかでさん、どうしてそんなに上手にたくさんの足を動かせるのですか、と問われたとたん歩けなくなってしまった!)が発生してしまう危険性がある。

 さらに、メタ認知過剰は、リスクのある行動を事前に回避してしまう(リスク・テイキングしない)可能性がある。いつも、安全な仕事しかしないということになりかねない。結果として、看護技術の練度がいつまでたってもあがらないことになる。





 動物にも心はあるのですか--心の進化論

2020-10-01 | 認知心理学
Q1* 動物にも心はあるのですか--心の進化論
 犬もいじめれば悲しそうな振舞いをします。チンパンジーは、声を出して仲間とコミュニケーションをしています。あるいは、最近では、人の振舞いを真似た電子仕掛けのロボットもあちこちで見かけます。そんな振舞いや行動を見ていると、動物も機械も人と同じような心を持っているように見えます。
 「人が解釈できるような」言動をするものには心がある、と定義してしまうなら、ほとんどの生物、さらには機械にさえ心があると言ってよいことになります。
 この定義は、擬人法的な心の定義とも呼ぶべきもので、比較的、一般に受け入れやすいものです。ペットを飼う人はもちろんのこと、アカデミックな心理学の中でも、かつてはおおっぴらに採用されていたことがありますし、現在でも、たとえば、ロボットに「心」を持たせる試み--人工知能研究---などでは、暗黙裏に採用しています。
 これらに共通しているのは、心を直接問題にせずに、「(人のような)心があるとするなら、それは、外部にこんな形であらわれるはず」という前提を置いているところです。「こんな形」が外部から観察できれば、その心は存在することになります。
 しかし、擬人法的な見方は、しばしば、正しい認識を妨げることがあることが知られています。20世紀初頭、足し算の答えを足で床を叩く回数で答える賢い馬(クレバーハンス)が有名になったことがあります。よくよく調べてみると、飼い主が無意識のうちに出す微妙なサインを馬が読み取っていたにすぎないことがわかりました。それがわかるまでは、馬にも人なみの知性(心)があるらしい、と人々に信じさせてしまいました。
 動物心理学の説明原理として知られているモーガンの公準(Morgan’s canon)というのがあります。「いかなる行動も、より低次の心的機能のもたらしたものと説明できるなら、それを高次の心的機能によるものとして説明してはならない」というものです。
 ここで言う、低次、高次は、実は、心の定義に深くかかわっていますし、質問に対するもう一つの答えと関係します。
 低次の「心的」機能とは、外部の刺激に応答して起こる行為を支える「心的」機能です。目に強い光を照射すれば瞳孔が収縮します。物が飛んでくれば避けます。こうした反射的な行為の背景にある「心的」機能です。ここでは、「心的」と鍵かっこで囲んだのは、ここでは、ほとんど心を持ち出す必要がないからです。
 心の存在を仮定するのにふさわしいと誰しもが考えるのは、高次の心的機能が発揮されるときです。覚えたり、考えたり、判断したり、学んだりすることができるときです。ところが、このあたりに心の存在を認めることになると、ネズミや鳩くらいから心があることになります。ネズミも鳩もかなり高次の心的機能を発揮するからです。鳩でも訓練すればピカソの絵を見分けるそうです。動物を使った研究成果から、人の高次の心的機能のメカニズムを解明しようとする動物心理学の存在価値があることになります。
 しかし、どうでしょうか。ここまできてもまだ、動物に人とおなじような心がある、とする考えを素直に受け入れる気持ちにはなれないという人もいるはずです。心は、もっと高次---超高次?---の心的機能に限定すべきと主張したいのだと思います。
 その「超高次の」心的機能とは何でしょうか。それは、一つは、志向性とか能動性とか意図性とかが反映された行為を支えるものです。そしてもう一つは、言語行為を支えるものです。心の存在をここまで限定的に考える立場は、心理学では、今は主流ではありません。猿の「心的」機能の研究が進んできて、猿でも、こうした超高次の心的機能を反映しているかのような行為がみられる、あるいは形成できることがわかってきたからです。もっとも、ここまでくると、またぞろ擬人的説明の危うさを感じるようなところもあるのですが。
 質問に対する答えは、したがって、「動物にも心あり」ということになります。しかし、それは、あくまで科学的な研究を進めていく上での定義の問題であることを忘れてはなりません。心そのものはどうがんばっても目に見えるものではないのですから。「反粒子」の存在証明に全世界の物理学者が全精力を傾けているのとは問題の質が違います。
 渡辺茂氏の「ピカソを見分けるハト」(NHK出版)と「認知の起源を探る」(岩波書店)が参考になります。
---60行

メタ認知力

2020-09-28 | 認知心理学

03/3/1

メタ認知力とは    

人間には、自分で自分のことを知り、それをコントロールする力がある。メタ認知力と呼ばれている。なお、メタ(meta)とは、[ 「何かを越えて、何かと付随して、何かのあとに」を意味する接頭語である。  メタ認知力とは、したがって、「認知についての認知力」ということになる。
たとえて言うなら、頭の中にもう一人の自分(homunculus)がいて、自分のことを監視し、コントロールする力が、メタ認知力である。  メタ認知力は、2つからなっている。  

1)「自分の心を知る力、すなわち、自己モニタリング力である。これもさらに次の3つの領域からなっている。 
●自分は何を知っていて何を知らないかを知る(知識についてのメタ認知)  「首相の自宅の電話番号をあなたは知っていますか」と問われたら、ただちに「知りません」と答える。知らないということを知っている、漢文調に言うなら「知不知(知らざるを知る)」からこそ、電話帳を調べたり、電話局に尋ねたりすることになる。 
●自分は何ができて何ができないか。あるいはどこまでできるかを知る(能力についてのメタ認知)  
目の前にある試験問題を解こうとするときに、「これはダメだ」「これならなんとか解けそう」という勘のようなものが働く。あるいは、この仕事なら、制限時間内にほぼ100%できるという推測ができる。これがあるから、無謀な試みも抑制され、できそうにないときは、あらかじめ人に助けを求めることもできる。 
●自分の今現在の心の働きがどうなっているか(認知状態についてのメタ認知)  
眠くなってきたとか、集中力が途切れてきたとかといった認識である。これがないと、居眠りをしてしまったり、注意低下の状態で仕事をして、へたをすると事故を起こしてしまうことになる。    

2)自分の心と行動を制御する力、すなわち、自己コントロール力である
●目標遂行と認知状態に応じた対処方略を選ぶ(方略選択についてのメタ認知)  
眠ってはいけないときに眠くなったらどうしたらよいかは、経験的に知っている。集中力が落ちてきたら、小休憩をとればよいことも知っている。あるいは、いろいろの対処方略が考えられるときに、一番よさそうなものを選択することもできる。 
●対処方略を実行し評価し訂正する(行為の実行と評価についてのメタ認知) 自分がこうしたいという方向に自分のしていることが向いているかをチェックし、まずければ訂正のための行為をすることになる。  メタ認知がいつも十全に働いていれば、エラー、事故もまず起きないが、ロボットではない人間にとって、それは不可能である。








私たちは、どうしてこれほど仮想世界が好きなのでしょうか

2020-09-20 | 認知心理学

私たちは、どうしてこれほど仮想世界が好きなのでしょうか、あるいは求めるのでしょうか。(なお、ここで言う仮想世界は、小説や映画のような物語性のある仮想世界に限定します。)

 一つには、日常生活のつらさ、しんどさ、めんどうくささから逃れて、自分の好きな世界に逃げ込みたいたいというということがあります。仮想世界のネガティブな側面です。自室でパソコン相手に毎日を過ごす引きこもりの若者が、この典型です。

 2つには、逆にポジティブな側面になりますが、祭りと似て、普段とは違ったハレの世界としての仮想世界です。
 昔、田舎では野外映画会がときおり開催されていました。夏の風物詩の一つで、いつも楽しみでした。まさに、お祭りにいくような、わくわく気分を味わえました。仮想世界には、こうした側面がありますね。

 これには、もちろん、仮想世界の内容も影響してきますが、それよりも、仮想世界に没入できることのほうが、大きいと思います。集中して物語を追うことで我を忘れる、時には、登場人物に感情移入をする経験は、日常とは違ったハレの世界を実感させてくれます。




感情は時間とともに揺れる

2020-09-18 | 認知心理学
感情は時間とともに揺れる。
いつまでも悲しんでいることも、反対に、いつまでも喜んでいることもできない。
どこかの時点で、ニュートラルな領域に戻る。
だから相手の感情に関与するには、それを強める・弱めるにしても、
タイミングが大事になる。




自粛警察とウイルス恐怖症が心配」世相談議

2020-09-14 | 認知心理学
もう少しの辛抱という段階まできた。
しかし、杞憂であってほしいが、あとあと心配なこと2点。

一つは、自粛警察。
世間第一の日本では、とりわけ心配。
「参考」
阿部謹也『「世間」とは何か』講談社現代新書 1995年
山本七平『「空気」の研究』文春文庫 1983年
鴻上尚史『「空気」と「世間」』講談社現代新書 2009年

もう一つは、ウイルスへの過度の恐怖症。
たとえば、自分の場合、お金を触った後がとても不安。
手洗いの頻度がかなり高まってしまった。
ウイルスとは共存という気持ちが大事。
過度の潔癖、清潔は、ウイルス耐性を弱める。

いずれも「ほどほど」が大事なだけに、なかなか難しい。


あるけど見えない」心の世界

2020-09-06 | 認知心理学

あるけど見えない」
 たとえば、集中力。
 小学生でも集中力という言葉は知っているし、集中しなさいと言えば、それなりの工夫さえできます。
 しかし、では、集中力そのものを「みせてほしい」といわれれば当惑することになります。

 集中力に限らず、心のほとんどの機能はこのように、「存在は実感として認めるが、見ることはできない」という性質を持っています。
 こんなときにその機能を説明したり考えたりするために便利な仕掛けが、たとえでです。心理学では、精緻な理論を作るまでに、何かにたとえて心を研究するという研究方略を、これまでしばしば使ってきました。これがまた、思いもよらない誤解へと導いてしまうこともまたありました。




漢字表記感覚

2020-09-03 | 認知心理学
漢字で書けるところはすべて漢字で書いてみよ。その後で、しかし、普通は、漢字では書かないところに×を入れて見よ。

「きしゃのきしゃは、おてらにきしゃしてから、きしゃにのってきしゃしました。」

「きこうがすきできこうのおおいきこうのことだから、こんなにきこうのよいところにきこうしないはずはない。」