正解のない世界を楽しむ ]頭を柔らかくするポイン 2017-11-04 | 認知心理学 1)「正解」ばかりにとらわれない 正解に到達する、正解を確認することは気持ちがよい。 誰からも賞賛される。 そこに正解の落とし穴がある。 2)ときには連想をたくましくする 早く正解に到達するためには、あれこれの連想は邪魔である。 しかし、正解への道の脇には、たくさんの次へのヒントがある。 3)連想は発想の原点 正解到達を急がないという戦略もありうる。 そのためには、ぎりぎりまで正解到達作業をのばすこともありえる。 その間のあれこれの連想が、正解の質を高め、次への発展につながるヒントも出てくる。
シリーズ「頭を柔らかくするポイント;チーム力」 2017-11-03 | 認知心理学 チーム力---3人寄って文殊の智彗**にする 1)チーム力を引き出すには、それなりの場が必要 2)チーム力は、リーダーとメンバーと集団文化によって決まる。 ただ人を集めれば、チームになれるわけではない。 メンバーがそれぞれにあった役割が必要。 それを決めるリーダーも必要。 3)ブレーンストーミングはチーム力を高める場の典型。 チーム思考の質を高める有力な手段に一つである。 これ以外にも、アイディアの見える化など、 それなりの工夫が必要。
シリーズ「頭を柔らかくするポイント;メタ認知 2017-10-28 | 認知心理学 メタ認知 頭の働きを自分で監視し統制する ******ポイント 1)頭の中にいるもう一人の自分を鍛える 2)内省する習慣を作る そのためには、至る所で内省(自分の心身の活動をチェックする)が必要。 3)心の動きを文章にしてみる。 具体的には、日記などで振り返りの習慣をつけるのがおすすめ。
論理的」頭を柔らかくする 2017-10-28 | 認知心理学 現実世界では、形式論理だけでは、とてもではないが、生きていけない。 なぜなら、一つには、現実世界は、その時その場で結論をただちに求めるからである。じっくりと時間をかけて論理的に考えてから、というのでは、現実のほうが先に進んでしまう。 これに関連して2つには、現実世界の中での思考には、とりあえず結論を出してみてうまくいかなければ、もう一度考え直してみればよい、という簡便思考(ヒューリスティックス)方略が許されることが多いし、そのほうが結果としてはうまくいくことが多い。 3つには、人が考えるときには、現実世界に関して蓄積されている膨大な知識を活用するほうが、形式論理よりはるかに認知的なコストが低いということがある。頭も横着なほうを好むのである。 とはいっても、だから形式論理は無用ということにはならない。人は、現実に制約されながらも、形式論理の力を借りて、現実を越えて、さらに、現実を変えなければならないからである。
シリーズ「頭を柔らかくするポイント;会話 2017-10-23 | 認知心理学 会話ーーー人から知をもらう ポイント************** 1)会話を情報収集、触発、知識の転移に使う 会話には、豊富な知的資源が隠されている。 話した、笑った、楽しかっただけでは、もったいない。 2)知的共感性、傾聴も大事 会話には、むしろ、積極的に聞くほうが有益。 3)知的会話のできる人を数人用意する いつも同じ仲良し3人の会話では、知的水準が低下する。 誰とでも会話できる/するくらいの気持ちが大事
シリーズ「頭を柔らかくするポイント;マニュアル 2017-10-20 | 認知心理学 マニュアルに従いながらそこから脱却する 1)手順化(マニュアル化)すれば、誰でもそこそこの水準の仕事はできる。 多くのおもてなしサービスは、実に見事なマニュアル化を達成することで サービスの質の向上に成功した。 2)手順の土台にある暗黙知を身につける」 3)仕事師の仕事を見て学ぶ機会を増やす マニュアル化のあとにくるものが、職人芸ーーその多くは暗黙知ーーである。 それは、達人と四六時中一緒にいてから盗むしかない。
シリーズ「頭を柔らかくするポイント 2017-10-18 | 認知心理学 頭を柔らかくするポイント 1)ミクロ最適化の罠に要注意 日々あれこれうまくいっていて満足。 でもある日、突然、--- ということもある。 2)マクロを絶えず意識する マクロは見えにくい。それだけに、脳内での想像力を働かせることが大事。 3)「中長期の目標」「より上位から」「他 との関係」からも考えてみる 一日一回、こうしたことを意識し、反省してみるだけでもよい。
現在を越えて考える ]頭を柔らかくする 2017-10-17 | 認知心理学 現在を越えて考える ******ポイント 1)今現在には過去も未来もあることを知る。 2)今現在の仕事を過去と未来から眺める 。 3)予測のギャップの中に創発の芽を見つける 。
注意管理をする」心の風景 2017-10-03 | 認知心理学 注意管理をする 注意はある程度は自己管理ができる。ここ一番、注意の集中が必要なところでは、気合いを入れる。注意の持続が危なくなってくると一服する。 しかし、こうした注意の自己管理には限界がある。やっかいなことに注意資源を仕事の方にフルにつかっているときこそ、注意自己管理ができにくくなってしまう。 そこで、2つの方策をあらかじめ立てておくことを勧める。 ●注意の自己管理を儀式化する 注意は仕事に7割、自己管理に3割くらいが、適性配分であるが、3割確保が意外に難しい。 そこで、それを保証できるような方策を生活の中に組み込んでおいて(儀式化しておいて)、否が応でも注意の自己管理に思いがいくようにしておくのである。スポーツ選手がやる集中儀式のようなものを自分なりに工夫してみるのである。たとえば、 ・パソコンをたち挙げたら、ともかく何か書 き出してみる。 ・身体のちょっとした不具合を感じたらとも かく仕事を中断してみる ●注意の自己管理を支援する環境を作る 注意の自己管理には限界があるとすると、もう一つの方策は、自分の周囲に注意管理を助けてくれる環境を作り出しておくことである。 強制的、慣習的な休憩・休暇もその一つだし、周囲からの忠告をもらえるようにしておくのも有効である。
知識は知的活動のインフラ 2017-09-04 | 認知心理学 知識は知的活動のインフラ 我々の頭の中には、この世に生まれてからこれまでの学習によって獲得された多彩かつ膨大な知識が詰まっている。その知識を使って見たり、覚えたり、考えたり、判断したり、行動したりしている。 知識は知的な活動のインフラ(基盤)なのである。だからこその日々の学習なのである。
ワープロは発想支援の道具 2017-08-30 | 認知心理学 ワープロは発想支援の道具 ワープロを前にしないと考えないのは、ワープロが考えることを支援してくれているからであろう。 たとえば、この原稿を書き上げるために、ワープロは次のように活用された。 ・思い付きを打ち込む ・すでに打ち込んだものを見る ・関係の深いものをまとめる ・言葉を文章にする ・当面不要なものを脇にどけておく こうした作業をしているうちに、だんだん思惟が整理されて、思惟の方向がみえてくる。それに加えて、出来上がりイメージで思惟が固定化されてくるのが、心地よい。 この醍醐味にすっかり慣れてしまったらしい。ワープロを前にしないと考えなくなってしまった。
認識の真実性 2017-08-29 | 認知心理学 歴史認識に限らず、一般的な状況認識でもその認識の真実性は、ごくごく限定的にしか存在しない。なぜなら、それはつきつめたところ、個人の脳活動によるものだからである。 それでも、世の中が動くのは、脳活動に人に共通する制約がかけられているからである。 入口では、感覚器官の情報の取り込みに制約がある。また、脳の最深部では、言語(論理)がある。 そうした制約のなかで、認識の共有化の基盤が保証されている。 しかし、それはあくまで基盤である。歴史認識、人物認識などなど個別的案件での認識の共有化は困難を極める。かくして、認識の衝突が発生してしまう。
知識も眠る」心理学基本用語 2017-08-27 | 認知心理学 知識も眠る さんざん苦労してたくさんの知識を仕込んでも、それを使うべきときにタイミングよく使えないということがしばしば起る。知識が眠ってしまっているのである。 たとえば、50歳代からそろそろ頻発しだす「喉まで出かかった現象」がある。確実に知識として持っているのはわかってはいても、肝心の名前がそのときに出てこない現象である。「あの人あの人」「あそこ、あそこ」を口走ることになる。 これほど極端でなくとも、過去に仕込んだ知識がタイミングよく使えないということは、残念ながら実に多い。試験での失敗の多くは、それである。試験の終ったあとで緊張が解けると「あっ!!そうだ」となる。
%には2つの異なる意味がある 2017-08-26 | 認知心理学 30%の支持率というようなときの%の意味が王道。 つまり、十分な大きさの母数があって、そのうちのどれくらいかを示すもの。 もう一つ、たとえば、あなたの生活満足度を%であらわすと、どれくらい と問われて、80%くらい、と答えるようなときがある。 前者は、相対%、 後者は、いわば絶対%。 この混同が話を実はわかりやすくしているようなところがある。 では、天気予報の降水確率や地震の発生確率は、どっち?
真理とは? 2017-08-25 | 認知心理学 真理は学問政治(パラダイム)で決まるので、素朴なポパー理論のように事実で反証できない。経済学でも、マル経は同じだった。私の世代までは、東大経済学部の大学院入試で宇野理論と少しでも違う答案を書くと落ちた (池田信夫ブログより) @@ かなり過激で特殊なことを言っているようだが、 自然科学でも、根本的には似たような事情にある。 しかし、いずれも、結局は、事実が勝つ。そして、新しい真実が生まれる。