医師になって1年が経過し、肝酵素の値も落ち着いていました。
どの科も2年目になると、地方の関連病院に1-2年の間トランク(修行)に出ることが多く、私の場合も県内のA病院へトランクへ行くこととなりました。
この病院では、オーベン(就職されている先輩の先生)が一人おられ、診療は2人で行っていました。
1)外来業務(治療後の患者さんの診察)
2)放射線治療(1日20人程度)
3)診断業務(CT・MRI・核医学)
4)病棟業務(腫瘍の患者さん20人程度)
上記の4業務で、7時に病院へ行けば、ルーチンワークとして7時ごろにはひと段落着く程度で、夜間の急変などがたまにある程度でした。
肝酵素も落ち着いており、順調に経過してしていましたが、半年たったときに、院内派閥の影響で、外科・呼吸器科を始め11人の医師が突然退職してしまったのです。
この後が、地獄の始まりでした・・・・
呼吸器科の40床・消化器科の腹部エコーなど、到底こなせないような業務が一気に舞い込んできたのです。
身分的に、異論を唱えることはできず、24時間体制で業務に当たるほかありません・・・
肝酵素は、見る見る上昇し、体重も85kgあったものが70kgに減少。昼休みに点滴をしながら業務を継続していました。
しかし、このままでは死んでしまうかもしれないと思った瞬間、早くやめなくてはならないと思うようになり、教授に面会の連絡を取りやめる旨を伝えました。
次の就職先も確保し、やめようとしたのですが、教授はそれをとめ、まず休みなさいと、退職願を保留し2ヶ月の入院へ・・・
肝硬変は進行し、残存機能は下がってきましたが、幸いにも日常生活は問題なくできる状態まで回復しました。
その後は、業務を調整し、結婚を機会に食生活の改善を図り10年以上変化なしで経過していました。
すっかり安心していた、今年の5月・・・とんでもないことが