阿武山へ向かって歩いていると、高槻の全体を見下ろす風景がありました。
古墳もあります。
この前の高槻を歩くハイキングの写真がありますので、掲載します。
藤原の鎌足だとすると何で、お墓が高槻だったのでしょうか?
御先祖様の中臣何某は允恭帝の時代にオシサカオオナカツヒメの妹を息長の本拠地である、滋賀県まで迎えに行ってますが・・・
息長とのつながりが気になりますね。
息長氏との関係で、ここ淀川水系に別業を持ち、墓の所在があったとしたら、すてきですね。
別業はこのあたりにあったことは確かのようですが・・・
藤原氏の御先祖様だとすると、名前もわからず、ただ貴人としか伝わっていないのもおかしいですね。
1300年も発展した一族の祖としては・・・
この前の奈良検定試験の結果を掲載。
今度はソムリエを目指して、がんばります。
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