ゆらゆらきれいなコスモスが揺れていました。
いろいろな種類がありました。
ラッパのようなコスモスも・・・
大塔宮護良親王をかくまったお寺でもありました。
今も身を隠したといわれる唐櫃が残されていました。
そよ風吹いて、静かに秋の日はふけてゆきました。
黄昏のころバスで奈良駅へと移動し、静かな秋の一日に名残惜しくも感じる次第でした。
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タイムスリップしたような、そこだけが江戸後期、明治初期を思わせる町並みです。
奈良検定の学習プログラムにより参加したのですが、行ってよかったです。
簡易ですが、着物を着て町を歩き、茶がゆセットの昼食で食べて、皇太子殿下もそこで抹茶を頂いたという部屋で私たちもお菓子とお抹茶を頂きました。
重要文化財今西家も見ることができました。
あぶりの部屋があったそうです。(罪人が罪をはかない場合は2階の部屋にいれ、煙であぶってはかせたそうです。)
家のなかですが、罪を裁くお白洲のようなものがありました、ここの土地の盟主だったのでしょう。立派なおうちでした。
おおきなりっぱな木材が使われていました。
ここで裁かれていました。
この下は罪人が座ったのでしょう。
コンビニやお土産物やもなく、お店も茶がゆが食べれるようなところが数件、茶店が数件ある程度で現代的でないところが、またいいところでもありました。
煙用の排気のある家です。
こちらはお抹茶を頂いた商家の家です。 侍がお金を借りるときに駕籠ごとはいって、顔を見られないようにしていたようです。駕籠用玄関口です。
お寺も小さな地域の中で4つもありました。
明治天皇が歴代の天皇をお参りするときにこちらの今井町のお寺に泊まったそうです。今もそのお寺はあります。
おつきの人が泊まるところは違う民家に分けて泊まったそうです。今も残っています。
えいしょう皇太后も時期は違いますが明治天皇とは違うお寺で泊まっているそうです。
江戸時代今井は門番で守られていて、時間が来ると閉鎖されているようです。縦1キロ、横300メートルくらいの狭い町ですが、とても機能的に思いました。
火事になると門は閉鎖されたそうです。泥棒を防ぐ意味があったようです。大和の富は7分今井にあるといわれていましたから・・・
江戸時代は一般人が今井に泊まることはできますが、2日目になると届け出が必要だったそうです。
小さな町でしたが、見ごたえがありました。楽しい1日でした。
いつも畝傍御陵前には行くのですが、その隣にある八木西口には降りたこともなく、こんなに近いところにいい町があるのでまた行ってみたいとおもっています。