5月15日は近つ飛鳥博物館の見学会に申し込みをしていた新沢千塚古墳群を巡るツアーに参加した。
益田岩舟のあと、小山古墳などを巡り、宣化天皇陵、新沢千塚古墳、久米寺から橿原神宮を通り、帰途につくコースです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/74/54c9a077cb97ea0141497cbc0c091dc7.jpg)
益田岩舟です。大きな岩でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/7f/728659a4ceb5eb1f60ae2ed4006c4121.jpg)
沼山古墳は木棺直送らしいです。
棺あとには釘しか残っていなかったそうです。馬具、銀製空玉、ガラス小玉、耳環、須恵器、土師器、ミュチュア竈が見つかったそうです。
渡来文化と接点があった人が被葬者と考えられるそうです。
近つ飛鳥博物館の学芸員と一緒にぞろぞろ歩く見学会でしたが、橿原市からカギを預かっていて、古墳の中を見ることができました。
学芸員と行くとメリットもあります。
写真は小谷古墳の入り口です。江戸時代は斉明天皇の墓と言われていたようです。
こちらも橿原市があけてくれました。
方墳の可能性が指摘されている古墳だそうです。 入り口はぽっかり空いてましたが、階段をかなり上ったところにありました。
普段は柵があって鍵がかかっています。
横穴式石室が採用されており、「岩屋山式石室」と呼ばれる石室を採用。7世紀中ごろの古墳と考えられているようです。
大和と河内では大型古墳にのみ採用されている石室で、聖徳太子の古墳も岩屋山式石室であると考えられているそうです。
学芸員さんは皇族の墓であったでしょうと言われてました。(そろっているそうです)副葬品は出土されてはいないようですが・・・盗掘?
そんな貴人がいた古墳に入ることができたことは感無量でした。
石棺など触らせてもらい、貴人が眠っていた場所にしばし、悠久の歴史を感じた次第です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/ee/18162d315e53251c8781a807d6bb417f.jpg)
宣化天皇陵です。母は尾張目子媛 父は継体天皇
北山辺の道を歩くツアーで、この方が八嶋でよんだ歌を上げていますが。
欽明天皇と二王朝だったのでは?などいろいろ言われている方ですが、あまり目立たない天皇でもありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/73/6fe5115e5efd161d8e8ba618fb8bffc8.jpg)
次はこの見学会に参加したのは新沢千塚古墳があったからでありまして、一番行きたかったところでもあります。
近つ飛鳥博物館でワカタケルの時代展があったとき、ここの126号墳からでた螺旋状の垂飾がありました。
とっても精巧で一目ぼれでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/ea/cdb4c76fee5f1865fb3933da11ed4d5d.jpg)
このあたりで自由に昼ごはんタイムになり、持ってきたお弁当(コンビニ弁当)を食べるところをさがし、やっとありついたところの近くに126号墳がありました。
感激です。
被葬者は女性だったのではないかという学芸員のお話でした。
今のアイロンにあたるものや、垂飾付耳環、ペルシャで生産されたガラス製容器など国外からわたってきたものが多く収められていたそうです。
女性だとすると、遠いシルクロードを経てどんな旅をしてきた人でしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/28/e05b1808935bb1e8c97e421ca9bf2f5f.jpg)
こちらが126号墳です。
豪華な装飾品は直接、権力者が半島から貰い受けたものでしょうということでした。
円墳、方墳、前方後円墳、前方後方墳など合わせて600基ほどあるそうです。
大伴氏、蘇我氏、東漢氏などの氏族の墓ではないかと言われているそうです。
http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_bunkazai/bunkazai/qr/qr_niizawasenzuka_126.html
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益田岩舟のあと、小山古墳などを巡り、宣化天皇陵、新沢千塚古墳、久米寺から橿原神宮を通り、帰途につくコースです。
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益田岩舟です。大きな岩でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/7f/728659a4ceb5eb1f60ae2ed4006c4121.jpg)
沼山古墳は木棺直送らしいです。
棺あとには釘しか残っていなかったそうです。馬具、銀製空玉、ガラス小玉、耳環、須恵器、土師器、ミュチュア竈が見つかったそうです。
渡来文化と接点があった人が被葬者と考えられるそうです。
近つ飛鳥博物館の学芸員と一緒にぞろぞろ歩く見学会でしたが、橿原市からカギを預かっていて、古墳の中を見ることができました。
学芸員と行くとメリットもあります。
写真は小谷古墳の入り口です。江戸時代は斉明天皇の墓と言われていたようです。
こちらも橿原市があけてくれました。
方墳の可能性が指摘されている古墳だそうです。 入り口はぽっかり空いてましたが、階段をかなり上ったところにありました。
普段は柵があって鍵がかかっています。
横穴式石室が採用されており、「岩屋山式石室」と呼ばれる石室を採用。7世紀中ごろの古墳と考えられているようです。
大和と河内では大型古墳にのみ採用されている石室で、聖徳太子の古墳も岩屋山式石室であると考えられているそうです。
学芸員さんは皇族の墓であったでしょうと言われてました。(そろっているそうです)副葬品は出土されてはいないようですが・・・盗掘?
そんな貴人がいた古墳に入ることができたことは感無量でした。
石棺など触らせてもらい、貴人が眠っていた場所にしばし、悠久の歴史を感じた次第です。
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宣化天皇陵です。母は尾張目子媛 父は継体天皇
北山辺の道を歩くツアーで、この方が八嶋でよんだ歌を上げていますが。
欽明天皇と二王朝だったのでは?などいろいろ言われている方ですが、あまり目立たない天皇でもありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/73/6fe5115e5efd161d8e8ba618fb8bffc8.jpg)
次はこの見学会に参加したのは新沢千塚古墳があったからでありまして、一番行きたかったところでもあります。
近つ飛鳥博物館でワカタケルの時代展があったとき、ここの126号墳からでた螺旋状の垂飾がありました。
とっても精巧で一目ぼれでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/ea/cdb4c76fee5f1865fb3933da11ed4d5d.jpg)
このあたりで自由に昼ごはんタイムになり、持ってきたお弁当(コンビニ弁当)を食べるところをさがし、やっとありついたところの近くに126号墳がありました。
感激です。
被葬者は女性だったのではないかという学芸員のお話でした。
今のアイロンにあたるものや、垂飾付耳環、ペルシャで生産されたガラス製容器など国外からわたってきたものが多く収められていたそうです。
女性だとすると、遠いシルクロードを経てどんな旅をしてきた人でしょうか。
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こちらが126号墳です。
豪華な装飾品は直接、権力者が半島から貰い受けたものでしょうということでした。
円墳、方墳、前方後円墳、前方後方墳など合わせて600基ほどあるそうです。
大伴氏、蘇我氏、東漢氏などの氏族の墓ではないかと言われているそうです。
http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_bunkazai/bunkazai/qr/qr_niizawasenzuka_126.html
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