ヤマトトトヒモモソヒメ徒然記

たわいのない日常事をしたためております。

新沢千塚古墳群を巡る  すごいの一言

2016年05月28日 12時49分26秒 | 日記
5月15日は近つ飛鳥博物館の見学会に申し込みをしていた新沢千塚古墳群を巡るツアーに参加した。

益田岩舟のあと、小山古墳などを巡り、宣化天皇陵、新沢千塚古墳、久米寺から橿原神宮を通り、帰途につくコースです。




益田岩舟です。大きな岩でした。




沼山古墳は木棺直送らしいです。

棺あとには釘しか残っていなかったそうです。馬具、銀製空玉、ガラス小玉、耳環、須恵器、土師器、ミュチュア竈が見つかったそうです。

渡来文化と接点があった人が被葬者と考えられるそうです。

近つ飛鳥博物館の学芸員と一緒にぞろぞろ歩く見学会でしたが、橿原市からカギを預かっていて、古墳の中を見ることができました。

学芸員と行くとメリットもあります。

写真は小谷古墳の入り口です。江戸時代は斉明天皇の墓と言われていたようです。

こちらも橿原市があけてくれました。

方墳の可能性が指摘されている古墳だそうです。 入り口はぽっかり空いてましたが、階段をかなり上ったところにありました。

普段は柵があって鍵がかかっています。

横穴式石室が採用されており、「岩屋山式石室」と呼ばれる石室を採用。7世紀中ごろの古墳と考えられているようです。

大和と河内では大型古墳にのみ採用されている石室で、聖徳太子の古墳も岩屋山式石室であると考えられているそうです。

学芸員さんは皇族の墓であったでしょうと言われてました。(そろっているそうです)副葬品は出土されてはいないようですが・・・盗掘?

そんな貴人がいた古墳に入ることができたことは感無量でした。

石棺など触らせてもらい、貴人が眠っていた場所にしばし、悠久の歴史を感じた次第です。




宣化天皇陵です。母は尾張目子媛 父は継体天皇

北山辺の道を歩くツアーで、この方が八嶋でよんだ歌を上げていますが。

欽明天皇と二王朝だったのでは?などいろいろ言われている方ですが、あまり目立たない天皇でもありました。




次はこの見学会に参加したのは新沢千塚古墳があったからでありまして、一番行きたかったところでもあります。

近つ飛鳥博物館でワカタケルの時代展があったとき、ここの126号墳からでた螺旋状の垂飾がありました。

とっても精巧で一目ぼれでした。




このあたりで自由に昼ごはんタイムになり、持ってきたお弁当(コンビニ弁当)を食べるところをさがし、やっとありついたところの近くに126号墳がありました。
感激です。
被葬者は女性だったのではないかという学芸員のお話でした。

今のアイロンにあたるものや、垂飾付耳環、ペルシャで生産されたガラス製容器など国外からわたってきたものが多く収められていたそうです。

女性だとすると、遠いシルクロードを経てどんな旅をしてきた人でしょうか。




こちらが126号墳です。

豪華な装飾品は直接、権力者が半島から貰い受けたものでしょうということでした。

円墳、方墳、前方後円墳、前方後方墳など合わせて600基ほどあるそうです。

大伴氏、蘇我氏、東漢氏などの氏族の墓ではないかと言われているそうです。


http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_bunkazai/bunkazai/qr/qr_niizawasenzuka_126.html



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いちごを食べに行ってきました

2016年05月13日 12時51分26秒 | 日記
GWはミステリーツアーに参加しました。

イチゴ狩りがはいっているツアーです。

なんと、大好きな奈良へのミステリーツアーでした。

いつも電車沿いからしかわずかにしか見れない箸墓古墳の前方部をバスの中から見ることができました。

イチゴ狩りツアーは軽の曲がりを通り、橿原神宮前を通り、畝傍山の麓を通って到着した場所は飛鳥村のいつも私が行く、稲淵の入り口にある見慣れた果樹農家でした。ビニールハウスの中で美味しいイチゴをたんまり堪能してまいりました。



結構食べました。30個以上は食べたでしょうね。
限度を超えると、イチジク狩りみたいにおトイレで全部出してしまうことになるので、今回は限度をわきまえて、寸前で留め置きました。




彼岸花の時期にこのあたりを通って稲淵に行くのですが、この果樹農家はその頃はぶどう狩りをしており、車で来た人でにぎわっていました。
今回はイチゴの季節です。種類は飛鳥ルビーです。

美味しいイチゴをありがとう。

ハウスからは天武、持統天皇陵が見えました。日本は平和です。

帰りにはハーヴェストの丘に行き、童心に帰ってまいりました。ヤギの親子を見つけました。

 

天気もよく、さわやかな一日でした。

  

  


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畝傍山の麓を行く 4月24日

2016年05月02日 23時01分53秒 | 日記
この前の橿考研の講座は島の山古墳についてでした。

初めて聞く名前の古墳でしたが、4世紀ごろの古墳で、その副葬品から女性の古墳といわれています。

発掘をした人の生の声が聞け、興味あるお話でした。

発掘調査は現在野菜の畑になっているところを、許可を得ながらきりこんで進められてようです。

上に行くほど状態は悪く、円筒埴輪は短くなり、現在の桜のあるあたりまで墳墓があったようですが、その周辺だけを残し、かなり、土地がならされたようで、下に行けばいくほど円筒埴輪の状態が良くなるようでした。

もう少し盛り土があったようです。石室には無数の女性用の装飾品があったようです。

卑弥呼の時代より1世紀下るわけですが、卑弥呼とはどういう関わりを持った女性だったのでしょうね。

立地場所は数多くの川が交差する要衝地でもあるようです。

今度、現場へ現地説明会がありますが、時間があれば行ってみたいです。

本日は会社の寄り合いで午後から大阪市内に行ってきました。

久しぶりの大阪市内ですのでヒールで歩くには、やや足が疲れました。

やっぱ、地方ローカル線で仕事が気楽で疲れない、現在の仕事は気を使わなくてもよく、私に合っている仕事です。

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