盆休みに耳鼻科に行き、その途中にある市の歴史資料館をのぞいてみました。
こんな時でないと見る機会はありません。 発掘風景です。
盾持つ人など、埴輪が見つかっているそうです。 お顔がはっきりとしてますが
淀川に近く、北河内に属するこのあたり・・・ 6世紀前半といいますと・・・ 継体に妃の一人を出している茨田氏がいますが・・・ 茨田氏ってなんで后妃が出せたのか、氏族としてはその後は続いていないようですが 淀川との関わりや息長氏との関わりなどどうなのでしょうね。 継体擁立に関わった人のお墓であるとしたら、とっても想像が膨らみますが・・・
茨田皇子という名前の皇子が聖徳太子の息子か、兄弟にいたと思いますが、乳母が茨田氏だったのかなと勝手に想像していましたが、だとするとこのあたりで育ったのでしょうか
調査結果では地元の首長クラスの墓という結果が出たそうです。
この前、この時代前後の寝屋川の方墳や円墳を見ました。また写真をアップします・・・
このあたりは茨田の堤あともまだ一か所残っており、名前からしても茨田氏の力があったということでしょうか。
淀川の堤防ですが、当時はかなり淀川は私の家の近くまで流れていたことになりますが・・・