ヤマトトトヒモモソヒメ徒然記

たわいのない日常事をしたためております。

飛鳥寺へ  冬空が寒い

2019年01月26日 12時57分29秒 | 日記
飛鳥寺へ到着

前にバス停があったので、ここから橿原神宮駅まで帰ることに。

時間があったので飛鳥寺周辺を散策




長い歴史のあるお寺です。







寒い冬空で冷え切っていました。飛鳥寺から見た、裏の風景。



安倍文殊院から4キロくらいです。


なんとか駅に無事到着。

遅くなりましたが、無事帰途へ
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飛鳥を歩く  安部文殊院~山田寺跡~飛鳥寺

2019年01月23日 08時30分41秒 | 日記
安倍文殊院を行ってきたついでに山田寺跡に足を延ばそうとハイキングしてきました。

山田寺跡は以前も吉野口から桜井を歩くコースで歩いていますが、とっても印象に残ったお寺の跡地だったのでついでによってみました。



金堂、塔、回廊があったであろう跡もありました。

悲劇の大臣蘇我倉山田石川麻呂の思いに感慨無量でした。







乙巳の変では中大兄皇子とともにクーデターを起こし、政権奪回をしましたが、天智天皇と何があったのでしょうか。

自刃に追い込まれた宰相でした。



大きな氏寺でした。ここには元明、元正天皇ももちろん来ていたのでしょうね。





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葛城山の麓を行く  H31年1月19日 

2019年01月21日 20時10分17秒 | 日記
土曜日に「ワカタケル大王と葛城」という題の講座を聞きに行ってきました。

楽しい話でした。

葛城山はワカタケル大王の狩場であったことは古代の資料でもわかっています。

葛城でワカタケル(雄略)は同じ格好の一行に逢い、高取川まで送られて帰った話などいろいろ葛城との関係性があった話が伝わっています。

大王家と葛城氏は

葛城そつひこがヤマト王権の対外交渉を担った。

その娘岩の姫が仁徳の皇后になった。継続して天皇家の外戚としてその地位を維持した。

大王と葛城氏の大王政権である。




紀氏との連携で、朝鮮半島からの人とモノ(鉄の原材料など)を独自に受け入れるために
、吉野川ルートが整備されたらしい。

葛城王権の初代(そつひこか?)の次の世代には掖上地域と葛城山麓に王墓を移した。100メートル級に縮小している

河内平野ルート(橿原市大県からの鉄素材の供給)にたよるため、工房群と王墓が忍海に移された。



河内への交通路(竹ノ内街道、丹比道)に渡来人を住まわせた。葛井寺など氏寺とする渡来人の氏寺がある。

物流の交差点や倉庫群などには、渡来系の字が読める人が就業していた? でないと物の往来に支障がでる?

百済への援軍の見返りについては鉄素材とともに技術者、馬飼いが派遣され、戦乱をのがれた百済人、伽耶人が多くやってきていた。

ワカタケルの狙いは忍海地域の生産力であった。

神話なのか史実なのか、5cこのころ葛城王家を滅ぼしている。


吉野川ルートで紀氏との関係強化されてきた葛城王家ではありますが、河内へのルート確立後こちらは破綻している。

そつひこが外交部を代表して朝鮮半島と行き来した道は吉野川ルートであったかもしれないという話でした。

道をおさえることや川を手中にすることで古代どれだけ優位な力関係が成立していたのかな?

久しぶりにとっても楽しいお話を伺いました。




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おめでとうございます

2019年01月07日 16時18分45秒 | 日記
新年おめでとうございます。

本年も食べ歩き、ハイキングなどたくさん写真を載せていきたいと思っています。

4日の日は夕日が浦までかにを食べに行きました。

2杯分いただきました。

天橋立も久しぶりにいってきました。端まで歩く時間はなかったけど、途中まで歩いてリターンしてきました。

寒い日でしたが、無事戻ってきています。

本年は5月に10連休あるので、またあちらこちらと彷徨してみたいとおもっております。

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