ヤマトトトヒモモソヒメ徒然記

たわいのない日常事をしたためております。

男坂を行く

2019年12月27日 08時58分16秒 | 日記
本日仕事納めでした。明日から年末年始休暇となります。

「神武東征伝説の道を行く」というハイキングがあり、参加しました。

榛原~桜井までを歩くツアーです。

男坂と女坂があり、男坂を上りました。



古事記には男兵、女兵がいたとあるそうですが、急な坂が男坂、ゆるやかな坂が女坂であったのであろうという事でした。

大学の先生の解説付きでしたので、とても参考になりました。

男坂を超えると、赤坂天王山古墳が見えました、倉橋のバス停の近くでした。

今度はゆっくり訪ねてみたいです。舒明天皇の墓の前も通りました。

忍坂のあたりとなります。允恭天皇の皇后忍坂中津姫は忍坂にいたという伝説がありますが・・・

継体天皇とも関係ある女性でもあり、また滋賀県をルーツとする人がここ忍坂に住んでいたのはどうして?

忍坂は歴史の不思議宝庫でした。

石位寺も寄りました。



今度はバスでこの辺りをゆっくり回ってみたいです。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケーキを食べに行ってきました。

2019年12月23日 18時05分25秒 | 日記
梅田のグランヴィアにある、喫茶店で、ケーキを食べました。

クーポンを使いポイントも使って1590円のコースとなりました。

最初はスコーン等オードブル風盛り合わせが出てきました



次は三段重ね

2段目はワインのつまみのようなものが・・・










最後はショートケーキです。



紅茶を選んだので、3,4杯分入っていました。


リッチな気分になりました。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空海を旅する 奈良市内における空海の生きた時代

2019年12月12日 11時27分51秒 | 日記
ボランティアガイドと行く、奈良市内での空海の足取りを探るハイキングツアーに参加しました。

まずは、元興寺へ。

極楽坊で寝泊まりをしていた時期があったようで、外観を拝みました。

唐の僧侶が戒壇院にいた時期があり、その僧侶と一緒にこちら極楽坊にいた時期があったというお話でした。

次は空海とは関係ありませんが、塔頭を見ました。

道なりにあったためなのか? 大乗院庭園でおトイレ休憩。

最近再建されたものですが・・・きれいなお庭です。

興福寺の住職は京都の公家の出がなることが多く、ここ大乗院や一条院にいる公家出身僧侶の方が選ばれたというお話です。

十輪院は川島英吾さんのお墓があることで知られていますが、いつも行こうと思っていても迷ってしまうので、行けずじまいのところでした。

今回はボランティアガイドさんが一緒ですので、迷わず行くことができました。

お墓に手を合わせてきました。

よく、京橋で歌っていたのを聞くことがありました。

「かけがえのない人」「時代遅れ」「てんびんばかり」など名曲を残されました。



空海がここ十輪院に住む、吉備真備の息子さんに書道を習いに来ていたというお話でした。

弘法の筆の達筆は遣唐使としての 吉備真備の影響によるものだったのですかね。

その後は高畑の方に進み社家などの外観をみてから、禰宜道を通って春日大社へ抜けました。

志賀直哉が暮らした家も通りました。今度ゆっくり来てみたいです。



東大寺へ行くところで、昼休憩となり、それぞれお昼を食べることに。

午後からは東大寺を抜けて正倉院へ。外観だけですが、創建当時からあるのはこの正倉院と転害門だけと話されていました。



このあと空海寺へ。東大寺のすぐそばにこんな小さなお寺があるとは知りませんでした。

ここは本当に空海が暮らしていたそうです。

14代東大寺別当の時、ここが空海の住まいであったようです。

そのあとは転害門へ。その手前に小学校がありました。ここはあのさんまが卒業した小学校だそうです。

鼓坂小学校だそうです。

転害門を見学して、解散となりました。

いろいろ知らなかった空海のことを知り、充実した一日となりました。

「空海の風景」司馬遼太郎の小説の中でも、奈良市内にいた当時の空海が元興寺などで留学僧として、準備などをしている場面があったと薄れた記憶を思い出していました。

楽しい奈良散策となりました。













Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中宮寺  尼寺らしい優雅なお庭でした

2019年12月09日 11時27分37秒 | 日記
鋼封蔵などもありました。



正倉院のつくりと同じです。

ここで天寿国繍帳が見つかったそうです。今は奈良国立博物館に行ってしまい、実物を見ることはできません。

京都で何年か前に国宝展をしていましたが、そこで本物を見ています。



夢殿も行きました。



救世観音は開扉の時期ではなかったようですが、以前何度も見ました。

とっても聖徳太子の1万円(旧)の絵に似ている、太子等身大の像でした。




中宮寺にも久しぶりに行きました。




天寿国繍帳のレプリカを見ました。

亀の甲羅に文字があることを初めて知りました。

橘大郎女が太子がなくなってから、作ったものだそうですが・・・・

1400年以上もよく残るものだと感心しました。

本物は京都で数年前にしていた国宝展で見ています。

ボランティアガイドさんの話を聞きながら、奈良は本当に奥行きが深いと考える次第でした。




歌碑がありました。ガイドさんが説明していましたが、写真を撮るのに夢中でした。

ここでも御朱印を書いてもらいました。





Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする