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ヤマトトトヒモモソヒメ徒然記

たわいのない日常事をしたためております。

埴輪製作遺跡 今城塚の埴輪たち

2017年02月27日 11時45分44秒 | 日記
茨木の古代埴輪工場を見てきました。



とってもりりしい兵士にお会いしました。







高槻の駅で以前から申し込みをしていた今城塚を回るハイキングに参加・・・と思ってましたら、

もらった地図がなにか阿武山を登るコースになっており、受付の叔父さんにこのハイキングは今城塚に行きますね?

JRハイキングですね?と念押ししても、そうですよということだったので、

何故かバスに乗り、摂津峡、阿武山の藤原鎌足の墳墓などを見て埴輪製作所へ・・・

この後、今城塚古墳かなと思いましたところ、太田茶臼山を通り、帰途へ・・・



楽しいコースではありましたが、申し込みをしていたハイキングとは違うようでした。

申し訳ないわ・・・

同じようなハイキングコースの受付が2件高槻駅の改札口にあったとは・・・

あとで申し込んでいたコースのハイキング主催団体に電話をしたのですが、つながらず・・・

私としたことがこんなことになり、なんということでしょうか

でもこちらのコースも見ごたえありました・・・


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シンドン 最初はいいストーリーでしたが・・・

2017年02月23日 18時39分16秒 | 韓国ドラマ
韓国ドラマ「シンドン」をみました。

最初はいいストーリーだと思いましたが、最後の2,3巻はみんなおかしくなっていく感じでした。

ひどいものでした。

高麗時代の話でした。ピョンジュはの子であり、お寺にいても、僧侶になれない身の上でした。

いつしか王に認められ、などの奴隷などがない世界を目指して、政治の世界に入りますが、出身のピョンジュに向けられたのは厳しいものでした。
いつしか絶望感漂いはじめたピョンジュに元師匠である、僧侶が具足戒を受けさせる決心をすることになります。

の身分でも具足戒を受けられるということでピョンジュはお寺に帰るとき、ピョンジュに淡い思いを抱いているチョソンさんが言う「あちらの世界に行くともうこちらの世界では会えないのですね。抱きしめてください」

と言って、チョソンがピョンジュに抱きしめられて分かれるシーンは素敵でした。

具足戒を受け得度するシーンはドラマで見るのは初めてですごく素敵でしたが・・・後半が残念でした。

実話のお話だったのでしたら、皆が最後死んでいくので・とても悲惨な歴史をもっているのですね、高麗時代って・・・。



奈良検定1級試験の結果がきました。

自己採点通り86点で合格でした。

ひとまず安心です。


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山の辺の道を行く  ひらひら雪が舞っていました

2017年02月16日 20時23分09秒 | 日記
長柄駅で降りて大和神社から黒塚古墳の短距離ハイキングに行ってきました。6,7キロのコースですがお気に入りです。



大きな神社でした。

ここから波多子塚古墳を回り、菅原神社、西山塚古墳です。

西山塚古墳に着いたとき大きなボタン雪が舞っていました。



みかんや柿の木が植わっていて、人家があるのですが、古墳に住めるのはとても羨ましい限りです。

中山古墳で大和神社のチャンチャン祭りの御旅所となり、神社の勢力範囲は終わるのですが、ここからまたトレイルセンターまで歩きました。



御旅所を抜けたあたりから、衾田の柿本人麻呂の歌碑のあるところまで、猫が追いかけてついてきました。

かわいいです。

ちょうど大人と子猫の間位の猫でした。



この木に登って爪とぎまでしてのリラックスムードでした。

猫さんと別れを告げ、トレイルセンターで休憩するつもりでしたが、残念でした、トレイルセンターは工事中でした。



崇神天皇陵です。ハツクニシラススメラミコト、神武天皇と同じ名前を持つ天皇です。

山辺の道岡マガル陵におられます。

黒塚古墳展示館に寄りました。



発掘当時の模型がありました。

水銀朱で木簡は塗られ、33枚の鏡が見つかった当時の復元です。

そして黒塚の駅まで行って、奈良市内を回って帰途へ・・・

奈良市内は中国語やいろいろなアジアの言葉が飛び交っていました。東大寺はインターナショナルの言葉でいっぱいでしたことを思い出しました。

この人たちが奈良の山辺の道を歩くようになると本当によい観光にはなるのですが・・・まだまだ先のことでしょうか



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奈良町民話めぐり

2017年02月10日 22時49分37秒 | 日記
奈良町民話めぐりに参加。

中将姫が継母にくくられた木があった場所、突き落とされたがけなどが今も語り継がれており徳融寺にありました。
それとなんといっても不審ヶ辻子に行ってみたかったのですが、

結構いつも通る場所の近くでした。

奈良ホテルの裏手にありました。猿沢の池を通り、左へ曲がったところです。

よく奈良検定にでる問題でもありますが・・・



昔はこのあたりはさみしいところだったのでしょうね。

がごじがこのあたりで消えたそうです。

三作の石子詰めは昔、鹿を殺すと刑罰を与えられたそうです。

三作は習字のお稽古の最中、通った鹿に文鎮を投げつけて、鹿はあたりどころが悪く死んでしまったそうです。

十三歳の子供の供養塚がありました。

いつも通る場所にはこんな伝説があるのですね。



興福寺南円堂前の法句経です。

ボランティアガイドのおばさんはとても一生けんめいに案内下さりました。

いつも通りすがるだけの場所や神社がいろんな歴史を踏まえているのかととっても奈良町が深い歴史があるのだと改めて思いました。

ボランティアさんのお話もお上手で、大変勉強になりました。

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神武が見おろした国見山からの風景と襲津彦眠る御所市を歩く

2017年02月02日 11時34分52秒 | 日記
神武天皇がここ国見山の頂から御所及び奈良を見下ろした場所です。



JRハイキングで御所市を回るコースに参加した。

健脚者向けと書いていて12キロ位でしたが、甘く見すぎていました

運動不足の上バイキングの食べ放題からまだ脂肪燃焼をしていない私にとってはしんどいハイキングコースでしたが、なんとか完走することができました。



日本武尊の墓といわれるところは三重、大阪とここ奈良にあるそうです。

この古墳がそれに当たります。奈良検定で琴弾原がわかっていれば、よかったのですが、ここを訪れる前でしたので間違えました。



巨勢古墳群です。800基もあるそうです。こちらは手前の一基です。

去年は蘇我氏についての講座をされるところが多かったですが、蘇我氏は葛城氏の一派巨勢氏からでているのではと言われている先生がいました。

このあたりはは葛城川と蘇我川が流れています。







今回の奈良検定の問題に磐乃媛の歌がありましたが、襲津彦の墓ではないかと言われる宮山古墳です。

近つ飛鳥の講座に行ったとき、磐乃媛の墓は佐紀盾列古墳にあるものではなく、襲津彦と一緒に埋葬されているのではと言われていました。

当時子供は親と一緒に葬られるようですが・・・

妻はその実家に葬られたようですが・・・

200メートル以上の巨大古墳、5世紀当時のこのあたりの権力者といえば葛城襲津彦になるのでしょうか?



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おトイレは掖上駅で各自とりましたが、いまどきポトントイレでした。

男女兼用でトイレをでたら、おじいさんが用をたしていました。

数百人で歩いているので、トイレはどれも長蛇の列となります。

今度来てみたいのは掖上駅から1キロくらいにある水平社博物館でした。こんなところにあるんだとびっくり。

ゆっくり時間をかけて来てみたいと思いました。
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