ヤマトトトヒモモソヒメ徒然記

たわいのない日常事をしたためております。

「六龍が飛ぶ」韓国ドラマ

2018年04月28日 22時21分30秒 | 日記
最初の30巻まではよかったのです。

久々の私の中でのヒット作でした。

最後、欲望がむき出しとなり、自分が王位を次ぐべく主役の男子が動き出して、

やや疲れました。

プニへの気持ちだけは終始変わりませんでした、仲間が次から次にイヴァンオンから離れていくのが悲しかったです。

彼が変わったのです。

権力を前にすると人は変わるものです。





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「ケベク」韓国ドラマ

2018年04月19日 22時18分44秒 | 日記
「ケベク」をみました ・

最初はすごく面白い作品かと思いましたが、最後がなにかしらむなしいだけでした。

朝鮮半島の歴史が、悲しくも華やかな歴史とは無縁で、いつも中国の属国として世子擁立に奔走する王や王妃、その家臣たちの悲しみも秘めていました。

終わり方がハッピーエンドでないのは彼らの歴史そのものなのかもしれません。

百済が戦った戦いには日本軍が援軍として送られることがおおいですが、日本はなにを取引して、何を頼りとしてきたのでしょうか。

それとも百済の属国だったのでしょうか・

百済が滅ぶと日本へ何十万単位で渡来し、日本に大陸から朝鮮半島を経た高度な文化を伝えてきた。

ケベクの戦いも日本とは無縁ではなかったのでしょう。

百済は高句麗を祖とするので北方民族が祖なのでしょう。

今の朝鮮半島人とは民族的に違うと思われます。

王族がこのドラマでも日本と行き来していました。

古代密な関係を築いた百済と日本。

百済の寺であった皇龍寺跡地から出土したものから、このドラマは作成されたそうです・

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葛城古道を歩く

2018年04月14日 22時10分56秒 | 日記
3月末日の晴天の日、葛城古道を歩いてきました。

途中名柄で方向を変え、宮山古墳の方向からバスで帰りました。

御所の駅前の川には散り際でしたがまだまだ見ごたえのある桜が咲いていました。花筏を楽しみました。







風の森から御所に抜けるコースが葛城古道なのですが、逆はかなり坂道でしんどいことがわかりました。






以前来たとき、ボランティアガイドさんが熱心にこの駒形大杉神社についてお話があり、ゆっくり来てみたいと思っていました。

以前は葛城なんとか神社と名前がついていて、合併してこの名前になったとか・・・

葛木の名前がついていたので気になりました。

乙巳の変の絵で葛木若犬養網多だったか?今、入鹿を倒すときに空振りして滑稽な絵を見せて、もはやこの時期は葛木氏は天皇家の門を守るような家柄に
すぎなかった話が楽しかったです。

階段を上がって、この神社で昼といたしました。高台にあるので、桜は見頃でした。



九品寺、一言主神社を過ぎて、名柄から帰途へつきました。

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「古市古墳群と磯長谷古墳群」 

2018年04月08日 21時22分50秒 | 日記
古市まで講座を聞きに行ってきました。

磯長谷古墳群と古市古墳群についてでした。

興味深いことにこの古墳群は4,5キロの距離しか離れておらず。

河内王権の王墓としての一部であったのでは?

磯長谷の用明天皇陵は本当に用明天皇陵かはわからないそうです。

蘇我氏の勢力範囲であり、蘇我系の墓が多くあるという考えもあるようです。石川も近くを流れています。

河内の都と大和の都があったといわれる講座もありましたが、ここでは勢力があるところに陵墓があるというお話でした。


継体以降の初期政権では春日山田皇女の墓に安閑は合葬され、敏達天皇は母石姫皇女の墓に合葬されている。

継体は入り婿の形で大王となり、その子孫の墓が皇女と合葬されるのは初期政権の王位を正当化するためのものでもある。

初期王族は女系で保たり得た。

この日は午前中近鉄ハイキングに行っていました。9キロくらいの道のりでしたが、大和八木から今井町までを歩きました。

歩いても痩せないのはどうしてでしょうか。




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山田寺を行く   持統天皇の祖父蘇我倉山田石川麻呂自刃の地

2018年04月03日 21時05分51秒 | 日記
また別の日に吉野口から桜井までの22キロのハイキングツアーに参加しました。

かなりハイペースで大変でしたが、完歩することができました。



稲淵のあたりです。

持統天皇の祖父蘇我倉山田石川麻呂の氏寺である山田寺跡を通りました。

やや飛鳥中心からは離れた場所にありました。

「美貌の女帝」を読んだ後だったので、この金堂で悲劇が行われたのかと感慨深いものがありました。







乙巳の変では蘇我家の内部分裂を計られ、どうしようもない激流に翻弄された方。



山田寺の仏塔は興福寺国宝館にありますが、穏やかな、すがすがしい青年のようなお顔をした仏さまは倉山田石川麻呂の最後をどのように見ていたのでしょうか。最後に倉山田石川麻呂が仏に向かって何を語っていたのでしょうか。



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