三輪神社までは行っても初瀬まではなかなか行けていなかったのでとても楽しみでした。天気に恵まれ、いいハイキング日和となりました。
ハイキング前には講座があるのですが、その講座の先生が卑弥呼は何歳かをみなさんに尋ねていました。4,50歳に手を上げる人が多い中、
卑弥呼は70歳または80歳代だったでしょうという話をされていました。
驚きました。
池上曽根遺跡横にある弥生博物館の卑弥呼はまだおじょうさんのようにきゃしゃで美しいお人形でした。
美しい巫女が鏡をもったイメージを抱いてましたが、相当のおばあさんだったのですね。
巫女のような存在ですから、長生きも1つの巫女としての要素なのかも???
240年代になくなっているので、160年頃に生まれていたということでしょうか。
弥生時代まっさかりではないですか。
卑弥呼の墓と言われている箸墓古墳はトヨのお墓でもって、ホケノ山古墳が時代的に卑弥呼のお墓に合うそうですが、石囲いがある重厚な墳墓となっているそうです。
(トヨの墓と言われている西殿塚古墳は誰のお墓になるのでしょうね)
お昼を食べて大和朝倉駅に集合しました。
トドロキノ淵は天武・持統天皇が行幸した記事が日本書記にあるそうです。山と川に挟まれたところでした。春日神社や玉列神社などを回り、脇本遺跡を遠くにしてあのあたりが初瀬朝倉の宮伝承地があったのかと感慨無量になりましたが、なんと狭い場所に宮を作ったこと・・・
戦場には一番適しているような場所でした。(武器庫もあったと説明の先生が言われていました)
ワカタケル大王と書かれた鉄剣には磯城の宮と書かれていますが、先生の説明では、和田あつむ先生が広く磯城というのは初瀬も含まれるということで問題ないそうです。
欽明天皇の磯城嶋金刺宮伝承地にも初めて行きました。暴れ川と言われていた初瀬川と他の川に挟まれた意外と狭い場所でしたが、継体天皇の子供であり、みなが待ち望んでいた皇子であったのでしょうね、こちらにおられたのかと感激でした。
初瀬川から百済の使者が百済王からの贈り物である仏像や仏典が届いたのもこの地で、少し歩くと仏教伝来の地という石碑がありました。
昔から大和にとってこのあたりは重要な場所なのでしょうね。
天気がよく紅葉を見ながら大和の景色を楽しみました。いい日でした。
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