ヤマトトトヒモモソヒメ徒然記

たわいのない日常事をしたためております。

 古墳巡りの旅  明日香村(2)

2018年03月31日 20時52分00秒 | 日記
菖蒲池古墳から植山古墳へ





古墳公園になるようで、工事中でした。

その後、五条野丸山古墳へ向かいましや。岡寺の駅からみえるのでうが、実際に歩いたのは初めてでした。





大きな、古墳です。二上山も畝傍山も香具山も見える一等地です。

この前、近つ飛鳥の講座で館長さんが真の欽明天皇陵と言われていましたがどうなのでしょうか?

蘇我稲目の墓といわれる人もいますが・・・

陵墓参考地となっていました。

これだけの巨大古墳なのに、ほかの古墳に比べ、天皇陵という確定はされていないようです。

下つ道がすぐ通っており、平城京へとつながり、南西には巨勢道、木道へと抜け、古代の要衝地となっているようです。




前方部からの眺めは素晴らしかったです。祭祀はここで古墳の被葬者に似合う華やかで、盛大な葬送儀礼が行われたのでしょうね。


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古墳巡りの旅  明日香村

2018年03月26日 13時53分40秒 | 日記
この日は飛鳥で降りました。

ちょうど、「美貌の女帝」が持統天皇がなくなったところで、飛鳥駅に到着、野口までバスで行き、野口王墓へ。










白梅がとってみきれいに咲いていました。

ここは昔盗掘を受けているので、持統天皇と天武天皇合葬が確実な天皇陵です。








野口王墓から歩いてすぐの菖蒲池古墳へ。

初めて来る古墳でした。

2つの石棺が縦にならんだ古墳です。

竹田皇子と推古天皇といわれている方もいるようです。

植山古墳が本当の推古天皇陵とも・・・

この後は植山古墳、五条の丸山古墳と歩きます。次回アップします。



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「美貌の女帝」永井路子

2018年03月20日 00時40分56秒 | 日記
「美貌の女帝」を読みました。

遷都を促され、平城京に移り、既成勢力の弱体化に成功した藤原氏。

女帝だから、足元をみられたのか?

?どうしてと思う場面がいっぱいでした。

藤原氏の専制が帝をしのぐ勢いで、元正天皇は立っていることがやっとのような・・

孝謙天皇を認め、光明子の立后を認め、譲歩ばかりでかわいそうに思いました。

もっとできることもあったのでは?

長屋王の死も、名もなき者の讒言によるものであり、そのために妹と甥を失うことに・・・

長屋王と若かりし頃恋人関係にあったという設定でしたが、本当はどうだったのでしょうか。


大津の皇子の死は妃山辺皇女が持統天皇の母越智郎女の父蘇我倉山田石川麻呂を讒言した蘇我赤兄の孫であったためとなっていました。

同情はしますが、それではほかの皇子の名分がわかりません。

あまりに蘇我系の女性を誇りに思うのはいいのですが、大道を見誤ってしまったともいえる物語でした。

倉山田石川麻呂の山田寺の仏頭は興福寺国宝館にありますが、大好きな仏様です。



奈良のボランティアガイドさんが言っていたお話に、現在の天皇さんは聖武天皇の陵にはあまり来られないそうです。

京都の歴史は桓武天皇から始まっているようで、泉涌寺は桓武さんからのお名前の列記が始まっているようです。

桓武天皇の父光仁天皇の陵は奈良にあるようで、ここの陵には来られたことがあるというお話を聞いたことがあります。

京都は天智系の桓武さんから始まるのですね。




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「王と妃」  93巻もありました。

2018年03月17日 10時29分27秒 | 日記
「王と妃」も武神時代同様に主役が入れ替わり、長い歴史の変遷を演じるものでした。

インス王妃は相変わらずでしたが・・・

14歳の甥の王位を簒奪する形でストーリーは始まります。

あそこまで徹底しなくても・・・


王位を簒奪され、命まで奪われました。徹底的ですね。

自分が生き残るか死ぬかの世界で韓国人は生きているのかと、ドラマを見ながらいつも思っております。

日本だけがお花畑なのか、本当なのかどうなのか?

王妃になっても、自分の息子を世子にしなければ、死が待っているようなので・・・

息子のために生きるか死ぬか、惜しまざる努力を続ける王妃や側室の駆け引きなど・・・

インス大妃が廃妃ユン氏に毒を与えて死なせたのはやりすぎのような・・・

傲慢でみっともなく思いましたが。いかがなものでしょうか

当時の女性としては文字が読め、当代きってのインテリ女性だそうですが・・・

民のための政策でなにかずば抜けたこともしてそうにないし・・・

ただ威張っているだけの人でしたが



廃妃もインス王妃との権力争いに敗れた形となり、毒を賜ってなくなりますが、息子燕山君が暴れたのも同情も否めないと感じた次第です。

それにしても長いドラマでした。何年かかって撮影したのでしょうか。


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5世紀の東アジア世界

2018年03月13日 07時26分23秒 | 日記
5世紀の倭国と東アジア世界

近つ飛鳥博物館の出かける博物館講座を聞いてきました。

いつもはがきを出しても当たらないのですが、今回はどうしてか当たりました。

500人ほどが北浜のとある銀行の大きなホールで集まっていました。

館長さんのお話も興味ありましたが、2限目の「5世紀の倭国と東アジア」のお話が聞きたかったので応募しました。

倭の五王のお話が中心でした。

仁徳、応神と允恭、安康、雄略は血脈はどうなのか?

王都は大和と河内の両方にあったのではないか?

など興味があるお話でした。

帰りはコメダコーヒーに寄り、初めてシロノワールを食べました。

一度食べてみたかったのですが、いつも満席で入れません。

京都の三条はすごい人です。北浜はこの日は土曜日だったので、オフィス街はひっそりとしていましたが、シロノワールを堪能できました。




こちらは知り合いと正月休みに大衆演芸を見を行ったとき食べた、梅地下の卵専門オムレツ屋のオムレツと下はドリアでした。







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