ヤマトトトヒモモソヒメ徒然記

たわいのない日常事をしたためております。

秋の吉野を歩く  蔵王権現

2021年11月15日 20時48分58秒 | 日記
金峯山寺の蔵王権現御開帳されるので、初めて行ってきました。

何回か吉野には来ていますが、御開帳と重ならないことがあり、今回あの青いとても大きい仏像を初めて見ました。

まだ紅葉といえる風景ではありませんでした。外観も写真の通り工事中ではありましたが、佛様はこころよく迎えてくれました。



このお寺の前の写真の桜がある一帯はは大塔宮護良親王が鎌倉方からの敵陣に備え陣を張ったところだそうです。

また、もう一度今度は吉野水分神社にゆっくり行ってみます。

この日はここ1件だけでしたが、ロープウェイと歩きになるので、今度は1日がかりで訪れてみます。

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六道参り  六道珍皇寺へ参る 六道が辻  六波羅蜜寺

2021年11月13日 13時38分08秒 | 日記
10月の晴れた日に六道珍皇寺へ行ってきました。



不思議なものがたくさんありました。







もらった案内書には 8月7日から8月10日には精霊迎え 六道まいりなど記載がありました。

平安朝の昔寺のあるあたりは京洛の都人が野辺の送りをしたところであり、往生人に引導を渡し、亡骸を鳥辺山へ送ったことから、この地を冥土への入り口(六道の辻、つまり冥界との境の辻)と考えたことと、小野篁が閻魔庁における第二の冥官であったとする伝説があり、篁がこのお寺の「六道の辻の井戸」から現世へと冥界を往還したという伝説とあいまって「六道まいり」の信仰が生まれた。
お庭には不思議がいっぱいでした。





このあたりは、死体の山であったと何かの本で読んだこともある。
現代でもひんやりとした辻でもある。

辻とは和製漢字なので、六道の辻は人や死体または冥土の人が行き交う交通路だったのか・・・

少し行くと華やかな四條通りなのに、2,3本筋が違うとこんなに不思議な道となる。

帰りは六波羅蜜寺にも行ってみた。このお寺の近所にはよく番組で取り上げられる子育て飴が売られていたので帰りに買って帰ろうと、5時前にもう一度通った時には閉められていた。閉店がはやいようで・・・

店の前に書かれている案内板には江戸の昔、近所で妊婦が亡くなったのち、この店に飴を買い求める女性が毎夜訪れる。不思議に思った人がこの女性についていくと、そこは墓場で、産んだ子供を飴で育てていた。

子供は引き取られ、高名な僧侶となったそうである。

こういうお話だったと思う。

乳で育てられない分、飴で命をつないだということになる。

この話もこの通りが死人を運ぶ鳥辺の道であったことに由来しているのかも・・・

清水寺や八坂神社、など有名観光地に足を運びがちですが、このあたりも今はおしゃれなショップがあったり観光客を意識しているようでした。



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健康診断 その帰り

2021年11月11日 18時09分38秒 | 日記
10月に健康診断があり、その帰りに以前近つ飛鳥博物館のハイキングツアーで行ったことのある四条畷の忍岡神社の看板が目に留まりました。
意外に病院から近い場所にありました。会社からも歩いて行ける距離です。
もう一度行ってみたかったので、長い階段を上ってみました。



ここは古墳の上にある神社です。

奈良の古墳の中でも頂上に神社が立っているのを数件見たこともあります。

古墳=神社  祭祀の対象であったのかどうなのか。





今は屋根がついていて中にある棺がまもられています。

レンガの積み重ねられたようなお墓になっています。

このあたりの名士、族長のお墓でしょうか。

4世紀って書いていたのか(裏覚え)で覚えていませんが・・・

ここを少し行くと寝屋川ですが、ハイキングツアーで寝屋川の古墳も数々見て回りました。

このあたりの高台に上るとあべのハルカスがはるか遠くに見えてきます。

それにしても左肺野炎症後変化とは何ですか
(知らないうちに肺炎になっていたのか・・・子供の時を含め4,5回肺炎にはなっていますが・・・この時期に何ぞや)




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竹内街道を歩く

2021年11月03日 15時50分19秒 | 日記
10月30日は近鉄ハイキングに参加した。
一部竹内街道が入っているコースとなる。

河内松原から上の太子までのコースとなり、久しぶりに14キロを歩くと大変疲れました。

反正天皇の宮があった柴籬神社から出発となりました。

野中寺ではお染久松のお墓があり、お参りいたしました。

渡来系氏族船氏の氏寺のようです。渡来系の新興勢力のお寺が竹内街道沿いには多くあります。

古市の白鳥古墳を回り、ブドウ畑を抜けて叡福寺へ参りました。

聖徳太子にちなんだ没後1400年の記念行事の一つであるハイキングツアーとなっていました。

ボランティアガイドさんがあちらこちらに立っており、太子の三骨一廟のお墓について説明されていました。

久しぶりに10キロを超えて歩いたので、足が痛かったです。

コロナが今のところ拡散していないので、開催することができたようです。

また行ってみたいものです。

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